2014年6月16日月曜日

コートジボワールの「神」 [ドログバ]




コートジボワールが初めてサッカーW杯への切符を手にしたのは2006年(ドイツ大会)。

内戦のまっただなかの貴重な歓喜であった。



その立役者となった「ドログバ」は、TVカメラの前でひざまずき「武装解除」を訴えた。

そして言った、「サッカーは宗教のようなもの。その力を、母国の未来に活かすんだ」

その言葉どおりにコートジボワールのサッカーを宗教とすれば、その「神」は紛れもなくドログバであった。






ドログバ2度目となった南アフリカW杯(2010)。

代表監督のエリクソンは言った、「実力はもとより、ドログバのカリスマ性は欠かせない」。

当時のドログバはすでに32歳になっていた。だが、代表には依然欠かせない存在であった。



2年前(2012)の欧州CL(チャンピオンズリーグ)決勝

1点をリードされたままのチェルシーを、死の淵から救ったのはドログバだった。フルタイム2分前、起死回生のヘディングで同点に追いついた。

そしてドログバはチェルシーでの最後を、PKの成功で締めくくる。クラブは史上初の欧州CL(チャンピオンズリーグ)優勝へと導かれた。








今年、36歳になっていたドログバは、その衰えを指摘される向きが多かった。

だが、今年の欧州CLで対戦したモウリーニョ監督は、ドログバを「ワールドクラスのまま」と高く評価していた。



ブラジルW杯2014にも、ドログバは代表メンバーに選出された。

新代表監督ラムシは言っていた、「ドログバを頼りにしない手はない」。

それもそのはず。コートジボワール国民にとって、ドログバはサッカー選手を超越した「神」なのだ。






そして、W杯初戦の日本戦

ドログバはベンチスタートとなったものの、その腰をベンチから上げた時、コートジボワール国民は大げさなほどに熱狂した。

その後半17分、ドログバがピッチに立った時、コートジボワールは日本の本田圭佑にとられた1点を追う展開だった。



ドログバ登場の2分後、コートジボワールはまず1点を取り返す。

そしてさらに2分後、あっという間に追加点を決め、逆転に成功する。

ドログバ投入から5分も経たずして、コートジボワールは試合を一気にひっくり返してしまった。ドログバは自身が得点にからまずとも試合の流れを激変させてみせた。そしてそのまま勝利へと雪崩れこんでいった。



まさに神、ドログバ

日本にとっては、まったく厄介な存在だった。



思えば4年前にも、日本はコートジボワールに完敗を喫していた(2010年6月4日)。

対戦後、長友佑都はその印象をこう語った。「あの時、自分は何もできなかった。自分のキャリアのなかでコートジボワールは一番強かったと思えるほどだった。それくらいのレベル差を痛感させられた」

この対戦中、ドログバは右腕を折られた。そして、その後に続いた南アフリカW杯、コートジボワールは1次リーグ敗退という末路をたどっていた。






そして今回のW杯、「割れんばかりの大歓声」に迎えられドログバが登場したとき、「日本の選手は震えているようだった」とフランスのラジオRFIは報じた。

試合終了後、FIFA公式のマッチレポートには、こう記された。

「象が日本を踏み潰した」






(了)






ソース:Number Web
ドログバ「コートジボワールの神」

Number (ナンバー) コートジボワール戦速報 2014年 6/25号 [雑誌]



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