2018年6月20日水曜日

「われわれは、その1インチを戦うんだ!」


From:
Number 953







『Any Given Sunday』は、米国のプロフットボール、NFLの舞台裏を描いた、スポーツ映画の佳作である。

クライマックスのプレーオフ進出をかけた試合前、ミーティングでヘッドコーチのトニー・ダマト(アル・パチーノ)が語るスピーチには震えさせられる。

「人生もフットボールも、われわれが犯す過ちは、気づかないほど小さいものだ」

ダマトは選手たちを見回して、こう語りかける。

「だが、半歩遅くても、早くても、失敗する。半秒遅れても、早くても、(ボールを)取り損なう。その1インチは、身の回りのあらゆるところにある。試合にも、一瞬に、一分、一秒ごとにある。われわれは、その1インチを戦うんだ!」






From:
Number(ナンバー)953号 
日本代表、全力で闘え! WORLD CUP RUSSIA 2018

2018年5月20日日曜日

「岩が砕けるまで、打ちつづけるしかないんだ」【ラグビー】


From:
Number(ナンバー)952号

近藤篤
スーパーラグビー見聞録
サンウルブズ 南半球 岩を砕く激闘





『スリーハンドレッド』って映画、見たことあります?」

「あります」





観たことのない人に簡単に説明すると、この映画はギリシアのスパルタに攻め込んできたペルシア軍の大軍を、わずか300人のスパルタ兵士たちが食い止めようとする話で、歴史上実際にあった「テルモピュライの闘い」というペルシア戦争中の史実をモチーフに制作されている。

映画全編を通じて、ものすごい数の兵士が血を噴きあげながら命を落とし、最後はその300人のスパルタ兵士も1人を残し全員が惨殺される。





「ぼくは、あの300人にちかい感覚で戦っています。毎回、とんでもない相手に戦いを挑んで。…今のところ、ペルシアの王様の頬にかすり傷すらつけられていないことは事実なんですけど、ほらやっぱり勝てないじゃん、って周りの人にさらっと言われると、なんかわかってもらえてないなあ、ってちょっとだけ思ったりもします(ラグビー、サンウルブズ、浅原)」





ハリケーンズの広報部長と一瞬目が合ったので、握手の手をさしのべると、彼は微笑みながら、こんな単語を口にした。

「ペイシェンス」

忍耐?

「そう、君たちにはペイシェンスが必要だ。そうすれば、いつかサンウルブズもハリケーンズのようになれるさ」

ハリケーンズはチームの創立が1996年、初優勝は2016年、つまり優勝までに実に20年の歳月を費やした。サンウルブズは創立してまだ3年足らず。





選手が全員ロッカールームに戻ってくると、まずジェレミー・ジョセフHCが口を開き簡単な挨拶をする。

「今日の君たちを自分は誇りに思う」

そう選手たちを褒め称えた後、ジェレミーはこう付け加えた。

「とにかくこうやって、岩が砕けるまで拳を打ち続けるしかないんだ」

そう彼らは岩に向かってひたすら拳を叩き込んでくる。そして誰もが知ってるように、岩というものはとても硬く、そしてそう簡単には砕けない。とくにニュージーランドの岩は。





「うまくいってる時、人は自分のやっていることを信じ続けられる。でも、うまくいかないときでも信じ続けられるかどうか、それが本当に大事なことだし、皆には今やっていることを信じ続けていってほしい。そうすれば、絶対に結果はついてくるから」

なんという素敵な言葉だろう。この南アフリカ出身の、まるで精巧なロボットのような肉体をもつ心優しい男は、こう続けて、手にもった缶ビールを一気に飲み干した。







From:
Number(ナンバー)952号

近藤篤
スーパーラグビー見聞録
サンウルブズ 南半球 岩を砕く激闘

2018年5月8日火曜日

「ああ、邪念か」【村田諒太】


From:
Number(ナンバー)951号




多読から、一読へ。

イタリアから挑戦者エマヌエーレ・ブランダムラをむかえる初防衛戦をまえに、村田諒太(むらた・りょうた)は最終調整で数日すごすことになる都内のホテルに、一冊の本を持ちこんでいた。





心理学者ビクトール・フランクルの『夜と霧』

第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所での体験を基に、生きる意味をしるしたフランクルの代表作である。

村田は”戦場”へむかうまえに、なぜ読みこんできたこの本をバッグに忍ばせたのか――。


読書家は、こう応じた。

「その本について、なにを見ようとしているのか、が人にはあって、いまの自分にとって必要な箇所というものを見るわけです。読者である自分の心理がかわれば、読むところ、心にふれるところが変わってくる」


彼が必要とした箇所は、

「苦しむことへの意味」

フランクルがさまざまな本で、記してきた問いかけでもある。

《今までのうのうと生きてきた私たちにとって、自分の内面がどうこうと窺い知ることはできなかった。だから私はこのひどい運命に感謝している》





村田諒太「心のどこかで、試合なんかしたくない、という気持ちだってありましたよ。そういう弱い自分とむきあう時間があって、だからこそ苦しみもふくめてボクシングなんだ、と。よくスポーツの世界では、”楽しめ”とか言うじゃないですか。それができればいいですけど、無理に楽しむ必要もないなって」



リングには素のままの村田諒太がいた。

「もうすぐ始まるし、もうすぐ終わる」

と、なるようにしかならないぐらいの、達観にちかい不思議な感覚につつまれていた。

明鏡止水の心もち。





テーマの一つにしていたのが、

「邪念とのたたかい」

だった。



試合にむけ、ことあるごとに「邪念」というフレーズを口にしては、おのれの心の支配下におこうとしていた。これは帝拳プロモーションの代表で、元世界王者の浜田剛史氏からうけた言葉だという。

「試合にむけたスパーリングって、はじめの2週間はいいんですけど、かならずといっていいほど3週目に悪くなる。最初は、疲れかなと思っていたんですけど、浜田さんに言ったら

『ああ、邪念か』

と。なるほど、2週目で感覚をつかんで、3週目でいろんなことをやってやろうと思うから、くずれてしまう」


ただ、その「邪念」を抑えようとはしない。むしろ受け入れて、コントロールしていく。

「だって、それ(邪念)がなかったら、チャレンジしなかったら、成功も失敗もないじゃないですか。ダメな時期にはなりますけど、そのうえでの成長がある」



苦しみを受け入れて、苦しみと向き合う。

邪念を受け入れて、邪念と向き合う。

宿命を受け入れて、宿命と向き合う。



村田は言う。

「最近、思うようなったのは、アスリートとしてリスペクトされるアイコンでなければならない、ということ。挑戦する姿を、人は見ていますから」






From:
Number(ナンバー)951号 
ICHIRO BACK TO MARINERS 2018