ロンドン・オリンピック、男子サッカー。その3位決定戦は「日本と韓国」という因縁の対決となった。
勝利して銅メダルを手にしたのは「韓国」。そして、その勝利に浮かれすぎたパク・ジョンウ(朴鐘佑)は、日韓両国の領土問題なっている「竹島(韓国名:独島)」の韓国領有を主張する挑発的なサインを掲げてピッチ上を走り回った。
ん? スポーツの世界に「政治」はご法度ではなかったのか?
しかし、日韓両国におけるスポーツを介した政治的争いは、今に始まったことではない。じつは、その黎明期から政治は絡み続けていたのである。
日本と韓国、この両国にサッカーがもたらされたのは19世紀後半、イギリスからであった。日本人よりも先にサッカーにハマったのは韓国人。日本よりもはるかに速いペースで韓国国内にサッカーを普及させていく。
しかし、1910年の日本による韓国併合は、その運命を大きく歪めることとなる。サッカーは政治的に危険なものとみなされ、韓国のサッカーは日本による厳しい統制下に置かれることとなったのだ。危険視された理由は、当時のスポーツは「多くの民衆が集まる数少ない機会」だったからである。
「韓国最初のゴールがつくられたのは1914年。松の丸太をゴールポストに、2本の木材がクロスバーとして乗せられた」
ここで問題になったのは、ゴールポストの「白い色」。サッカーなど知らなかった日本の警察は、公式なゴールポストが白いものとは知らずに、その色を韓国のナショナルカラー、つまり、日本の統治に逆らうものだと思い込んだのである。
確かに、そのゴールポストを組んだのは「アメリカ人宣教師と何人かの韓国人愛国主義者たち」であった。そして、彼らはサッカーが「独立運動に役立つかもしれない」と考えていた。
怒った日本の警察は、そのサッカーの試合中にグラウンドに乗り込んできた。そして、「ゴールを撤去しなければ、サッカーを全面的に禁止する」と命令。
韓国側は「仕方なくゴールポストを黒く塗った」。そして、この一事件が「両国のサッカーをめぐる長く熾烈な戦いの歴史の始まり」となるのである。
第二次世界大戦が終わった10年後、スイスで開かれるワールドカップ出場をめぐって、日韓両国は激突。アジア代表の座は1つであり、参加国は日本と韓国の2カ国だけだった。
まず問題となったのは、当時の韓国大統領・李承晩(イ・スンマン)が「日本選手が韓国の土を踏むことを拒絶したこと」であった。すなわち、韓国国内で日本人がサッカーをすることは認めないというのである(ちなみに、竹島の韓国領有を初めて主張したのも同大統領である)。
そのため、予選2試合とも日本で行われることになったのだが、その結果は韓国の圧勝。合計得点7−2で軽々と日本チームを下した。
その後も韓国の優勢は続く。
スイスW杯(1954)の予選から1982年までの約30年間、40回行われた日韓戦で日本が韓国に勝ったのはたったの5回(勝率12.5%)。
勢いにのった韓国は日本に先駆けて、アジア初のプロサッカーリーグ、韓国スーパーリーグ(後のKリーグ)を設立(1983)。大企業がサッカー・クラブのスポンサーとなった。
それに遅れること約10年、日本にもJリーグが誕生する。韓国のKリーグとの決定的な違いは、サッカーチームを大企業ではなく、地域に根付かせたことである。
「せめて、スポーツチームくらいは企業名でなく、地元の名前を持つべきだ(川淵三郎)」
そうした志のもと、Jリーグのチームにはクラブ名に必ず地元の名前を入れること、地元にスタジオを持つこと、そして地元の子供たちのためのジュニアチームを持つことが義務付けられた。
そして、また20年が過ぎた今、日韓両国のフタを開けてみると、そこには急成長した日本のサッカーがあった。
ロンドン・オリンピックでは韓国に苦杯を舐めさせられた日本であったが、もはや韓国が圧倒的に有利な状況ではない。かつては、イングランドのプレミアリーグにおけるアジア人といえば韓国人を指したものだが、今は日本も韓国と同数の選手を同リーグに送り込んでいる。ヨーロッパ全体で見れば、断トツで日本人が多い。
もっと大きな差は、両国内にある。
昨年、日本のトップ18チームのうちの16チーム、つまりほとんどのチームが1試合あたり平均1万人以上の観客を動員しているのに対して、Kリーグ(韓国)16チームのうち、1万人以上を集められたのはわずか6チーム。
釜山で週末に行われた1部リーグのゲームに集まった観客はたったの78人。釜山といえば韓国南部で最大の都市であるにも関わらず…。韓国のスポーツ界は野球優位の状況にあり、サッカー・チームはサポーターの少なさに四苦八苦しているというのである。
日本との大きな違いは、Kリーグが大企業にヒモ付けされているということ。それに対して、地元に根をはったJリーグは、いよいよ大輪の花を咲かせようとしている。
「Jリーグに追いつけ!」
大韓サッカー協会の会長は、そう喝を入れる。
昨年はKリーグで八百長事件が発生し、50人近い選手や関係者が起訴され、永久追放を含む厳しい処分が課されている。今の韓国サッカー界は多くの問題を抱え込んでいるのだ。
韓国のKリーグで活躍する日本人選手は3人、それに対して日本のJリーグには23人もの韓国人選手たちが海を渡ってきている。その理由は推して知るべしであろう。
多くの韓国人にとってのサッカーは、長らく「韓国が隣人(日本)よりも進んでいることを誇示する術」であった。だからこそ、日韓戦は必要以上に感情的にもなるのである。その陰には、政治的な暗い歴史がいまだに燻っているのだから…。
オリンピックという政治とは無縁であるべきはずの場で、「竹島(独島)」の旗が用意されていたのは、故なきことではないのである。その根は、深く深く、黎明期にまで遡るのだ。
それでも、韓国サッカーがアジアに先駆けてくれたことは、日本にとって幸運であった。一番のライバルが一番近くにいたのだ。
そしておそらく、世界から認められはじめた日本からの刺激は、これからの韓国をもっともっと強くすることにもなるのだろう。
日本と韓国の腐れ縁。
ときに悪い方に転んだり、良い方に転んだり…。
そんな組んず解(ほぐ)れつの関係は、これからもずっと続いていくのだろう…。
ソース:「How Japan overtook Korea」
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