「国民栄誉賞のW受賞がある5月5日だけは避けたいですね」
目前に迫る「2,000本安打」達成の前に、そう話していた「中村紀洋(なかむら・のりひろ」39歳。22年目の大ベテラン。
だが「不幸」にも、大記録達成はその日と重なってしまった。
しかし「幸運」にもこの日、部活動の都合でこの日しか見に来れない3人の娘の前での晴れ姿となった。
「フルスイングで放った2塁打」
「パパ、凄い!」と、娘から頬にキスされた中村に、最高のスポットライトが浴びせられた。
「バットを振れば、新たな道が拓ける」
その信念を、22年間貫き通した中村紀洋。
ドラフト4位で入った近鉄時代、連日バットを振り続け、「血マメが潰れ、痛くて手袋を脱げずに、バットを握って眠った夜もあった(Number誌)」。
ロサンゼルス(ドジャース)でも、バットを振り続けた(2005)。
しかし2010年、楽天に戦力外通告を突きつけられた中村は、表舞台から去らざるを得なくなる。それでも、バッティング・センターでバットを振り続けた。
「パパは、まだやれるよ」
3人の娘たちは、そう言って励ましてくれた。
そして2013年5月5日、横浜DeNAのユニフォームを来た中村紀洋。
通算2162試合目で、「日本通算2,000安打」を達成した(史上43人目)。
祝福してくれた人の波には、「谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)」42歳もいた。この日、谷繁も同様に2,000本安打まで、あと2本と迫っていた。
「お先に失礼します」
一足先に2,000本安打を達成した中村は、谷繁の祝福にそう答えた。
そしてその翌日
三男・朗くんの見守る神宮球場で、谷繁元信は2,000本安打を達成。
スタンドの朗くんは、「凄すぎる」と胸を張る。この日は、彼の誕生日でもあり、谷繁本人「どうしても決めたい」と言っていた日であった。
「7番・8番を打っている自分が2,000本安打ですから、積み重ねしかないでしょう」
そう言って、谷繁は笑った。
「オレは休むのが嫌いだ」といって、キャッチャー・マスクをかぶり続けた谷繁。キャッチャーとしては、野村克也、古田敦也に次いで3人目。
25年目の快挙であった。
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 6/13号 [雑誌]
「ノリと谷繁 苦労人が刻んだ2,000本という偉業」
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