「まだ来ないな…」
宮里藍はそう感じた。後輩である「有村智恵(ありむら・ちえ)」の心の中にある「ためらい」に気がついたのだ。アメリカへ来ることへの…。
アメリカで戦う宮里には「海を渡らなければならない理由」があった。それは幼い頃からの夢だったのだ。宮里美香にしろ、上田桃子にしろ、アメリカ組にはそれぞれの然るべき理由があった。
しかし、有村にはアメリカ行きを決する明確な理由がなかった。
ただ漠然と、「アメリカに行くたびに、この環境で練習するのと、日本と練習するのとでは上達具合が全然違うな…」と感じているだけだった。アメリカなら丸一日練習しても飽きることがない。日本のコースではどうしても出来ない練習もたくさんある。
「そういうところで、どんどん『差』がつくんだろうな…」
長らく有村がゴルフに打ち込んできたのは、「家族のため」であった。
「今までの知恵は、まず家族のためにゴルフをしてきたんです」と、一緒に暮らす姉の美佳さんは言う。そんな妹のため、美佳さんはなけなしのバイト代を妹の小遣いとしてくれていたのだ。
「それが今は、家族の生活はもう大丈夫というぐらいにはなりました。だから、『何のためにゴルフをするのか』というのがハッキリしていないんだと思います」
「何のためにゴルフをするのか?」
もう、家族のためではない。じゃあ、何のために…?
そんな形にならない気分は、なかなかハッキリした想いに変わらずにいた。
そんな中、同い年の「チェ・ナヨン」の全米での大活躍が報じられてきた。7月上旬の全米女子オープンで、チェ・ナヨンが「ブッチギリの優勝」を飾ったのだ。その晴れやかな笑顔と圧倒的な強さ。
「それをテレビで見ているだけの自分…」
有村にもこの大会の出場資格があったのだが、その出場は見合わせていた。自ずと「後悔の念」が湧き上らざるを得ない。
「なんで私は出なかったんだろう…」
悶々が募る有村。
そこにまた友人たちの朗報が続々と届けられる。ロンドン・オリンピックだ。フェンシングの太田雄貴、競泳の立石諒…。同世代の選手たちは、美しく世界に名を轟かせていた。帰国した彼らに会った有村。太田からはピカピカの銀メダルを見せてもらった。テニスの錦織圭とは初めて会った。
有村にとって、「オリンピックのメダル」は垂涎の的だった。次のオリンピック(リオ・デ・ジャネイロ)では、ゴルフが復活する。
「みんな世界で活躍している。早く追いついて肩を並べたい!」
もはや悶々は晴れていた。そして、彼女にもついに「海を渡らなければならない理由」が心に芽生えた。
米ツアー挑戦。
その意志は固まった。覚悟も決めた。
決断の成否など誰にも分からない。それでも有村は「保証されていない道」へと一歩を踏み出したのだった…!
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 11/8号
「有村智恵 自分のためにアメリカへ」
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