2017年2月1日水曜日

オーストリアの「当たり前」 [ライヒとマーダー]



アルペンスキーレーサー、Benjamin Raich(ベンジャミン・ライヒ)は昨季のW杯が開幕する直前、「突然の引退」を発表した。

ライヒは言う。

「突然、心が引退に動いてしまったんだ。自分が思い描いていたような滑りができない、もうこれ以上モチベーションを奮い起こすことがでいない、と。だから突然だったけど、あのタイミングでの引退は自分のなかでは必然でもあったんだ」

こうして、オーストリアチーム2000年代の大エース、ベンジャミン・ライヒは「白いサーカス」を後にした。



※ベンジャミン・ライヒ(オーストリア)…2005/06シーズン、W杯総合優勝。2006年トリノ五輪、SL/GSともに金メダル。世界選手権でのメダルは7つ。



そのライヒが昨年(2016年)末に来日した。東京都スキー連盟などが主催したセミナーに、講師として招かれたのだ。

セミナーのテーマは「How to build team(どのように強いチームをつくるか)」。ライヒは現役時代に実際におこなっていたトレーニングの映像などを交えながら、オーストリアのコーチたちがどのような考えで選手をそだて、実際にどのような指導をおこなっているかを、かなりの細部にいたるまで説明していった。



まずライヒが説明したのは「滑走姿勢の基本」。

それは「ソール(足裏)全体で立つポジションをキープし、腰幅程度のスタンスで両スネはつねにパラレル。膝や腰、肩のラインを平行に保った、適度な外向傾姿勢をとることができる姿勢」である。

この基本姿勢でターンに入る。

「ターンの導入部分」は、ゲートに対するスキーの(入射)角度を決め、それに合わせて身体をターン内側にはこぶ。このときにブーツのソール(足裏)全体で立ち、スキーの真ん中に自分のポジションがあるようにする。

「ターン中盤」では、スキーをフォールラインに絡ませ、最も強いエッジングをおこなう。ポイントは膝や腰、肩のラインを平行に保つこと。それによって外スキーにしっかりと荷重することができる外向傾姿勢がつくられる。

「ターンの終了」局面では、徐々にエッジを開放し、腰を高い位置に戻す意識が必要になる。ターン中盤で外向傾姿勢がとれていないと、このターンを終了させる局面での動作が遅れてしまう。

そして「滑走局面」。スキーが雪面とフラットになった局面は、重心の入れかえを行う局面であるのと同時に、スキーを滑走させる局面でもある。このときに必要なのは、前に進むスキーに対して身体を前方に運び、次のターンポジションに備えることだ。



セミナーの取材を担当したスキージャーナルは、こう記す。


「印象的だったのは、ターンの切りかえの局面を『滑走局面』と表していたことだ。日本では切りかえの局面では、重心の入れかえやエッジの切りかえにクローズアップする傾向があるのだが、ライヒが説明するオーストリアのメソッドでは、この局面はスキーを滑走させる(滑らせる)局面。エッジングをおこなっている局面はすべてブレーキング動作をおこなっている局面であり、スキーを加速させることができるのは、スキーが雪面とフラットになった切りかえの局面だけという考え方だ。それが、アルペン競技において最も大切な『速さ』を生み出すというわけだ」

記事は、こう続く。

「あらためて感じるのは、ライヒの言葉はどれも、スキーの指導者ならば当たり前のようなポイントばかりであり、普遍的なものだということだ。特別なものは何もない。その普遍的な要素を極限まで研ぎ澄ましたものが、ライヒのようなW杯レーサーの滑りなのだろう。日本の指導者が学ぶべきことがあるとすれば、この普遍的な、当たり前の内容がライヒのようなトップレーサーから発展途上のレーサーまで、あらゆるトップレベルの指導者から地域や末端の指導者まで浸透しているということだ」



Warum üben?

なぜ練習が必要なのか?

「ライヒがとくに強調したのは『安定性』と『自動化』だ。テクニックを身につけても、それをどんな状態でも安定して発揮できなければ意味はない。また、意識しなくても自動的にその能力を発揮できるように、トレーニングを積み重ねることが重要だという。これもまた、まったく当然のことである」



原理原則はいつもシンプルだ。しかし、それを徹底するのはいつも難しい。「当たり前」の徹底こそが、オーストリアをしてアルペン王国たらしめているのであろう。

実際、オーストリアで実際に行われているトレーニングプログラムは、じつにオーソドックス。

「静止した状態でのトレーニングからはじまり、斜滑降や横滑り、スキーのズレをもちいたターンと、徐々にステップアップしながらトレーニングをおこなっている。一般の人々がイメージする『W杯レーサーがおこなうトレーニング』とは、かけ離れているだろう。だが注目すべきは、こうした当たり前のことを、ライヒのようなトップレーサーも現役時代から大切にしていたということだ」





また、もう一人の講師、Günter Mader(ギュンター・マーダー)はこう言う。

「日本の皆さんは、指導を難しく考えすぎてしまう印象がある。ライヒの説明にもあったように、やっていることはシンプルです。技術論にしてもスペシャルなことは何もない。大切なことは、しっかりと確立されたメソッドや考え方を、指導にたずさわる人全員が共有し、それを信念をもって徹底してくことだと思います」



※ギュンター・マーダー…1990年代のW杯を知る人にとっては憧れのオールラウンダー。W杯5種目(ダウンヒル、スーパーG、GS、SL、コンバインド)すべてで優勝を達成している選手は、歴代でも彼を入れて5人だけ(他4人はジラルデリ、ツルブリッゲン、オーモット、ミラー)。