「皆さんは、『やわらかい身体』にどんなイメージを持っていますか?」
プロダンサー育生家の「稲吉優流(いなよし・まさる)」さんは、そう問いかける。
「やわらかさ」には種類がある。
たとえば、「柔らかい」と「軟かい」では、そのイメージが異なる。
「柔らかい」と言えば、柔道が連想され、そこには強さが内包されている。ところが「軟かい」と言えば、軟体動物のタコのようなものであり、軟弱な弱さを感じさせる。
まあ、この2つの「やわらかさ」をもってして、「柔軟」と言うのだが…。
外には軟らかく、内には柔らかい。
そんな理想的なやわらかい身体には「芯」がある。それを稲吉さんは「柔芯(じゅうしん)」と呼ぶ。
「ただ『軟かい』だけのダンサーは、芯がないのでバランスが取れず、カラダを固めてしまいます。しかし、『柔らかい』カラダには芯があるので、固める必要がありません」と稲吉さんは語る。
タコのような軟らかさでは、「締まり」がない。
「たとえば、競技前の選手をトレーナーの方々が『ほぐしすぎない』のは、動くためには『締まり』が必要だからです」と稲吉さん。
固すぎず、柔らかすぎず、程よい締まりのある状態。それが「柔らかい芯」、すなわち「柔芯」となる。
力は抜けば良いというものでもない。
稲吉さんの言う「悪性脱力」とは、芯のない脱力のことである。そうした悪い脱力の状態からは、いざ動こうとする時、カラダを一気に緊張状態にもっていかなければならない。そのため、逆に動き出しの力がたくさん必要になるのである。
不思議なことに、もともと『軟かい』人は、動く時にカラダを固める傾向があるのだという。むしろ、カラダの固い人のほうが、良い脱力の感覚を得やすい、と稲吉さんは言う。
そんな稲吉さんの目指すのは、「ボールのように弾むカラダ」。
固い身体はいわば「石」のようなもので、地面に落としても弾まない。また、「軟かい」身体もまた然り。それは「豆腐」のようなもので、地面にベチャっと潰れるだけである。
一方、「ボールのように弾むカラダ」は、表面的には軟かいが、中には程よい締まり(柔らかい芯)がある。だから、外からのストレス(圧力)を、上に飛び上がるエネルギー(活力)へと転ずることができるのだ。
「バキッ!と折れる固さや、グニャッ!と崩れる軟らかさではなく、『ボンッ!』と弾むカラダ。そうした弾力、つまりバネをどう手に入れるか?」
それが、稲吉さんの勧める「柔芯体メソッド」である。
この書は、決してダンサーのために書かれたものではなく、むしろ一般的、根源的な動きにアプローチしている。
稲吉さん自身、プロダンサーでありながら武道もたしなむということもあり、いわゆる極意的なものも実にわかりやすく解説されている。この点は、言葉にならない武道の感覚をも解説した、稀有の書ともいえるだろう。
たとえば、「上への脱力」などは目からウロコである。重さから解放された「透明な動き」は、武道家たちの目指す深淵でもあろう。それは、煙のごとく立ち上がることにも、消える動きにも通じるものである(本書とシンクロしたDVDも必見である)。
ちなみに、もともと身体の固い人はいない、と稲吉さんは言う。誰しも赤ちゃんの時は、恐ろしいほどに軟らかかったのだから。
なぜ、固くなったかというと、それは「筋肉が衰えたから」である。使わない筋肉が固まってしまった結果、動きの範囲が狭くなってしまったのだ、と稲吉さんは言う。
ごもっとも。身体が固くなる、それはすなわち「老化の一種」だったのだ…。
机にかじりついたような生活は、身体を石化させてしまうかもしれない。
バキッといってしまう前に…。
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ソース:月刊 秘伝 2013年 01月号 [雑誌]
「稲吉優流氏が提唱する『柔芯』とはなにか?」
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