「本当にうれしい! 信じられない!
勝てる時って、本当にあっさり勝てるものなんですね(笑)」
ウイニング・パレードのバンに乗り込んだ「佐藤琢磨(さとう・たくま)」は、その喜びを爆発させていた。
4月21日、ロングビーチ(アメリカ)で行われたインディカー・シリーズ第3戦。
佐藤琢磨は見事、優勝。
「自身のインディカー初優勝にとどまらず、日本人として、アメリカ・オープンホイールレースの最高峰で初勝利という快挙だった(Number誌)」
元はF1レーサーだった佐藤琢磨。
2002年にデビューし、2004年にはアメリカGPで第3位という栄光に輝いている(過去日本人最高位タイ)。
だがその後、顕著な活躍の少なくなった琢磨は、2008年のスーパーアグリ撤退とともに、F1のシートを喪失した…。
2010年、心機一転。佐藤琢磨は新天地アメリカで、インディカー・シリーズに参戦。
だが初年度、「学ぶことが多すぎた」と彼自身が言うほどに苦戦し、最高位は9位という低迷ぶりだった。
「Takuma Sato」の名前を鮮烈に印象づけたのは、昨年(2012)のインディ500での最終ラップ。
「琢磨は最終ラップまで首位を争い、1コーナーでトップを行くダリオ・フランキッティのインに飛び込むも、スピン。レースを失った(Number誌)」
「愚かだが、最も勇敢なチャレンジ」
佐藤琢磨の失敗を恐れぬ果敢なアタックは、アメリカのファンを一発で魅了した。
「アメリカン・ドリームを体現するインディ・ファンは、琢磨のアタックに盛大な拍手を送った(Number誌)」
このあと、琢磨はエドモントンでも2位。
「いつ勝ってもおかしくないドライバー」と言われるようになっていた。
そして琢磨自身、「本当に勝つ条件が整った時に、ボクは必ず勝ちます」と自信をみなぎらせていた。
「アイツが欲しい。アイツをウチの車に乗せよう」
そんな熱烈なラブコールが、伝説のアメリカン・レーサー「AJフォイト」から琢磨に送られてきた。
そして実現した、今年のAJフォイトへの移籍。「移籍後、琢磨の速さがより顕著になり、安定したものになる(Number誌)」。
アメリカでの3年間の経験とともに、いよいよ「勝つ条件」が整ってきた琢磨。
「すべてのピースがはまった」というのが第3戦ロングビーチ。
「予選4番手という好位置からのスタート。タイヤ選び、燃費などのレース戦略、ピット作業…、すべてが決まり、琢磨とAJフォイトのチームは、80周のレースを完璧に終えた(Number誌)」
トップで戻って来た琢磨は、身体中から喜びがあふれていた。
「コックピットの上で仁王立ちとなって、青空に大きく日の丸を掲げた(Number誌)」
琢磨が、日本人初のウイナーになったのだ…!
「本当に長いこと、お待たせしました…」
レース後、佐藤琢磨は記者団の前で、そうおどけて微笑んだ。
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 5/23号 [雑誌]
「佐藤琢磨、インディ初V ピースが揃った80周」
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