2013年6月24日月曜日

「いざ」というその一瞬のためだけに。「神武の精神」




「おまえは軍人の顔をしているから、自衛隊に行け」

学生の頃、師にそう言われて自衛隊に入隊したという「荒谷卓(あらや・たけし)」さん。

現在は、明治神宮の境内に佇む武道場「至誠館」の三代目館長となっている。



「至誠館」は今年創設40周年。

この武道場は「御祭神・明治天皇の大御心を奉体して、武道を通じ心身の練磨をすることで、健全なる国民精神を養うこと」を目的に創設されたのだという。

創設当時の40年前、時代は日米安保の混乱のさなか、社会は非常に緊迫していた。そんな中、国家を正しい方向に導いていける人材の育成が急務をされていた。

「武道精神」を学ぶことはすなわち、自分たちの民族精神の文化的原型を取り戻すことでもあった。



日本武道の精神基盤にあるのは「神道の精神」。

「武士道というと、武家が生まれてからできたものだと考えられがちですが、『日本の武』の精神基盤はもっと古いのです。初代天皇の御諡を『神武』とお呼びすることからも分かるように、『神』と『武』は一体であったと思います」

至誠館・三代目館長、荒谷卓さんは、そう語る。



神武天皇はその東征を通じて、互いに奪い合いをしている状態から、「共に協力して稲穂を育てていく文化」を広めていったのだという。

「ゆえに日本の武道は、戦う前に礼を尽くして無用の争いを避け、やむを得ず戦っても、また礼を尽くして共に生きる道を探すのです」と荒谷館長は言う。

そして続ける。「しかし、いまの日本を見ますと、当の日本人までもが『神武の精神』を自覚できず、奪い合いの文化に戻ってしまうのではないかと危惧しております」










荒谷館長が武道場・至誠館に通い出したのは学生時代。その2年後に島田和繁・武学師範の冒頭の勧めによって、自衛隊に入隊。

至誠館の生みの親である葦津先生には、「神国の民としての自覚をもて」と諭されたという。

「明治維新という政治の大改革は、『神国の民』そして天皇の臣としての自覚が志士に透徹していたからこそ成しえたわけです」と荒谷館長。



その範となったのは、大楠公「楠木正成(くすのき・まさしげ)」の生き様。

楠木正成は、後醍醐天皇の「天下の情勢と幕府に勝つ術ありや」という御下問に対して、こう答えたという。

「正成一人なお生きていると聞こえ召せば、聖運ついに開かれるべしと思し召せ」



「聖運(天皇の運命)、我一身にあり」

大楠公の精神は、かくも絶大なる自信と覚悟をその核心にもっていた。

「我一人いれば、ことは成る」

なんと強烈な気概。そうした自負心が幕末の志士たちに、明治という新しい時代を開かせたのだと、荒谷館長は語る。










荒谷館長が自衛隊で感じたのは、その組織が「忠誠の宣誓を上から強要される西洋騎士団」のような奴隷的軍隊であったということだった。

それは「神武の精神」を継承する「もののふ(武士)の集団」ではなかった。



のちに、自衛隊で日本初となる「特殊部隊」の創設を任され、その初代郡長となった荒谷館長。郡長として隊員たちに示したのは「武士道」であった。

「生死の別を問わず、事に当たる肚決めをすること」

荒谷郡長は言う。「戦闘服を脱ぎ、鉄砲を置いたら一般市民と変わらなくなってしまうというのは、日本の武人としては情けない。おそらく武士は、刀を置き、町人の格好をしていても、やはり『武士たる何か』があったと思う」。



明治の世が開かれ、日本という国を見た諸外国の人々は、日本の武士の人格に感銘を受けたといわれる。

「それはおそらく、人間の鍛錬、素養というものにおいて、武士らが一般市民と違う倫理道徳を備えていたからだと思います」と荒谷館長は言う。



「常在戦場」

たとえ刀を置きその身は町にあっても、武士の心構えは常に戦場にあるのと変わらなかったという。

「私たちの先人は、『いざ』という一瞬のために心身を磨き、覚悟を決めていたのです。だからこそ日本人は、戦において凄まじい戦闘力を発揮できたのだと思います」と荒谷館長は語る。










「いざ」という時に、一歩踏み込めるか?

それは、その場になってみないとわからない。それでも、常の稽古を日々重ねることで「踏み込む精神」を鍛錬しておくのである。

「真剣をもって対峙している時、相手の懐に飛び込んでいくのは怖いですよ」と荒谷館長。「しかし、それは相手が最も嫌がることでもあるのです。入り身、捨て身といいますが、飛び込んで行ったら二度と戻れないかもしれない」

それを覚悟の上で「踏み込めるかどうか」。それが武道の鍛錬なのだという。



「生還を期せず」

至誠館道場の入り口には、その心構えが揮毫された書が掲げられている。



大楠公「楠木正成」は「七生報国」、何度生まれ変わっても、国に報いる精神は「不変である」と言って死んだという。この大楠公は、「神国の民」「神武の精神」、そして「日本人」の鑑とされる人物だ。

そうした日本人に成れるか?

「日本人として生まれた以上、『日本人に成る』ということに努める。そして日本人に『成り切る』。それだけです」

そう、荒谷館長は言い切った。







(了)






ソース:致知2013年7月号
「我、明治大帝の御心を奉体し、さらに進まん  荒谷卓」

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