サッカー元イングランド代表の「デビッド・ベッカム」
引退を表明し、こう語った。
「子供だった頃の自分に『君はマンチェスター・ユナイテッドでタイトルを獲得し、そしてイングランド代表チームでは立派に主将を務め、100試合以上も出場するんだ。そして、いくつかの世界の強豪クラブでもプレーするよ』と話しても、子供の頃の僕はきっと信じなかっただろう」
「大きくなったら、何になりたいの?」
そう聞かれるたびに「サッカー選手」と答えていたというベッカム少年。
だが、サッカーで食えるとは思っていない学校の先生たちからは、「そうじゃなくて、どんなお仕事をしたいのか聞いているのよ」と優しく諭されていたという。
きっと、この学校の先生方も、まるで信じていなかったのだろう。
まさか、この少年がサッカーで長者番付の上位にランクインし、ベッキンガム宮殿(バッキンガムのもじり)とも呼ばれる豪邸に住まうことになるとは…。
少年時代、天才サッカー少年としてテレビで紹介されたことのあるベッカム。ユース時代にはチームで一番ヘディングが強かったという。
そんな少年ベッカムの憧れは、イングランドの誇り「マンチェスター・ユナイテッド」。現在、日本の香川真司も属する「赤い悪魔たち(Red Devils)」である。
当時からマンチェスター・ユナイテッドの監督を務めていた、アレックス・ファーガソン氏は、このベッカム少年に目をつけた。
ファーガソン氏は、「契約したいと思う少年がいれば、夜中に飛び起きて300マイル(約480km)離れた場所に足を運ぶことも辞さなかった」とも言われるほど熱心であり、「ユナイテッドで心からプレーしたいと思っている選手」を邪険に扱うことは決してなかったという。
こうして、ベッカムはマンチェスター・ユナイテッドの「ファギーのヒナ鳥」の一羽となる。14歳の時だった(1989学生会員)。
マンチェスター・ユナイテッドで、ベッカムがイングランド・プレミアリーグ(1部リーグ)のデビューを飾るのは1995年。19歳の時である。
ベッカムの名を一躍イングランド中に轟かせたのは、背番号10を与えられた年(1996)に、リーグ開幕戦でハーフウェイライン手前から、ゴールキーパーの頭上を越えるロングシュートを決めた時(ウィンブルドンFC戦)。
以後、彼はマンチェスター・ユナイテッドの不動のレギュラーとなる。
1999年の欧州CL(チャンピオンズ・リーグ)の決勝戦では、0-1でバイエルンに負けていたロスタイムに、ベッカムは奇跡を起こした。
「ベッカムが蹴ったコーナーキック2本がゴールに結びつき、マンチェスター・ユナイテッドが奇跡の逆転勝利を収めた(Number誌)」
この同じ年、ミュージック・グループ「スパイス・ガールズ」のメンバーの一人であったヴィクトリアと、ベッカムは結婚する(ベッカム24歳)。
ところが、何事も順風満帆にみえたこの頃から、ベッカムとファーガソン監督の関係には亀裂が生じはじめる。
ベッカムが、寝込んだ息子の看病を理由に練習を休んだと、ファーガソン監督は激怒(許可は与えていたものの、妻のヴィクトリアが看病すべきだと怒った)。50,000ポンド(約780万円)もの罰金をベッカムに課した。
「結婚するまで彼は何の問題もなかった。素晴らしい若者だった。しかし、結婚によってエンターテイメント・シーンへ入ってしまったことが問題だった」
そう言ってファーガソン監督は、有名になりすぎたベッカムを非難した。そして、重要な試合でもベッカムを外すようになってしまう。それでも、ベッカムはマンチェスター・ユナイテッドの中心選手であり続けた。
その同じ頃、2002年の日韓ワールドカップで、イングランド代表の主将を務めていたベッカム。日本女性たちの憧れ「ベッカム様」になっていた。
あのソフトモヒカンは「ベッカム・ヘアー」と称され、男性たちにも人気を博し、日本は空前のベッカム・ブームに。大相撲の琴欧洲までが「角界のベッカム」になったものだった。
だが、ベッカムの人気が上がれば上がるほど、ファーガソン監督との仲は険悪になっていくかのようであった。
FAカップのアーセアナル戦の敗戦に怒ったファーガソン監督。ドレッシング・ルームで蹴りあげたスパイクが、ベッカムの目の上を直撃、流血。縫合が必要なほどのケガとなってしまう(2003)。
以後、古巣のマンチェスター・ユナイテッドを飛び立ったベッカムは、スペインのレアル・マドリードに移籍(ベッカム28歳)。4年間在籍する。
2007年にはアメリカに渡ったベッカム、ロサンゼルス・ギャラクシーと契約。ベッカムのレプリカのユニフォームが、入団前に25万枚以上売れたと話題になった。
すでに彼は、サッカー界以上の人物になっており、Tシャツの売上やCM、スポンサー収入を含めると、約50億円というサッカー界No.1の高額収入者になっていた(2008)。
その後のベッカムは、イタリア(ACミラン)、そしてまたLAギャラクシーと転々としながら、フランスのPSG(パリ・サンジェルマン)にたどり着く(2013)。そして、ここが彼の現役生活における終着点となった。
「デイビッド(ベッカム)は、ピッチの上では37歳なんかじゃない。27歳だよ(笑)」
PSG(パリ・サンジェルマン)の若き会長、ナセル・アルケライフィ氏はベッカムに相当に惚れ込んでいた。
「口説くのには、ずいぶん苦労したさ。18ヶ月もかかったんだから(笑)」
5ヶ月間という約束で、PSG(パリ・サンジェルマン)に加入したベッカム。
心ない世間の声は、「シャツを売るためだろ?」とベッカムを揶揄していた。
だが、ナセル会長は静かに首を横に振る。
「世間が勝手に言ってるマーケティングだとか、そんなのは一切関係ない。デイビッド(ベッカム)は、純粋にフットボールが好きでたまらないんだ」
「第一、デイビッド(ベッカム)はチャリティでプレーしている。われわれは一銭たりとも彼に報酬を支払っていない」とナセル会長。
ベッカムは、年俸のすべてをチャリティー団体に寄付すると表明していたのである。
ナセル会長はさらに言う。「カネ目的でプレーしているのではないことは明らかだ。デイビッド(ベッカム)はいつも、練習には誰よりも早く来て、一番最後にピッチを後にする」
そんなナセル会長の期待に、思う存分に応えたベッカム。
今季のPSG(パリ・サンジェルマン)は、フランス・リーグをじつに19シーズンぶりに制覇。ベッカムは歓喜のままに優勝トロフィーを掲げた。
そして、5ヶ月の契約が切れる時期を控え、ベッカムは「引退」を発表。
ついに、その長きサッカー生活に、一つのピリオドを打つ決断を下した。
奇しくも、かつての恩師、マンチェスター・ユナイテッドのファーガソン監督も27年のキャリアに終止符を打つ決断をしていた。
ファーガソン監督の引退に、ベッカムは「自分の父親のようだった」とコメントを寄せている。
「死生有命、富貴在天(死生は命にあり、富貴は天にあり)」
これは、ベッカムの身体の各所に彫られたタトゥーの一つである。
論語の一節と思われる。
「引退すると聞いて、悲しんでいる…」
PSG(パリ・サンジェルマン)のナセル会長は、そう言って肩を落とした。
(了)
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ソース:Number
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