「自信には2つあります」
メンタルトレーナーの「久瑠あさ美(くる・あさみ)」さんは、そう切り出した。
「一つは『根拠のある自信』、もう一つは『根拠のない自信』です」
「根拠」とは、これまでの自分が積み上げてきた実績。
プロ野球選手であれば、「打率3割です」とか「ホームラン30本打ちました」といったことである。
「しかし、私が大事にしているのは『根拠のない自信』なのです」と、久瑠さんは言葉を続ける。
根拠のない自信とは何か?
「根拠のない自信というのは、『今この瞬間』生み出されているものです」と、久瑠さん。
根拠というのは「過去」にしか根差さない。
たとえ過去に99回成功していたとしても、次の一回が「必ず成功するとは限らない」。
「これは、どんなに根拠を塗り固めた人でも皆同じで、成功と失敗の確率というのは、次の瞬間においては、常に50:50(フィフティ・フィフティ)なんですね」と、久瑠さんは言う。
アスリートがスランプに陥るのは、決まってそんなときだ。
「過去99回成功してきたのに、なぜこの一回を失敗したのか?」
その事態に戸惑ってしまい、その次の一回にも恐怖心が出てしまう。野球では突然ヒットが打てなくなったり、ゴルフではパットが入らなくなったり…。
「根拠のある自信は、たとえ99回上手くいったとしても、たった一回の失敗で無残にも崩れ去ってしまうのです」
久瑠さんがそう言う通り、「根拠」というものが「過去」にしか持ち得ないものである限り、それが揺らげば「無残にも崩れ去ってしまう」。「根拠」に寄りかかっていただけに、その背もたれが急になくなった時にはパタリである。
では逆に、根拠を「未来」に持つことはできるのか?
「根拠を未来にもつ」、この言葉の表現自体すでに矛盾している。
未来の根拠は、未だ実現していないものである。ということはすなわち、「根拠はない」ということにならざるを得ない。要するに、久瑠さんのいう「根拠のない自信」に他ならない。
たとえば長嶋茂雄。
彼は現役時代、「ボールが飛んでくると、人の守備位置まで入っていってキャッチしてしまう」という有名な話があった。
長嶋茂雄はきっと、来たボールを「どうやって捕ってやろうか」とワクワクしていたのだ。飛んできたボールは「全部自分のもの」だったのだ。
「どんなボールが飛んでくるのかは未来のことですから、誰にも分かりません。それでも長嶋さんは、自分がファインプレーを狙っていくんだという意識を持っていたんですね」と、久瑠さんは言う。
捕れるかどうかは本当は分からないはずだ。にも関わらず、長嶋茂雄はどんなボールでも「捕れる」と確信していたのかもしれない。「根拠のない自信」によって。なにせ、「未来の自分」はいつもファインプレーを決めているのである。
たとえミスをしても構わない。それをリカバリーする時にまた魅せるチャンスがあるのだから。
「その時にどんなリカバリーをするか、そこに熱くなれる人が、最後に上がってくるんですよ」と久瑠さん。
久瑠さんに言わせれば、未来を考えることが「イメージ」、過去を思うことが「妄想」となる。
「人間の能力の限界は、イマジネーションの限界」と久瑠さんは言う。「イマジネーションが無理だと思えば、無理なんです」。
「トップアスリートを見ていてよく分かるのは、『いい状態にある選手は、未来しか見ていない』ということです」と、久瑠さんは言う。
そんな彼らは、すでに表彰台の上にいるのだ。まだ競技が始まってもいないうちから。
ところが、過去に生きている人は言わずもがな、現在に生きていると思っている人でさえ「ほぼ過去に生きている」。
「というのは、今こうしている瞬間、一秒たてば過去になるんです」。そう久瑠さんが言う通り、時間は容赦もなく流れていくのである。
逆に、「一時間先の未来は、一時間たったら『今』になるんです」と久瑠さんは言う。
「根拠のある自信」とは、現在から過去を眺めた視点である。
一方、「根拠のない自信」は未来の方向を向いている。
車を運転する時は、必ず前、すなわち少し先の未来を見ながら進んでいるはずである。
まさか「バックミラー」だけを見て運転している人はいるまい。危なっかしくてしょうがない。根拠とはいわば、そのバックミラー。過去を眺めているようなものである。
車ならば余程に危ういその視点、なぜか「考え方という世界」では、そうしてしまっている人が多いのは面白いことである。
最後に久瑠さんは「自分を変える必要はない」と言う。
その自分とは、きっと「過去の自分」。そうした自分は、じつは変えようにも変えることができない。自分自身が過去に戻れないのだから。それよりも、未来に新しい自分をイメージして、作ってしまったほうが手っ取り早い。
「イマジネーションとは、『自分はこうありたい』とクリエイトすることです」と久瑠さんは言う。
根拠に自信をもっている限りは、過去の自分に囚われてしまうばかり。「それは過去の記憶を組み換えているだけで、生産性がありません」と久瑠さんは断言する。
なるほど、自分は「変える」ものではないのかもしれない。
きっと、「変わる」のだ…!
この一秒後にでも。
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ソース:致知2013年4月号
「マインドの法則 久瑠あさ美」
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