そのバットで2度も日本の窮地を救った男。
井端弘和(いばた・ひろかず)。
WBCで「土壇場の男」となった井端であるが、もともとは脇役的な起用だったという。
「お前はバント専門でいくぞ」
山本監督からは事前にそう言われていた。
井端は37歳という年齢もあり、日本代表の最終メンバーとするには批判も多かったという(内野手の重複など)。それでも、山本監督が「どうしても入れたかった男」、それが井端であった(結果的に、山本監督の無理は「英断」となったわけだが…)。
「第一回大会の時から、WBCには出たかったですから」
山本監督の要請を、井端は快諾。
「最初は代打とかバントの場面で起用してもらいながら、アメリカに渡る頃(決勝ラウンド)には、レギュラーの座を頂こうかなと、密かに思っていたんです(笑)」
3連覇のかかった侍ジャパン、しかしその初戦から苦戦を強いられていた。
格下のブラジル相手に、1点リードを許して迎えた8回の攻撃。井端は、もう一人のベテラン稲葉篤紀の「代打」として登場。
「身体と気持ちが一致した」という会心の当たりはライト前。すでに塁に出ていた内川聖一をホームに返す劇的な同点タイムリーとなった。
大歓声に包まれた井端。
一塁塁上で思わず拳を突き上げた。
「野球人生初のガッツポーズ」であった。
続く中国戦では出番がなかったものの、「キューバ戦で3番DHとしてスタメンされた井端は、2安打と気を吐いた(Number誌)」。
当初は「バント要員」、そして鳥谷敬の「控え」として脇役視されていた井端であったが、出場した2試合連続で結果を出した。
これで井端の密かなる目論見通り、「外すに外せない選手」というポジションを勝ち得たのであった。
そして迎えた台湾戦(2次ラウンド)。
またもや絶体絶命のピンチで、井端に打席が回ってきた。1点ビハインドで迎えた最終9回、2アウトの場面である。
その時の大歓声たるや、井端が「今まで感じたことがない」というほど。それほどまで日の丸は重く、そして井端への期待は多大であった。
と、その時、一塁にいた鳥谷敬がスタートを切った…!
「1点ビハインドの9回、しかも2アウトから二塁へ盗塁するというのは、セオリーではありません(矢野燿大)」
もし走ってアウトになったら、それでゲームセット。それでも一塁ランナー・鳥谷は走った。まさに決死。「行けたら行け」という指示は出ていたというが、最終的に盗塁することを決めたのは鳥谷の「嗅覚」であった。
結果的にセーフ。山本監督の「禁じ手」は奏効した。
これで「得点圏」にランナーが立ったことになる。
あと必要なのは、井端のバット一振りとなった。
1ボール、2ストライク。
井端は、台湾のピッチャー陳鴻文に追い込まれていた。
それでも井端は陳のボールを「見切っていた」。追い込まれた後の4球目をしっかりと見逃せたのは、その証だ。それは「いつもの井端」であった。
そして飛び出した、起死回生の同点打!
「決死の盗塁を決めた鳥谷。そして、もっと凄いのが井端です(笑)」と、元北京オリンピック代表の矢野燿大は言う。
「日本代表の試合だからとか、9回の土壇場だからとか、同点のチャンスだからとか、そういうことでバッティングが何も変わらない。井端の凄いところです(矢野)」
台湾戦から日本を救ったのは、鳥谷の「嗅覚」、そして井端の「平常心」であった。
「身の丈にあった野球」
それが井端の野球であった。そこには「徹底した愚直さ」があった。ペナントレースであろうが、日本シリーズであろうが、国際大会であろうが…。
試合後、井端はこう語っていた。「別に実力以上のことをやろうとしているわけではありません。自分のできることをやっただけです」と。
それは決して、一朝一夕の成果ではないのである。
いよいよアメリカへ渡り、決勝ラウンド第一戦(準決勝)プエルトリコ。まさか、日本は8回まで0対3で負けていた。
ここで火を吹いたのは、またもや井端のバット。8回裏の攻撃、反撃の狼煙となるタイムリーを放って、起死回生の1点を返す。
次の内川聖一もヒットでそれに続くと、ランナー1・2塁という一打逆転のチャンスがつくられる。そして迎えるバッターは日本の主砲、4番・阿部慎之助である。
「ブラジル戦と台湾戦での日本の反撃は、いずれも8回、井端・内川・阿部が絡んだ攻撃だった(Number誌)」
それゆえに、またこの3者が得点に絡んでくると日本中の誰もが信じていた。
ここで、日本ベンチは大きな賭けに出ていた。
「ダブルスチール(重盗)」のサインである。
そこまでしてでも、日本はどうしても勝たなければならなかった。
阿部への2球目、2塁ランナー井端はスタートを切った…、が塁に戻った。
だが、1塁ランナー内川は井端の動きを見逃した。そして塁間で憤死。
山本監督の果敢すぎた賭けは、ここで裏目に出てしまった…。重盗失敗である。
結局、このプエルトリコ戦が侍たちの最後の戦いとなってしまった。
試合後、井端は「あの時、無理矢理にでも行けばよかった…」とホゾを噛んだ。
だが、セーフになる確信なしに走らないのは「いつもの井端」であった。
忘れてならないのは、井端が井端であったがゆえに、ブラジル戦も台湾戦も日本は救われてきたということだ。
しかしそれでも「悔しい」。
「とにかく勝ちたかった…」
この時とばかりは、さすがの井端も平常心ではいられようもない。
2塁にいた井端は、阿部の二塁ゴロも、松井のセンターフライも、そこで見送った。
2塁に残されたまま終わった最後の戦い。
井端の想いは、未だそこに留まったままである…。
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ソース:Number (ナンバー) WBC速報号 2013年 3/30号 [雑誌]
「燃える思いを胸に秘め 井端和弘」
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