2014年6月12日木曜日

天性の負けず嫌い [本田圭佑]




認められなくてもいい

笑われてもいい

叩きのめされてもいい



本田圭佑という男は、とにかく前を向きつづけてきた。










中学時代、サッカーの練習後

チームメイトの一人がバク転をして見せた。

すると本田、「オレもできる」と豪語。



だが、できない。

「できひんやん!」

まわりから散々に茶化された。



その1週間後

本田は突然、「おりゃ!」と駅のホームで宙に舞った。

バク転を成功させてみせた。



「よっぽど練習したんでしょうね(笑)。腕相撲でも強そうな奴がいると、すぐ勝負を挑んでました。天性の負けず嫌いですよ、あいつは」

中学時代のチームメイト、東口順昭(ガンバ大阪)は懐かしそうに目を細める。

本田はどんな小さな遊びでもガチンコだったという。






高校は、県外の星稜高校(石川)に進んだ。

当時、サッカー部の監督だった河﨑氏はこう振り返る。

「本田くんを含めて県外組が4人いました。本田くんがリーダーで、まるで兄弟。トランプをしたら本田くんが勝つまで寝かせてもらえない、と他の3人がぼやいてました。焼き肉屋では豚バラを一皿だけ注文して、ごはんをドンブリ何杯食べられるか競争したりね」



ある日、一年生だけが校庭に一列に並ばせられた。

ひとりずつ大声で目標を宣言する、という恒例行事だった。

「選手権で優勝することです!」

ある一人が、いきなり大きく出た。



すると次の本田は、さらなる大声で叫んだ。

「世界一のプレイヤーになります!!」

サッカー部員一同、あまりのスケールの巨大さに度肝を抜かれたという。






そして上がったプロの舞台

名古屋グランパスにはその時、ウェズレイというブラジル人エースがいた。

ところがある紅白戦、本田はウェズレイにパスを出さずに、自分でシュートを打った。



ウェズレイは怒鳴った

「なんで俺にパスを出さないんだ!」

本田は少しも臆せずに、こう返した。

「オレの方が、チャンスがあった」



そんなやり取りを見ていたネルシーニョ監督(当時)は、本田を「100人に一人のメンタル」と高く評価した。

「先輩も後輩も関係なし。17歳であれほどのメンタルをもっている人間に出会うのは簡単なことではない。こういう選手がふたたび現れるには、あと100年はかかるんじゃないかな?」






はじめて日の丸を背負ったU-20代表

初戦のオランダ、本田はボランチで先発出場

だが働きが思わしくなく、後半途中に交代させられた。



その夜、本田は突然、大熊監督の部屋をたたいた。

「本当に驚きました。キャプテンでさえも部屋に来たことがなかったので」と監督。

本田は直訴した。

「もう一度頑張りたい。次の試合でチャンスをください!」



監督は振り返る、「私がユース代表を率いている期間に、『出してくれ』と直訴してきたのは本田が最初で最後」

本田は、それほど諦めの悪い男であったという。

「でも結局、本田の出番はありませんでしたが(笑)」






認められなくてもいい

笑われてもいい

叩きのめされてもいい



かつて本田は、ジュニアユースの落第生だった。

だが気がつけば、ライバルをごぼう抜きにして、日本代表のエースとして君臨していた。










それでも本田は、まだまだ道の途上。

電撃意識したイタリアのビッグクラブ、ACミランでの評価は思いのほか低かった。



「ミランでのプレーは惨憺たる内容だった」

パオロ・マルディーニ(元イタリア代表)の評価は厳しい。

「”日本代表の本田”と”ミランの本田”とは、まるで別人だ。本田という選手は周りの動き次第で自身のプレーの質を極端に変える。そんな類いの選手だ。だから、もう4年以上もの時を共にすごしてきた代表と、わずか数ヶ月のみを過ごしただけのミランでは、彼個人のパフォーマンスにも大きな違いがあって当然だろう」



本田は言う、「苦労はするとわかってミランに移籍したわけですから。案の定、叩かれて…。まあ、そうなるわな。みんなメッシが来ると勘違いしてたんちゃうかな?」

残念ながら今の本田はまだ、メッシやロナウジーニョのように「一人で違いを生み出せる選手」とまではいっていない。



「俺はミランで孤立している。あえてね」

そう言う本田は、”あえて”ミランの他の選手たちとは違う行動をとってみせる。試合へのアプローチもすべて、本田なりのやり方を貫いている。

「ようは、チームに付き合わないわけですよ」

本田ひとりでは結果をだせない。必ずチームメイトを必要とする。だがビッグクラブにあっても、自らをチームメイトに合わせる気はない、と本田は言う。あくまでも、チームメイトが自分のほうに溶け込んでくるように仕向けるのであった。

——現在、所属するACミランでは、周りとプレーイメージが異なり、本田はもがき苦しんでいる。だが、これも進化の儀式のひとつだ(Number誌)。








ある試合、本田は不思議なボールを蹴った。

そのフリーキックの映像をスローでじっくり見てみると、縦に緩やかに回転して落ちている(回転は1秒間に3〜4回)。

前回の南アフリカW杯、本田は「無回転」シュートで世界の耳目をあつめた(ブレ球)。だが今回、彼は「縦回転」のFKを模索していた。野球でいえば無回転はナックルボール、縦回転はフォークボール。

「壁の上を越える軌道を描き、かつキーパーがとれないボールを蹴る」

壁を越えて急激に落ちるボール。まるで大空翼のドライブシュートだ。






認められなくてもいい

笑われてもいい

叩きのめされてもいい



本田にだけは見えている道がある。













(了)






ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2014年 7/17号 [雑誌]
本田圭佑「走り続ける男が目指す道」



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