2013年9月10日火曜日

哲学者が走る100m。山縣亮太 [陸上]




坐禅を組み、己と向き合う一人の青年。

”どうしたら、もっと速く走れるのか?”



陸上男子100m、「山縣亮太(やまがた・りょうた)」21歳

慶応大学・競走部の3年生。

昨年のロンドン五輪、日本人のオリンピック史上最速記録「10秒07」をマークした男である。










■未知の答え



「なんか、たまに哲学者みたいだなって思うくらい、すごく考え抜いてる選手だなって思います。

同じ競走部の部員は、いつも寡黙な山縣をそう評する。



同じ練習メニューをこなしながらも、山縣ばかりは違う世界にいるようで、その場で思いついたことがあると、周りを気にしようともせずに自分の世界に入り込んでしまう。

「彼の場合、僕らがいつもやってるのと同じ練習を、まったく違う意識でやっているのかな、という印象を受けます」



オリンピックに出場するほどの選手でありながら、山縣亮太にコーチはいない。

たった一人で走りを究めようと、ただ一人、考え続ける。

”どうしたら、もっと速く走れるのか?”



「自分は100mについて、誰よりも考えているっていう自信はあります」

そう山縣は断言する。陸上の専門書を読み漁り、自分のフォームを自分で分析、試行錯誤を繰り返す。

「陸上競技っていうのは完成されてないわけであって、まだ未知の答えってのがあるわけですよ。だから、自分は考えているんです」






■考える姿勢



「亮太がモノ凄いスピードで僕らの方に走って来て。よその犬が必死の形相で追っかけてて」

山縣亮太の父・浩一さんは、息子が子どもだった頃の記憶を話す。

「犬に追いかけられたのがスタートじゃなかったのかなっていうのはありますね(笑)」



広島に生まれた山縣亮太が陸上と出会うのは、小学4年生の時。地元の名門ジュニアクラブに所属し、全国大会ヘの出場を果たす。

しかし中学3年生の時、それまで指導してくれていた陸上部の顧問が、別の学校に移って行ってしまう。



それからだった。彼が自分の頭で考え始めるのは。

「すがるものがなくなったわけですよ」と山縣は言う。

「そん時じゃないですかね、色々ものすごい考えたのは。それが自分の考える姿勢っていうのと今、すごいつながってて」



一人で重ねる練習。

「孤独は感じますね、正直言うと。

 でも僕は普通っていわれるやつから抜け出したいと思っているんです。だからこそ、普通の人がとらないような選択をしたいし、普通の人が考えをやまてしまうより、もっと深いところまで考えるのが当たり前だとおもっています。強くなるためには」



闇雲に考え抜いた高校時代。

県の高校総体は3連覇、インターハイは全国3位、国体で優勝。

「自分一人で走りを究める」、その手応えには確かなものがあった。






■イメージ



ロンドン五輪の自己ベスト「10秒07」を、いかにして上回れるのか?

その答えを求め、山縣亮太はひたすら自分のフォームを見つめ続けていた。



手の空いているマネージャーや部員に一本一本ビデオで撮影してもらい、それを丹念にチェックする。わずか10秒の映像を10分以上にわたって凝視していることも珍しくない。

「膝が上がるんだよ…。あんまり上がらなくてもいいんだ…」

誰に言うでもなくつぶやく山縣。



さすがにマネージャーも手持ち無沙汰になってくる。

「オレ、いっつもいろいろ考えごとしてるから、長いんだよ。申し訳ないと思っている」

ふと山縣が普通の世界に戻ると、思い出したようにマネージャーを気遣う。



スタート地点に立っても、なかなか走り出さないこともある。

自分の頭の中で理想のイメージが出来上がってからでなければ、彼は走り出さない。せわしなく身体を動かしていたかと思えば、没念と考え込んでしまったり…。



理想とするフォームと、ビデオの自分とのギャップ。姿勢や腕の振り、足の運びなど一つ一つの動きを細かに修正し、また走る。ひらすらこれを繰り返す。

「自分でイメージを決めたものを、ただそれを信じて、ただそれを忠実に再現すれば、良いものが出来上がる、そんな気がします」

自分なりの答えとなる理想をもって、それを忠実に再現する。その作業が100mなのだと山縣は言う。






■独自のフォーム



山縣亮太の追い求める、理想のフォームとは?

それは極限まで無駄を削ぎ落とした走り。頭の上下動を極力抑え、肩のラインを水平に保つ。そうして身体の軸をぶらさずに姿勢を安定させれば、地面の蹴った時の反発力が、そのまま無駄なく前への推進力に変えることができる、と山縣は考える。



一方、世界の潮流はまったく異なる。

たとえば、世界最速のウサイン・ボルトは肩を上下に大きく揺すって走る。その姿勢は安定しないものの、一歩一歩の踏み込む力は抜群に強まる。世界で活躍する多くの選手のフォームがそうで、彼らはその巨体を揺すりながら跳ぶように走る。



上下に躍動的な世界のフォームに比すれば、山縣亮太のフォームはむしろ静謐とすら感ぜられる。彼の肩のラインが水平を失うことは全くない。

あえて世界に逆らうかのように走る山縣は、こう語る。

「ジャマイカとか黒人の走りを陸上の教科書の答えとして、それを見てしまうと、それを越えられないわけですよ。絶対、越えられない。足の長さだって違うし、腕の長さだって違うし、力の強さだって違う。

 だからこそ、自分のオリジナルをつくり上げないといけない」



その独自の哲学を、朝原宣治(あさはら・のぶはる)氏は高く評価する。

「山縣選手の強みは、自分の身体を知り尽くして、それに合う練習を考え抜いている点です」

※朝原氏は自己ベスト「10秒02(日本歴代3位)」、北京オリンピックの4×100mリレーでは銅メダルを獲得している。






■突然のライバル



今シーズン最初の大会

4月28日、織田記念陸上



その期待は当然、山縣亮太にのみ集中していた。

「15年間更新されていない日本記録10秒00を破り、アジア人初の9秒台が出るのではないか?」



予選

「第5レーン、山縣亮太くん、慶応義塾大学」

記録は10秒17。予選としてはまずまずのタイム。



しかし、思いもよらぬ展開は、山縣の走ったその後に突然湧き起こった。

「ドワっていう”どよめき”が聞こえて。あ、なんかトンでもない記録が出たんだなと思って」と、山縣はその時のことを振り返る。

絶叫するアナウンス。

「10秒01! 日本人2位の記録です!!」



大歓声のその渦の中心にいたのは、京都・洛南高校3年生「桐生祥秀(きりゅう・よしひで)」17歳。

「ビックリしました。まさか、こんなタイムが出るとは思わなかったんで(笑)」

紺のランニングに、ピンクのランパン。坊主頭の桐生は、素直に大記録を喜んでいた。








「正直…、動揺しました」

決勝での対戦を前に、山縣の心は揺れ動かざるを得なかった。



織田記念 決勝

第4レーン 桐生祥秀
第5レーン 山縣亮太



否が応にも観衆の目は注がれる。

「どっちが初の9秒台だ?」



セット…、ダーーーン!

スタートでは山縣が飛び出した。しかし、中盤で桐生が追い抜く。

勝ったのは新星・桐生祥秀。100分の1秒差で山縣を抑えた。



「ほんとに、えげつない高校生だと思いましたね」と、レース後の山縣は話す。

山縣が年下の選手に遅れをとるのは、いつ以来のことであったろう…。

「けど、また負ける気はないんで」






■3歩



予期せぬ敗北から4日後

慶応大学・競走部の寮には、負けたレースの映像を幾度となく見返す山縣亮太の後ろ姿があった。

「こうやって人の走りをすごく気にしている姿っていうのは、僕自身、あんまり望ましいことだとは思わないんですけど…」

これまで他の選手の走りを気にしてこなかったという山縣だが、桐生の走りにばかりは目が釘付けになっていた。








「負けたんで、やっぱり研究します。何が自分に足りなかったのかとか、彼のこういうところを参考にして自分の走りに加えたら、すごいとこ行けるんじゃないかとか。そういうイメージは膨らませています」

桐生の走りを見てインスパイヤ(喚起)された新たなイメージは、「熱い鉄板の上を走るイメージ」であった。

「ああいうところって、なるべく接地時間を短く走るわけじゃないですか。火傷しちゃうから」



それくらい、桐生の足の回転スピードは速かった。

日本陸連の調べによれば、桐生の足の回転は一秒間に5回。対する山縣は4.7回。このわずかな差が、100m先では3歩の違いとなっていた。

100分の1秒を争う世界にあって、この差は決して小さなものではなかった。



その差を埋めるべく、さっそく山縣は新たな練習を考案した。いつもの一歩よりも短い間隔で地面にマークを置き、そして走る。新たなイメージを身体に刷り込ませんと、何度も何度も走る。

さらに、スタートから30mまでとしていた加速区間も、さらに延ばそうと考えた。序盤の前傾姿勢をもう少し長く保つことによって、中盤以降の最高速度も上げられるのではないかと考えた。






■不安



ところが、新たな創造のための自己破壊は、安定していたフォームを乱すことにつながってしまった。

そして、タイムは遅くなっていった。



「ほんと、どうしたんだって感じです。ほんとに怖いですね。自分、足が遅くなっちゃったんじゃないかって…」

日本選手権まであと3日。ここで勝たなくては、世界選手権ヘの切符は手にできない。

好転しないタイムに、不安と苛立ちは募るばかりであった。



そこに、京都からの住職が現れた。悶々と思い悩む山縣を見かねて、大学のOBらが手を回したのであった。

武道場に坐禅を組んだ山縣は、住職の話に食い入る。

「コップっていうのは、空っぽだから意味があるんです。空っぽだから、自分の飲みたいもんが飲めるわけす。皆さんの心ん中も一緒ですね」



話はわかるが、山縣の心は不安で一杯になっていた。

決戦前夜、山縣はその胸の内をこう語っている。

「勝つだろうと見られる、タイムを出すだろうと見られる。周りは、自分に対してだいぶ変わってきたんですよ。なんか、そういう状況が長く続くと、だんだん自信がなくなってきて…。でも、自信がないとは言えないですよね…」

一人もがき、一人考える夜は長かった。






■体現



日本選手権

世界選手権を賭けた決勝(6月8日)

第4レーン 山縣亮太 慶応義塾大学
第5レーン 桐生祥秀 洛南高校

選手紹介の場内アナウンスに、大観衆は大いに沸く。



その大歓声もスタート前にはピタリとやむ。

肌を刺すよう静寂がスタジアムの空気を重くする。



「山縣、いいスタートを切った!」

スタートの号砲とともに、最も速く飛び出したのは山縣。桐生は8人中6番目と大きく出遅れた(0.02秒差)。

身体に染み込ませていた通り、山縣の加速区間はいつもより長く、ようやく顔を前方に向けたのは19歩目(35m付近)であった(以前は14歩目、25m付近)。



「ここから桐生が伸びてくるか!?」

だが、中盤に入っても桐生は追いすがれなかった。

「山縣さんが前に出ているのがわかって、『追いつけない』という気持ちになってしまいました」と、レース後に桐生は言っている。



「山縣先行! 山縣先行! 山縣! 山縣! 一着でフィニッシュ!!」

タイムは「10秒11」。今シーズン、山縣の自己ベストであった。



自分一人で考え続けてきた理想の走り。

それを体現できたレースでもあった。










■結果



桐生に敗れた織田記念の後、自分は気負いすぎていた、と山縣は語る。「自分が先に9秒台を」と。

だが考えた。考えて考え抜いた。そして至ったのは逆説的な結論だった。

「9秒台を意識すれば、タイムは出なくなる」



その前夜まで散々に悩み抜いた末、山縣は「普通」を突き抜けた。

「あえて、(9秒台を)狙わないでいこうと思っていました。結果を出したい気持ちは山々なんですけど、そこに囚われることなく、自分の思い描くレースをすることを心掛けました」

結果という最も重要な一点において、彼の心は「空っぽ」になっていた。






そして8月、山縣は世界選手権のスタートラインについた。

同じラインには、世界最速の男ウサイン・ボルトもいた。



結果は4着、タイムは「10秒21」。

惜しくも予選突破タイムに100分の1秒およばず、山縣は予選落ち。



それでも山縣が下を向くことはなかった。

「結果がダメだからダメだじゃなくて、もっと大胆になっていいと思っています。自分の中で結果を度外視して、自分の中で納得する100mをつくり上げたいと思います」

そう語る彼は、自分だけの答えをモスクワの空の下で感じていた。







”どうしたら、もっと速く走れるのか?”

その問いに果てしはない。

それでも彼は「自分がこれに見合う何かを見つけない限りは、おそらく諦めずに追い求める」と断言する。



「自分の、自分にとって、自分が存在しているんだぞっていう証明みたいなものが、陸上競技100mっていう思いが強いんです」

山縣亮太21歳

このトラックの哲学者は、なおも考え、なおも走る。













(了)






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ソース:アスリートの魂
「走りを極める 陸上100m 山縣亮太」

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