ニュルンベルクの「王」になれ。
それが「清武弘嗣(きよたけ・ひろし)」へのファンたちの願いだった。
ここまで大きな期待を背負ってドイツへやって来た日本人選手など「これまでに一人もいなかった」。
ニュルンベルクというチームは、ドイツのサッカーリーグであるブンデスリーガの中で「最多の2部降格を経験しているクラブ」。その数はじつに7回。
清武に期待されたのは、当然のように「1部残留」であった。
ロンドン五輪に参加していた清武は、チームへの合流が少し遅れたものの、開幕戦からスタメンに名を連ねるのには間に合った。
第3節までのニュルンベルクの得点は、そのほとんどがセットプレー(コーナーキックやフリーキック)から生まれ、そのセットプレーを全て任されたのが清武だった。この時点でニュルンベルクがリーグ18チーム中6位につけたこともあり、清武の名前は「ドイツ全土に知られることとなった」。
しかし、当の清武はその賞賛とは裏腹なチグハグさを感じていた。「日本ではセットプレーを蹴ったことがなかったので、最初のころはテキトーに蹴ってました」と清武。そこから得点に結びついたのはラッキーだったが、問題は「やりたいサッカー」がほとんど出来ていないことだった。
そのチグハグさは、それ以後の4連敗となってチームに顕れる。
沈んでいた清武は、メディアの前で顔さえ上げなかった。
「話すことないっス…」
転機となったのは10月末の強豪シャルケ戦。
この日の清武は「ピッチ上の王様」だった。
ゴールキーパーを鼓舞し、ディフェンダーのミスに怒鳴り散らす。パスを迷う選手には、派手なジェスチャーと大声で指示を出す。相手が9つ年上でも関係ない。正しくない判断は正しくないし、良いプレーは良いプレーだ。
清武の「王様ぶり」はチームにとって悪くない。
次第に周囲の選手が「清武に合わせて」動くようになっていた。攻撃の中心が明らかに清武になったのだ。最初の頃は頭の上を越えるだけだったパスが、清武の足元に集中するようになっていた。
マインツ戦においては、清武がチームで最も多くのボールを触れた初めての試合となった。「劣勢に回ることの多いニュルンベルクのようなチームで、攻撃的なポジションの選手が最多ボールタッチ数を記録するのは珍しい」。
いま、ニュルンベルクの練習場では「不思議な光景」が広がっている。
清武の回りに選手たちが寄って来て、日本語を習ったり談笑したり…。
彼は王様とはいえど、じつに庶民的な王様だ。彼のいるチームの雰囲気はグッと良くなる。
1部残留という目標はそう高いものではないのかもしれない。この王様がいる限り…。
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 12/6号
「ニュルンベルクの王様として 清武弘嗣」
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