2013年9月8日日曜日
4,000の安打と8,000の凡打。イチロー [野球]
「あいつ、高校出たばっかりやで」
打たれた木村恵二は、戻ったベンチでそう聞かされた。
打ったのは「鈴木一郎」、当時プロ一年目。
本人いわく「嫌々打った一本」。
その一本は、のちに彼が日米通算「4,000本」安打という金字塔を形作ることになる、その最も底の部分、最初の一本であった(1992年7月12日、オリックスvsダイエー)。
「普通、高校出たばかりのバッターに真っ直ぐを投げたら、ボールに負けるんです。それが彼(イチロー)の場合は、バットコントロール、スイングと、いろんなものがもうプロのレベルにあった」
そう振り返る木村恵二は、自分が打たれたことに妙に納得してしまっていた。高卒外野手のイチローはすでに「ただ者ではなかった」。
「打たれても違和感がなかったんです」
その夜、鈴木一郎は屋台のラーメン屋で腐っていた。
「二軍に戻してくれたら、最高なんだけどな…」
彼の長期計画によれば、一年目から一軍入りするのは「早過ぎた」。プロ最初の3年間は、みっちり実力を蓄えるべきであった。
「4年後には同い年の大卒が入ってくる。そいつらの一番より僕は『絶対上手くなきゃいけない』し、給料も『絶対高くなきゃいけない』って思っていた。だから、(一軍昇格は)一年目では早過ぎるんですよ。もうちょっと時間をかけて自分のかたちをつくりたい。3年目まではそういうつもりだったんです」
1杯300円の豚骨ラーメンは、あまり美味くは感じられなかった。
■次の一本
そしてプロ3年目。
20歳になったイチローは、この1994年シーズン、猛烈な勢いでヒットを量産していた。
Number誌「プロ野球新記録となる69試合連続出塁。9月20日には、130試合制では唯一のシーズン200本安打をマーク。同年は最終的に210安打。打者としては史上最年少のリーグMVP。首位打者、ゴールデングラブにベストナイン、正力松太郎賞…」
幸いにも、早過ぎた一軍昇格は彼にとってマイナスには働かなかった。じっくり力を蓄えるべきだと考えた3年間で、彼はすでに充分すぎる結果に到達し、主だったタイトルを総ナメにしてしまっていた。
それでも、当時のイチローはまだ半信半疑であった。
当時新たな目標を問われた彼は、「次の一本を打つこと」と謙虚に回答している。
「打てば打つほど、分かってくれば分かってくるほど、バッティングは難しくなる」
そんな感覚を抱いていた彼にとって、「次の一本」のハードルは次第に高くなっていくように感じられていた。
1,000本安打を、プロ野球史上最速で達成した時もそうだった(1999年)。
Number誌「一切笑わず、慎重に言葉を選んでいた表情は、およそスピード記録とは似つかわしくなかった」
イチローは、結果オーライと笑えるほど単純なところにはいなかった。一切の妥協を考えない彼にとって、記録が高まれば高まるほど、それだけハードルは高さを増していく。その道を究めようとする人物にとって、それは深まる苦しさの裏返しともなっていた。
のちに4,000本安打という誰も越えたことのないハードルを越えてなお、イチローは「野球に関して妥協ができない」と語っているのである。
■米メジャー
新天地アメリカで、イチローはいきなり大ブレークした(2001)。
Number誌「メジャーでの1本目(通算1,279安打目)は、シアトルでのアスレチックスとの開幕戦。イチローは4打席目にセンター前ヒットで新天地での第一歩を踏み出した。このヒットを皮切りに242安打を積み重ね、リーグ新人王、同MVP、首位打者、盗塁王、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞を受賞」
上記6タイトルを同時受賞したのはイチローが初めてであり、それに続く者は未だいない。当時パワー全盛だったメジャーリーグに、この新しい日本人は驚くほどの旋風を巻き起こしたのであった。
そのメジャー1年目、球場へ向かう車中で、イチローはいつも「ブルーハーツ」を聴いていたという。
お気に入りは「未来は僕等の手の中で」
♪ 僕らは負けるために生まれてきたわけじゃないよ ♪
以後、イチローの大活躍とは裏腹に、チーム(シアトル・マリナーズ)の成績は下る一方であった。
Number誌「2004年(イチロー4年目)、チームは開幕からまったく浮上することなく、12年ぶりの地区最下位に沈む。最初の3年間は大入り満員が当たり前だった本拠地セーフコ・フィールドにも空席が目立つようになった」
そんな中、イチローは一人で気を吐いていた。この年である、イチローが不滅の金字塔と思われていたジョージ・シスラーの年間275安打を越えたのは(2004)。
Number誌「イチローは結局、最終戦までに262本安打を重ね、このベンチマークはその後の『10年連続200本安打』と並んで、彼を象徴する数字となった。主要米メディアはこぞってその偉業を称賛した」
当時のイチローはこう語っている。「それまでは『どうすればファンが喜ぶか』を考えていたが、自分が楽しく思えることをやればファンが喜んでくれるのが分かった」
■10年連続200本安打
「あっ、これ喜んでいいんだな」
イチローが苦笑いでそう思ったのは、メジャー10度目の200本安打に届いた時(通算3,508安打目)。
ベンチ前にチームメイトが皆並んで拍手を贈ってくれている光景を見てからだった(2010年9月23日、ブルージェイズ戦)。
イチローが喜ぶことを躊躇っていたのは、万年最下位に近いチーム事情を慮ってのことだった。
一部の心ないメディアは、チームが低迷している中でイチローだけが「200本安打」を連発することを快く思っていなかった。それを公言するイチローを「自分勝手」とさえ貶していたのである。
それでも200本安打を続けることは、彼が考えに考え抜いた「自分が最もチームに貢献できる方法」である。そのために、故障には慎重に、バッティングには波をなくすよう、心を砕いてきたのであった。
イチローのチームに対する忠臣ぶりは、「このチームでしかワールド・シリーズに行きたくない」と口にしていたことでも知ることができる。
愚直にも彼は、マリナーズ一筋のままに現役を終えるつもりであったのだ。
それゆえ、2012年にヤンキース専門局が流した第一報は、日米球界に衝撃を与えた。
「ヤンキースがイチロー獲得」
その日(7月23日)は偶然にも、ヤンキースvsマリナーズの試合が夜に組まれていた。
その夜、お馴染みのセーフコ・フィールド(シアトル)に現れたイチローは、見慣れぬユニフォームを着ていた。ヤンキースの縦縞である。
大ブーイングを覚悟していたイチローであったが、意外にもシアトルのファンは大歓声で彼を迎え入れてくれた。
第一打席、イチローはヘルメットを脱いでファンらに深々と頭を垂れると、その直後、古巣マリナーズから鮮やかなセンター返しを放ってみせた。それはシアトルへの惜別であり、シアトルへの想いを断ち切る一打であった(通算3,812安打目)。
■4,000
乾いた音とともに、鋭い当たりが飛んだ。
三塁手ブレット・ロウリーが横っ跳びしたが間に合わない。
漆黒のアオダモ・バットが放ったイチローの4,000本目は、球足速くレフト前にまで転がっていった(2013年8月21日、ブルージェイズ戦)。
Number誌「観客のボルテージは一気に急上昇。突然重厚なBGMが流れ、中堅後方の大型スクリーンには『4000』の大文字が浮かぶ。一塁ベンチからチームメイトが祝福に駆けつけ、試合はプレーボール早々から5分近くも中断した」
当の打ったイチローは、自分のためにゲームが中断してしまったことに、内心戸惑っていた。
のちにイチローは「結局、4,000という記録が特別なものをつくるのではなく、『自分以外の人たちが特別な瞬間をつくってくれるのだ』と思った」と語っている。
「ただ、ただ、感動しました」
塁上のイチローはヘルメットをとると、四方の大声援にむかって、ゆっくり大きく頭を下げた。
Number誌「プロ生活22年目、39歳にして遂に達成した4000の高み。『積み重ねの結果』といつものように言葉はクールでも、今回ばかりは喜びの気持ちを隠さなかった」
「嫌々打った一本目。4,000本目は試合に出たくて出たくてしょうがない中で打ったヒット」とイチローは言った。
■4,000を支えた8,000
日本で放った安打は1,278本。
その倍以上を、イチローはアメリカで記録した。
「節目のヒットも、それ以外のヒットも僕にとっては同じ」と彼は語っているが、それは「積み重ね」という事実への強い自負を込めての言葉であった。
興奮冷めやらぬ4,000安打の会見の席、イチローは静かにこう言った。
「こういう時に誇れるのは(4,000安打という)結果ではない。僕の数字でいえば8,000回は悔しい思いをしてきた。誇れるとすれば、それと常に自分なりに向き合ってきた事実じゃないかと思う」
どんな強打者でも、打った影にはその倍以上の凡打に悔しさを噛んでいる。世間のスポットライトが当てられるのはヒットのみだが、打者本人にとってそれが全てではない。
「8,000回の悔しい思い」
それが4,000という金字塔を支えている、とイチローは言うのであった。
「できる限りの準備をしても、次の一本を打てる保証はない」
彼の中で、その思いは変わらない。
「だから野球は楽しい」
「次の一本」を求める気持ちが、イチローを次のバッター・ボックスへと駆り立てる。
ひたむきな旅は、まだ終わらない。
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 9/19号 [雑誌]
「1-4000、ひたむきな旅路の果て」
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