2014年6月25日水曜日
「踏ん張らない」 [双葉山]
「踏ん張らない」
それが、昭和の大横綱・双葉山の相撲だったという。
「いっさい頑張らないんです。表情が変わらない。仏様のような顔で相撲をとっているんです」
元力士の松田哲博氏(一の矢)は、そう言う。
「相手が押してきた時、足をツルツルっと小刻みに滑らせることで、つねに腰の位置を安定させているんです。それでいつの間にか相手のほうがコロンと転がってしまう。ちょっと踏ん張ったことがあって、そのときは相手にはたかれて、バタンと落ちて負けています」
双葉山の姿勢は「直立」だったという。
「身体を立てることでインナーマッスルを利かせられると、経験的にわかっていたのではないでしょうか。前傾姿勢になると、どうしても太ももの前側にある大腿四頭筋に力が入ってしまい、股関節周辺の内転筋や裏側のハムストリング、お尻の大臀筋、中臀筋などをまんべんなく使うのは難しいでしょう」
直立という姿勢をとることによって、さまざまな筋肉に均等に負荷をかけていたのだという。
「インナーマッスルという言葉は当時なかったから、技術を言葉にはしにくかったでしょう。でも『土俵際で力を抜く』というようなことは、よく教えていたようです」
普通、相手が土俵際に詰まると、やっぱり押し出したい。
「押し出したいけれども、逆に力を抜くと相手は何もできないんです。押されると、こちらは踏ん張ったり、残したりできますが、反対に力を抜かれると、固体が液体になってしまうような感じです。双葉山さんは、良い当たりをしてくる力士がいると喜んで胸を貸すのですが、土俵際まで来るともう押せなかったと聞いています」
あるとき、増位山は土俵際でふっと力を抜いたことがあった。
すると双葉山はドンと飛んできて
「それだよ、それ」
と褒めたという。
元横綱・朝青龍、関脇の頃までは筋肉の力に頼った相撲をとっていたという。
松田哲博氏は言う、「だから前半戦はいいのですが、中日(なかび)を過ぎてくると疲れて、動きが悪くなってしまっていました」。
それが大関に上がる頃、そういった無駄な動きは消えてきた。
「ちょうどその頃、私がちゃんこ番だったのですが、厨房から稽古場が見えるんですね。すると朝青龍が踏んでいるシコがいいんです。それまでの足の筋肉をつかったシコではなく、重力を利用してストンと降ろしていた。すごくいい感じだなと思って見ていたのですが、その頃を境目に、どんどん強くなっていきました」
朝青龍の手の平や足の裏は、柔らかかったという。
「初めて朝青龍と握手した人は皆さん、『こんなに柔らかいんですね』といって感激されていました」
武道などでは「手の内は乙女のように」といわれ、何十年も剣を握っていたとしても、手の平にはタコなどなく、くにゃくにゃでつるつる、どこにも強ばりがないのが良いとされている。
松田氏は言う、「『相撲の神様』と呼ばれた幡瀬川という力士がいるのですが、この人は赤ん坊のような足の裏でした」。
大相撲の世界では、身体が柔らかい人は同体で倒れたときでも着地が後になると信じられているという。
「身体が柔らかい人とは、とにかくやりにくいんです。投げの打ち合いになっても、身体が柔らかい人には力の伝わり方が遅くて、こちらはワッと行くのに、相手が落ちるのはゆっくり、ということがあります」と松田氏。
松田氏はウェイトトレーニングに関しては、どう考えているのか。
「若いころはかなり必死にやりましたが、今は完全に否定派です。ある段階から先へ進むためには、かえって邪魔になることが多いように思います。近年、力士のケガが増えたのはウェイトトレーニングのせいだという意見もけっこうあるんです」
(了)
ソース:内田樹「日本の身体」
元大相撲力士、松田哲博
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