2013年1月20日日曜日

「勝てない自分」に「自分でない自分」。浅尾美和(ビーチバレー)。



「勝てない選手」

ビーチバレーの「浅尾美和(あさお・みわ)」は、その際立った注目度とは裏腹の「勝てないという現実」に苛まされ続けていた。

「浅尾美和ほど、人気・知名度と競技成績のギャップが激しいアスリートはいないだろう」



テレビに出ています。雑誌にも出ています。CMにも出ています。

でも、「勝てなくてゴメンナサイ」。

浅尾は試合で負けるたびに、熱烈なファンたちにそう謝り続けてきた。「デビュー時から目標としていたオリンピック出場はおろか、ツアー優勝もゼロ…」。



しかし一方で、「浅尾美和がいたからこそ、ビーチバレーが注目を集めたのも事実」。

「ビーチバレーの認知度を上げるために、テレビや雑誌に出なければならないことは、最初から言われていましたし、抵抗はありませんでした」と浅尾。

彼女がテレビや雑誌、CMに登場するにようになったことで、ビーチバレーはマスコミにも取り上げられるようになり、会場に訪れる観客数も増えた。



しかしそれでも、彼女はアスリートである。

競技においての最大の目標は「勝つ」ことだ。そのための努力を惜しんだことはついぞなかった。

「前のシーズンが終わったあとは、オフをとらずに合宿をして、毎日2時間半を3回、7時間半の練習。それが終わったらウェイトトレーニング。雨の日もビショ濡れになりながら、砂浜に出ていました」と浅尾。

だが、今シーズンが始まっても「思うような結果」はついて来なかった…。一縷の望みをかけていたロンドン五輪への道は早々に絶たれ、年間優勝を目指していたツアーでも、第5戦でもはや年間優勝は無理だと分かってしまった。



負けても負けても、注目される浅尾。

「勝った選手よりも負けた私にカメラが集まることが辛くて、他の選手に気を使ってばかりいました…」と浅尾はその胸中を語る。

メディアやマスコミの中の「ビーチの妖精」は、いつの間にやら「自分ではない浅尾美和」になっていた…。



「引退…」。この言葉が脳裏に浮かぶようになったのは、今から3年前。

「万年3位」と揶揄されていた西堀選手とのペアを解消し、草野選手との新ペアで臨んだ2010シーズン。3位になることすらなかなかできなくなってしまった時のことだった。

「地元の三重で、ケーキ屋さんでもやろうかな…」

誰よりも注目され、勝利を期待されているのに「勝てない」。もう、負けて謝り続けることも、コートに立つことすらも、「すべてを投げ出して逃げ出したいくらいの気持ち」だった。



それでも、彼女は引退を思いとどまり、もう一度砂浜に立つ決心をした。

「自分が選手をやめようなかと思って、少し冷静に周りの話を聞くと、人を応援するって決して『勝ち負けだけじゃない』んだなということが分かってきたんです」と浅尾は3年前を振り返る。

「私の周りには、オリックスとか浦和レッズの熱烈なファンがいるんですけど、彼らは贔屓のチームが勝っても負けても、楽しそうに試合の話をしている。それで勝った時は『ビールが美味い!』って(笑)」



自分自身が誰かのファンになったりすることがなかったという浅尾。そのため、勝っても負けても…という「ファン心理」をちゃんと理解できていなかった。

「『ファンの気持ち』ってこういうものなんだと分かったら、肩の力が抜けてすごく楽になったし、改めてファンの方への感謝の気持ちも湧いてきたんです」と浅尾。



全然優勝できなくても、毎回全国の会場に足を運んでくれるファンもいる。

「その人たちに、『勝てなくてゴメンナサイ』じゃなくて、勝っても負けても『ありがとうございます!』と言いたいな」と浅尾は思うようになっていた。

「できれば私が優勝して、美味しいビールでも飲んでもらいたいなと思って、もう一度がんばろうという気持ちになったんです」



この時のスランプを脱して以来、浅尾の選手としての評価は高まっていった。

「今年は絶対に優勝できる! できないはずがない!」

そう信じて臨んだ今シーズン。「どんなチームよりも練習していた自信があるし、自分自身の成長も感じていたので、手応えもありました」と浅尾。



しかし、現実は冷酷だった。

ツアー第5戦で年間優勝の道が絶たれた瞬間、「気持ちがプツンと切れた」。

「調子も良かったし、努力もしました。それでも勝てないのか…と思って、すごく悲しかったです…」と浅尾。



この時、浅尾の心に「悔しさ」は湧いて来なかった。そして、それが「引退」へと彼女の背中を押すことになる。

「あの時、悔しいと思う気持ちがあれば、来シーズンも頑張ろうと思えたんでしょうけど…」と浅尾。



引退の記者会見を終え、浅尾は長年背負ってきた「ビーチの妖精」の看板をようやく降ろすことができた。

「今はスッキリした気持ちです。もし3年前に苦しさから逃げ出すように辞めていたら、もう二度とビーチに関わりたくないとおもっていたでしょうね」と浅尾は語る。

「でもこの2年間、心からプレーを楽しむことができたから、始めた時と同じか、それ以上にビーチのことが大好きでいられます。ビーチバレーを大好きなまま引退できて、本当に良かったと思っています」



8年間の競技生活の末、浅尾美和は26歳という若さで砂浜を去った。

「どうしてやめるの? まだまだやれるよ!」

同郷の吉田沙保里(女子レスリング)は、驚きを隠さない。ビーチバレーの適齢期は30歳前後と言われ、パワーやスピードよりも経験値がモノを言うというビーチの世界にあって、「浅尾はまだ26歳」。4年後のオリンピック(リオ)へのチャンスも十分ある。



「もし、2020年の東京オリンピックが実現するとしたら、ちょっと興味が出てきますね」と浅尾は晴れ晴れと語る。

「でもとりあえずはしばらく休んで、ビーチバレーを外から見ていたいんです」



「ビーチの妖精」、そして「勝てない自分」。

さまざまなギャップの中にいた浅尾美和の現役8年間。

「これからは、全国の子供たちに私が感じたビーチバレーの楽しさを伝える活動をしていきたいと思っています」と浅尾は今後を語る。




「勝つことだけが楽しさじゃない」

浅尾の感じているビーチの楽しさは、もっともっと深いものであろうし、もっともっと息の長いものなのであろう…。





ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 1/24号 [雑誌]
「あのときの決心があったから 浅尾美和」

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