2013年6月30日日曜日

「ピラミッドの化粧まわし」。初のエジプト関取、大砂嵐



大相撲初のアフリカ大陸出身

エジプト人関取、その名も「大砂嵐」金太郎。



相撲を始めたのは15歳。

インターネットで見た貴乃花に憧れて。このとき本人すでに120kgで筋肉隆々。相手の力士は身体が細く、「片手で倒せる」と思った。

「でも、何度やっても勝てなかった。頭、パニックね」



2年前、日本の大相撲への憧れが抑えきれず、「入門志願の手紙」を複数の相撲部屋に送る。

だが、エジプトからの手紙にほとんど返信はなかった。だが唯一、大嶽部屋のみが「断りの返事」をくれた。



初来日はその2年前、大学で学んでいた会計学を休学して日本にやって来た。時はエジプト革命。本国は「アラブの春」の嵐の中だった。

彼が真っ先に向かったのは、入門の断りの返事をくれた大嶽部屋(おおたけ・べや)。直談判は2度の来日を経て、ついに実を結ぶ。

大嶽親方は「最近の日本人にはない『熱いもの』を感じた」と、その心意気を買ってくれたという。



はじめて「ちょんまげ」を結って土俵に上がったのは「5月場所」。

結果は7戦全勝、幕下優勝。

次の「7月場所」での十両昇進が決定した。そのスピード出世は、元大関の小結とならぶ「最速タイ記録」。



だが、その来場所7月は折悪く「イスラム教のラマダン」。敬虔なイスラム教徒である大砂嵐は、日中の「断食」を強いられる。

「ラマダン、大丈夫?」と、大嶽親方は心配そうに声をかける。

「ダイジョウブです。我慢、大事。厳しいルールも我慢する」と大砂嵐。



日中の食事はダメでも、夜中になら食べてもよい。

「ラマダンは自分で夜食をつくったり、近くのマクドナルドに行ったりして乗り越える予定だそうだ(Number誌)」

昨年も、夜中に起きて食べていたのだとか。



「真面目で素直」な大砂嵐。

大嶽親方は「宗教も外国人も関係ない」と言ってくれている。

「親方が、相撲は心が一番大事(と言った)。相撲スキ。親方スキ」と大砂嵐は、大きな目を輝かせる。



いよいよ来場所(名古屋場所)

大砂嵐の「ピラミッド柄の化粧まわし」が登場する。

ラマダンの月に、関取デビューだ!







(了)






関連記事:

稽古嫌いの「新三役」。隠岐の海 [相撲]

「勝つべくして勝つ」。存在そのものが横綱の格

なぜ不振? 大相撲「九州場所」



ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 6/27号 [雑誌]
「ラマダンも『ダイジョウブ』。親方も動かす大砂嵐の熱意」

日本人の知らない世界「9秒台」。桐生祥秀にかかる期待 [陸上]



日本の17歳が出した100m「10秒01」という衝撃的タイム。

15年間止まっていた針を動かそうとしている「高校生」がいる。



おなじみとなった「紺のランニングにピンクのランパン」を身につけた坊主頭、「桐生祥秀(きりゅう・よしひで)」。

「まだ成長途上にある高校3年生はタイムだけでなく、30m過ぎからの爆発的な加速、中盤のスムーズな走り、そして後半のストライドの伸びでも観客の度肝を抜く(Number誌)」

否が応でも、アジア人初となる「9秒台」誕生の期待は高まる。










「今年中に『9秒台』が出るのは100%間違いない」

そう言い切るのは、自身「10秒00」の記録を持つ日本人「伊東浩司」。伊東は1998年、重心移動を重視する独自の走りによって、日本人の知らなかった「9秒の世界」を目前にした。

9秒台に「ギリギリまで迫った」のは伊東ばかりではない。朝原宣治(10秒02)も、末續慎吾(10秒03)もそうだ。



だが、伊東の「10秒00」から15年間、9秒台のカベを破った日本人はまだ誰もいない。あたかも時計の針が止まってしまったかのように。

「末續も、浩司さんや僕もギリギリまで迫っていた。しかも1回ではなく、何回もチャンスがあって、いつ出てもおかしくなかったんです。それでも日本人は9秒台に届きませんでした」と、朝原宣治(現・大阪ガスコーチ)は語る。

世界で初めて9秒台の記録が出たのは、メキシコ五輪(1968)。それから45年経つものの、アジア人はまだその世界に足を踏み入れていないのである。






そんな日本に突然飛び出した「10秒01」。

洛南高校3年生の桐生祥秀は、「ここまで来たからには、9秒台は一番最初に出したい」と、活きのいい言葉を吐く。

「目標は『9秒96』。パッと頭の中に浮かんだ数字です」と桐生は言う。



日本のスーパー高校生の名は、いまや世界の陸上界にも広く知られている。

「10秒01というタイムに加え、『スプリント技術の高さ』に外国人選手や関係者らは舌を巻く(Number誌)」

9秒58の世界記録をもつ「ウサイン・ボルト(ジャマイカ)」は、桐生を「10年に一人の逸材」と褒め称える。

今季世界最高の9秒86を出している「タイソン・ゲイ(アメリカ)」は、「(桐生の)レースの動画を見て驚いた。17歳とは思えないね」とコメント。



シドニー五輪100m銀メダリストで現在解説者の「アト・ボルドン(トリニダード・トバゴ)」は、桐生をこう絶賛する。

「ジュニア選手は記録と技術が伴わないことが多いが、桐生の技術は素晴らしい。17歳という年齢にばかり焦点が当てられているが、スタートから加速部分の技術はシニア選手にも引けをとらない」



世界も大注目の桐生祥秀は、世界最高峰のダイヤモンド・リーグから「招待」を受けた。

同リーグに参戦するのは、世界記録保持者の「ウサイン・ボルト」、そして「タイソン・ゲイ」など世界の一流スプリンターたちばかりである。

「過去も日本人選手はダイヤモンド・リーグの試合に出場しているが、『招待による出場』はおそらく初めて(Number誌)」






日本人スプリンターたちが、綿々と追い続けてきた「9秒台」の夢。

17歳の桐生祥秀が「10秒01」なら、21歳の山縣亮太は「10秒07」、24歳の江里口匡史も「10秒07」。

「今の日本の短距離陣の勢いは、誰かが9秒台に入れば、その後に続々と選手が続いていきそうな勢いだ(Number誌)」



いままで「壁」と言われ続けてきた「10秒」。

いまや、そこから頭を出そうとしている若者たちが意気盛んである。

「夢が夢でなくなった時、10秒が壁と言われた記憶も人々の頭の中から消えていくのだろう(Number誌)」

さあ、日本人の知らない世界へ…!













(了)






関連記事:

「山縣亮太」と「桐生祥秀」。100m決戦

金メダリストの「曲がった背骨」。ウサイン・ボルト

タイム計測、「誤差」とのせめぎあい。



ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 7/11号 [雑誌]
「『10秒の壁』を打ち破れ」
「日本一足の速い高校生、陸上世界最高峰リーグへ挑む」

2013年6月29日土曜日

「世界と戦うチーム」東洋大水泳部。平井伯昌の下で



日本最強、いや世界屈指といっても過言ではないかもしれない水泳チーム。

名伯楽「平井伯昌(ひらい・のりまさ)」氏率いる「東洋大学・水泳部」。







同氏の育てた北島康介はじめ、松田丈志、萩野公介、寺川綾、加藤ゆか、上田春佳といったオリンピック・メダリストたちが名を連ねる。

「これまでスイミング・クラブや大学などでマンツーマンに近い形で選手を強化することが多かった日本水泳界において、多数のトップ選手たちが互いに刺激し合いながら成長しようという試みは、水泳界の未来に一石を投じるものだ(Number誌)」

ロンドン五輪で56年ぶりに「高校生メダリスト」となった萩野公介は、目を輝かせて「水泳好きが集まる日本最高の場所」と語り、200m平泳ぎで世界記録をもつ19歳・山口観弘は「世界基準(グローバル・スタンダード)」と誇る。







「大学院には、他大学を卒業した優秀な人材や社会人を受け入れるという器がある。水泳界でも同じ形で『大学院のような場』があっても素晴らしいのではないかと思っていたんです」と平井氏。

仕掛け人である彼は、東洋大水泳部をそんな場所にしたいと考えている。平井氏はロンドン五輪でヘッドコーチとして辣腕をふるい、日本競泳陣としては戦後最多の「11個のメダル」を獲得している。

「いまの1年生が4年生になった時に『リオ五輪』があるけど、そのまた4年後の2020年の五輪で彼らは26歳、選手として最高のタイミングになる。だから、その時のための環境づくりを今のうちからやっておきたい、というのがあったんです」と平井氏は話す。



「世界と戦うチーム」というブランディングをしていきたい、と平井氏は言う。

「今の学生は僕らの頃と違って『平等意識』のようなものがあって、白黒つけないようなところがあると感じています。そこにスイミング・クラブのような『競争意識』を持ち込みたいと思ったんです」



平井氏がモデルとするのは「最強スイマーを量産するアメリカ」。

北島康介が北京オリンピック後に本拠地とした「南カリフォルニア大学」には、世界中から優秀な選手たちが集まってチームを形作っていた。

「今の1年生にとって、北島や松田、寺川、上田といったオリンピアンたちと一緒に練習できるのは、どれだけ幸せなことか。松田(丈志)と荻野(公介)なんか、競り合いながらモノ凄い練習をしている。面白いですよ」と平井氏は言う。

萩野公介、山口観弘ら10代のゴールデン・エイジは、東洋大水泳部がそうした体制を整えた絶妙なタイミングで合流してきた。







高校卒業を控えた山口観弘は、「強くなるためには、どこへ行けばいいのか」を考え、「平井先生が来年から監督になる東洋大でやるのが一番だ」と思ったという。

オリンピック代表への思いは叶わなかった山口であるが、平井氏から口を酸っぱくして言われていたのが「大きな泳ぎ」だ。

「ロンドン五輪の北島(康介)さんの泳ぎを見て感動して、そこからものすごく練習を頑張った」と山口は言う。その結果、昨年9月に行われた国体で、山口観弘は2分07秒01の「世界記録」を樹立するに至る。







また、チームメイトで同年齢の萩野公介に刺激され、日本選手権では世界選手権代表の派遣標準記録を突破することもできた。

「寮で同室になる萩野(公介)にあれだけ活躍されたら、自分もやらないわけにいかないと思いましたね」と山口は笑う。

その萩野公介は日本選手権、「5冠獲得」という圧巻の泳ぎを披露していた。







萩野公介は当初、アメリカ行きを考えていたという。その理由は「トップ選手がたくさんいて、自分の力になるものが多い」と思っていたからだ。

だが、「同年代にも強い選手がいる平井先生のところが、日本では一番いい」と考えた。そして、アメリカ行きはとりあえず大学を卒業してから考えることにした。



今では、「小さい頃から怪物だった選手と一緒に練習ができるとわかって、楽しみが増えました」と萩野は笑顔で話す。

「今までは一人で練習していましたが、それだと悪い面もでてくるので…。松田さんが来たり、北島さんが戻ってきたりして、トップ選手と一緒にやれるというのは、大きな理由の一つです」

目の前で泳ぐ北島康介や松田丈志の泳ぎを見ることで、萩野は苦手としていた平泳ぎやバタフライのフォームを「イメージしやすくなった」と言う。







オリンピアンの集う東洋大水泳部では、「目指す存在」が身近にいる。

そこは「成長できる場所であり、成長しなければならない場所」である、と萩野も山口も言う。



上々のスタートを切った「平井&東洋大水泳部」

「最初、理想の形ができるのは萩野や山口が卒業してからと思っていたんです」と平井氏は話す。だが、もうすでに今年4月の日本選手権でしっかり結果を残している。萩野と山口に加え、内田美希と宮本靖子も世界選手権の代表に選ばれた。

「だから今は、4年後の姿を見ているような感じでもあるんですね」と平井氏は言う。



目指すは、3年後のリオ五輪。

「トップにならなければならない選手たち」が平井氏のもと、しのぎを削る…!







(了)






関連記事:

五輪メダル圏内のタイムをもつ18歳、「萩野公介」 [水泳]

あっさり世界新記録。山口観弘(水泳)

人のため、自分のために。松田丈志(競泳)



ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 6/27号 [雑誌]
「平井伯昌コーチと東洋大水泳部、常識への挑戦」

データで見る日本代表、コンフェデ杯 [サッカー]




日本は弱かったのか?

サッカー・コンフェデレーションズカップで「3連敗」。

「日本代表への評価が揺れている。だが、批判も主観的で抽象的なものが多く、具体的には何が良くて、何が悪いかはっきりしない。こういう時は、客観的な『データ』をヒントにすると見えてくるものがあるだろう(Number誌)」



そのデータは「カストロール・インデックス」と呼ばれるもので、カストロール社が細かく分析を行なっている(FIFAのWebサイトに詳細あり)。

「パス、タックル、ダッシュといった試合におけるすべてのプレーを分析・数値化したもので、得点や失点にポジティブな影響、もしくはネガティブな影響をどの程度与えたかも考慮される。また、ピッチを細かく複数のエリアに区切り、パスやシュートの難易度も考慮(Number誌)」










グループリーグ終了時の
「トップ5」

1位 セルヒオ・ラモス(スペイン) 9.57
2位 フレッジ(ブラジル) 9.47
3位 ジョルディ・アルバ(スペイン) 9.38
4位 バロテッリ(イタリア) 9.30
5位 ルガノ(ウルグアイ) 9.23

ちなみに、ブラジルのネイマールは17位(8.58)



FIFA(国際サッカー連盟)発表
「ベスト・イレブン」

GK ジュリオ・セーザル(ブラジル)
DF セルヒオ・ラモス(スペイン)
DF ジョルディ・アルバ(スペイン)
DF ディエゴ・ルガーノ(ウルグアイ)
DF マルセロ(ブラジル)
MF アンドレス・イニエスタ(スペイン)
MF 本田圭佑(日本)
MF ルイス・グスタボ(ブラジル)
MF リカルド・モントリーボ(イタリア)
FW フレッジ(ブラジル)
FW マリオ・バロテッリ(イタリア)

日本代表でベスト11に選出されたのは「本田圭佑」ただ一人。グループリーグ敗退国から選ばれたのも、本田圭佑のみ。

「コンディションは100%ではなかったが、きっちり“数字”を残すのはさすがである(Number誌)」










日本代表のランキング

14位 本田圭佑  8.72
16位 岡崎慎司  8.62
22位 香川真司 8.36
23位 遠藤保仁 8.32
58位 長谷部誠  7.11
63位 長友佑都  6.96
73位 吉田麻也  6.65
85位 前田遼一 6.29
86位 今野泰幸 6.26
94位 細貝萌      6.01
106位 内田篤人 5.63
120位 栗原勇蔵 5.16
125位 川島永嗣  4.99
126位 清武弘嗣  4.95
131位 酒井宏樹 4.76
140位 ハーフナー・マイク 4.38
140位 乾貴士    4.38
140位 中村憲剛 4.38

本田圭佑が全体の14位でありながら、ベスト11に選出されているのは、彼のポジションであるMF(ミッドフィルダー)に上位選手がいなかったからである。MF部門で本田は、イニエスタ(スペイン)に次いで第2位。

「ポジションで言えば、センターバック、1トップ、右サイドバック、ゴールキーパーの評価が芳しくなかったということだ(Number誌)」

グループリーグ「9失点」という失点の多さは、データの中にも表れているようだ。










では次に、日本の入っていたグループA組のデータ。



アタッキング回数

イタリア 63
ブラジル 49
日本代表 49
メキシコ 49

「アタッキングの回数は、日本はブラジル、メキシコと同数だった(Number誌)」



シュート数(枠内シュート)得点

ブラジル 40(27)9得点(成功率 22.5%)
イタリア 36(19)8得点(成功率 22.2%)
メキシコ 37(19)3得点(成功率 8.1%)
日本代表 35(23)4得点(成功率 11.4%)

「得点数に差はあるが、シュート数はほぼ互角である(Number誌)」



パス数(成功数)

ブラジル 1,621(1,238)成功率76%
日本代表 1,569(1,169)成功率75%
イタリア 1,474(1,097)成功率74%
メキシコ 1,402(1,019)成功率73%

「パス数では、イタリアとメキシコを上回っている(Number誌)」



以上、これら「攻撃」に関するデータにおいて「日本は他の3チームとほぼ互角」だった。

では、なぜ日本は攻撃面でこれだけいい数字を残しているのに、勝利に結びつかなかったのか?

「簡単に言えば決定力が低く、守備でミスが多かった(Number誌)」










以下、日本代表のデータが低い部分



タックル数(成功数)

メキシコ 37(17)成功率45.9%
ブラジル 31(13)成功率41.9%
イタリア 30(8)成功率26.6%
日本代表 16(5)成功率31.2%

「タックルなしでもボール奪取は可能だから、タックル数が多ければいいというわけではない。だが、日本は飛び抜けて少ない(Number誌)」



ソロ・ラン(スペースへの走り込み)

イタリア 73
ブラジル 65
日本代表 50
メキシコ 40

日本は、イタリアとブラジルを大きく下回っている。



クロス数(成功数)

イタリア 66(10)成功率15%
ブラジル 51(16)成功率31%
メキシコ 47(13)成功率28%
日本代表 33(11)成功率33%

日本のクロス成功率は高い。だが、その回数はイタリアの半分。

「一か八かのクロスを上げないのは評価できるが、もっとクロスを上げる場面を作りたいところだ。サイドからの攻撃を重視する割にはクロスが少なすぎる(Number誌)」










(了)






関連記事:

「善戦」と「結果」。一睡の夢は儚くも… [サッカー・コンフェデ杯]

価値ある敗戦。「誇り」を取り戻したイタリア戦 [サッカー日本代表]

日本、完敗…。ブラジル戦 [サッカー]



ソース:Number
「なぜコンフェデ杯で全敗したのか!? データが示す日本代表の意外な弱点」

2013年6月28日金曜日

テニス・ウィンブルドン、「魔の水曜日」



テニス・ウィンブルドン

女子・世界ランク3位の「シャラポワ」が、まさかの2回戦敗退。相手は世界ランク131位と低迷していたラルシェル・デ・ブリートだった。



この試合中、シャラポワは「3度の転倒」に見舞われ、試合途中の休憩で左臀部の治療を受けた。

その際、コート・コンディションの「危険性」を主張したが、試合はそのまま続行され、結局シャラポワはストレート負けを喫してしまった。

試合後、シャラポワは「これまでのキャリアを通じても、1試合で3回も転んだのは初めてだと思う。だから、ちょっとおかしいと思った」と話している。



一方の対戦相手ラシェル・デ・ブリートは、こう話している。

「彼女(シャラポワ)は、かなり激しく転んでいた。こういったグラス(芝)コートは滑りやすくなることがあるのよ。刈られた芝が残っていることも多くて、その芝が表面にあると滑りやすくなるのよね」










一方、世界ランク2位の「アザレンカ」も2回戦の開始直前になって、「棄権」を余儀なくされた。

その後の記者会見でアザレンカは、「コートの状態が、選手の安全性を守るものではなかった」と批判している。

じつは、アザレンカは1回戦で「試合中に泣いてしまうほど激しい転倒」をしており、MRI検査の結果、右ヒザをひどく損傷していたのだ。



その1回戦を振り返るアザレンカ、「あの日のコートの状態は、あまり良くなかった。私の転び方はとくにひどかったけど、相手も2回転倒していた」。

その同じコート、アザレンカの試合後も転倒者が出ている。



女子シングルスは、「疑惑の芝」によって早々に世界ランク2位(アザレンカ)と3位(シャラポワ)が姿を消した。

と同時に、男子シングルスでも、世界ランク3位のフェデラー、同5位のナダルもすでに敗れている(フェデラーは2回戦敗退、ナダルは初戦敗退)。










大荒れに荒れている今年のウィンブルドン。

とりわけ、シャラポワ、フェデラーらの消えた「6月26日の水曜日」は「魔の水曜日」と呼ばれている。

「試合前と試合中を含めて『棄権選手が一日に7人』も出たのは、グランドスラム(四大大会)史上初めての出来事だった(AFP通信)」



選手らは「コート状態」に疑問を呈しているわけだが、クラブの広報担当者はコートが危険な状態にあることを「否定」している。

「コートの事前整備は細部にわたって例年と同じ基準で行なっている。選手なら、大会開始直後のサーフェス(表面)が芝で密生しているのは理解しているはずだ。多くの選手から、コートは非常に良い状態だという賞賛の声も届いている」



「滑る」グラスコートにうまく対応した選手にはチャンスが広がっている。

とりわけ、世界ランク2位の「マレー」は母国ウィンブルドンでの初優勝を生涯の悲願としている。昨年大会は決勝で敗れ、「センターコートで号泣」した。



というのも、イギリスで行われる「ウィンブルドン大会」において、最後に地元イギリス人選手が優勝したのは「1936年大会(フレッド・ペリー氏)」。じつに77年間も、イギリス人選手は本国優勝から遠ざかっているのである。



「魔の水曜日」は雪辱に燃えていたマレーに幸いした。昨年決勝で苦杯を舐めさせられた相手、フェデラーはグラスコートに消えてしまったのだ。

世界ランク3位のフェデラーが2回戦で敗れるのは、過去10年の四大大会(グランドスラム)ではこれまでなかったことだ。










マレーは冷静に、「魔の水曜日」について語る。

「それがスポーツさ。何が起こるかわからない」

「番狂わせというのは、日々起きること。人は先読みしがるけど、そんな予想通りに事は運ばないんだ。いろんなことがいとも簡単に起きてしまうんだから。階段から落ちることがあるかもしれないし、靴ヒモにつまづいてしまうかもしれない」



そのマレーは順当に3回戦に勝ち上がり、確実に優勝への階段を登っている。










(了)






関連記事:

気を吐く42歳、クルム伊達公子 [テニス]

トップ10まで、あと一歩。錦織圭 [テニス]

「挫折」と松岡修造



ソース:AFP通信
有力選手が相次いで脱落、ウィンブルドンを襲った『魔の水曜日』


伝統から「近代化」へ。レスリングの復権を賭けて



「まさに事件だった」

松岡修造氏がそう言うのは、「レスリング」がオリンピックの中核競技から「除外する」と決定したことだった(2013年2月)。



「IOC(国際オリンピック委員会)は、なぜこのような判断をしたのか?」

松岡氏が主要人物に話を聞くうちに浮かび上がってきたキーワードは「近代化」だった。










IOC(国際オリンピック委員会)の理事会のメンバーの一人、「C.リーディー副会長」は、こう説明する。

「我々の判断基準は明確だ。その競技が『どう発展しきたか』、『どう近代化してきたか』を見る。修造、これは地球上で最大のショーに参加するための競争なんだ。オリンピックを目指すのであれば、競技同士は競い合わなければならない」と。



レスリングが「近代化していない」という指摘に対して、FILA(国際レスリング連盟)はどう考えているのか?

松岡氏は、FILA(国際レスリング連盟)の本部のあるスイスへと飛んだ。FILAの会長は、大柄で愛嬌のある「ラロビッチ」氏である。

「レスリングはとても『伝統的』なものだから、何も起こらないと思っていた。だから、他のすべての競技が取り入れている『近代化』をまったく気にかけていなかった」と、ラコビッチ会長は認める。

その一言は「衝撃だった」と松岡氏は言う。なんと、FILA(国際レスリング連盟)は、IOC(国際オリンピック委員会)の指摘する通り、「近代化の手」は一つも打っていなかったのである。



もし、オリンピック競技が「伝統」を競うものであれば、レスリングが他競技に引けをとることは決してない。なにせ、レスリングの歴史は紀元前を2,000年もさかのぼるほどに古い(メソポタミアの石板にそうあるらしい)。

そして、ギリシャのアテネで行われていた「古代オリンピック」を経て、1896年に開催された第1回アテネ・オリンピックからレスリングは採用されている。そうした競技はレスリングを含め8つしかない。

「レスリングは、1,000年単位で継承されてきた偉大な競技なのである(Number誌)」



だが、IOC(国際オリンピック委員会)の目指すのは、そうした伝統を頑なに守ることではなく、より分かりやすく、より面白く、各競技が「近代化」していくことだった。

この点、伝統という大きな背もたれに寄りかかっていたレスリングは、不意を突かれた格好になった。そして、IOC(国際オリンピック委員会)から急かされるように、レスリングはその深い椅子から立ち上がらざるを得なくなったのである。

皮肉にも、レスリング競技はその誇るところであった伝統によって、オリンピック競技から引きずり降ろされようとしていたのである。










レスリングは「テレビ視聴率」でも、マイナス点が指摘されている。

「ロンドンで行われた他の25競技に比べて、レスリングは『迫力』の点で劣っている。非常に間延びしていたのだ。ルールも複雑だ。よりエキサイティングに、より理解しやすくするかは彼ら(FILA・国際レスリング連盟)次第。ボールは彼らのコートにあるのだ」と、IOC(国際オリンピック委員会)のリーディー副会長は言う。



目の覚めたFILA(国際レスリング連盟)のラロビッチ会長は、勢いよくその決意を語りはじめる。

「私たちは、いい製品を提供しなくてはならない! それはまさに『面白いレスリング』だ! 新しいルールを採用し、この50年でやらなければならなかった仕事を、3ヶ月で成し遂げなければならない!」



オリンピックは、良くも悪くも「魅せる競技」。

「大事なのは、時代に合ったスポーツであるか? 観る側にとって魅力的なのか? という点だ」と、松岡氏は語る。



現在のオリンピック競技は、より迫力のある、よりエキサイティングな「エクストリーム系」が採用される傾向が強い。たとえば、冬季大会のスノーボードなどがそうである。

この点、レスリング競技と残り一枠を競う「スカッシュ」には分がある。

「最終的には、レスリングが体現する『伝統』と、スカッシュが表す『ニューウェーブ』の対決となるだろう(Number誌)」






松岡氏も最初は「古代オリンピックから行われている競技が外されるのはおかしい」と思っていたという。だが、取材を続けるうちに、その認識が世界と「ズレていた」ことに気づかされる。

1968年のメキシコ以来、すべてのオリンピックを取材しているイギリス人記者は、こう語る。

「なにをそんなにアタフタしているんだ。日本はレスリングでたくさんメダルを取っているから驚くだけだ。近代化されたスポーツにとって、これは当然の結果だよ」



じつはオリンピックに限らず、世界のどのスポーツにおいても、「近代化」という問題に直面していたのである。

「進化していかなければ、そのスポーツは存続できないのだ(松岡修造)」










「自分の罪と過ちを理解するのは、自らが最後であったりするものだ…」

FILA(国際レスリング連盟)のラコビッチ会長は、そう悲しげに語る。それでも、まだ諦めたわけではない。

「レスラーは決して戦うことをやめない。マットで転んだら立ち上がるだけだ」と、ラコビッチ会長は不屈の言葉を吐く。



現在、残り一つとなった競技枠を競うのは、「レスリング」「野球・ソフトボール」「スカッシュ」の3競技。

残る一枠は、今年(2013年)9月にブエノスアイレスで開かれるIOC総会に諮り、約100人の委員による投票で最終決定されることとなる。













(了)






関連記事:

霊長類最強の女「吉田沙保里」。眠れぬ夜と13連覇(レスリング)

オリンピックから消えたソフトボール。上野由岐子

誤審とフェアプレー。ロンドン五輪に想う



ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 6/27号 [雑誌]
「五輪に生き残るためレスリングが下した決断 松岡修造」