2013年6月27日木曜日

ベッカムを輝かせた栄光、そして背中の十字架 [サッカー]



なぜ、ベッカムはかくも愛されたのか?

「理由は極めて分かりやすい。ベッカムは『汗と泥にまみれたサッカー選手』というイメージを覆した。シャレた格好と甘いマスク、マンチェスター・ユナイテッドやイングランド代表の花形選手としてのステータス、さらには、ハリウッド映画顔負けの『感動的なドラマ』(Number誌)」







ドラマの幕開けは、1999年、欧州CL(チャンピオンズ・リーグ)決勝戦。

赤い悪魔「マンチェスター・ユナイテッド」は、ドイツの「バイエルン」に1点をリードされたまま、後半のロスタイムに突入(0 - 1)。

「31年ぶりに挑むCL決勝は、ユナイテッドに敗北感が漂いはじめ、赤い悪魔の命運は尽きたかに思われた(Number誌)」



ところが、ここからサッカー史に残る「大逆転ドラマ」が幕を開ける。

「ベッカムが蹴った左のCK(コーナーキック)を足がかりに、まずシェリンガムが『同点』に追いつく。さらには再びベッカムのCKから、今度はスールシャールが『逆転ゴール』をネットに叩き込んだのである!(Number誌)」

なんと、後半ロスタイムという短い時間内に「2ゴール」。その2ゴールともに、ベッカムのコーナーキックをきっかけに生まれたものだった。

熱狂するユナイテッド陣営。まさに奇跡の逆転劇であった。



「あまりにもドラマチックな展開は、ベッカム自身に脚光を浴びせると同時に、ユナイテッドやプレミアム(イングランドのサッカー1部リーグ)の知名度も上げ、世界的なブームの引き金となった(Number誌)」

だが少々皮肉なのは、この時のビッグ・タイトルが、ベッカム自身にとっては「最初で最後」となるのである。






次のドラマは、2001年、日韓W杯出場をかけた欧州地区予選。

イングランド代表は、まさかの絶体絶命のピンチに陥っていた。

「ギリシャが『2-1』でリードしたまま、ロスタイムを迎える。ベッカムたちがプレーオフに回される可能性は限りなく濃厚になっていた(Number誌)」



だがこの場面、イングランド代表は「直接FK(フリーキック)」という絶好のチャンスを得る。直接ゴールを狙える位置からのFKは、この試合にか細くも残された最後の頼みであった。

「蹴りたい」と、まず名乗り出たのはシェリンガムだった。

だが、ベッカムはその申し出をキッパリと突っぱねる。

「いや、あんたには遠すぎる」



これほど「強気のセリフ」を吐くのは、およそベッカムらしくなかった。

「もともと彼は闘将というよりは、範を示すことでチームを率いるタイプだったからだ(Number誌)」

だがこの時ばかりは、ここでW杯出場を決めねばならぬというベッカムの並々ならぬ強い責任感、そしてそのプレッシャーに耐えうる強い自信があったのだろう。



「ベッカムは見事にFK(フリーキック)をギリシャ・ゴールに決め、イングランド代表を日韓W杯に導く。試合終了後、スタジアムでは彼を讃える大合唱が鳴りやまなかった(Number誌)」

この大合唱はそのまま、日本中を席巻することになるベッカムへの「黄色い声援」へと変わっていく。






「ベッカム・ブーム」が最盛期に達したのは、2002年の日韓W杯前後のことであった。

「自伝から携帯電話、下着にいたるまで、店頭にはあらゆる種類のベッカム関連商品が並び、目抜き通りでは『ソフト・モヒカン(ベッカム・ヘアー)』の少年があふれる。プロモーションで来日した際には、ベッカムの車を追う『ヘリコプターの群れ』まで上空に現れた(Number誌)」

これは日本だけの異常な現象ではなく、似たようなことは世界中で起きていた。ベッカム自身、自動車やファッションが大好きで、目立つのも嫌いではなかった。







「だが、誤解してはいけない。社会現象ともいえるブームは、ルックスや華やかさだけからは生まれない。ベッカムが『スーパー・スター』たりえた根幹は、あくまでピッチ上にあった(Number誌)」

ベッカムには「巡航ミサイルのようなボール」を繰り出す「黄金の右足」があった。その精度の高さには、フィーゴやジダンも「銀河系一」だと太鼓判を押している。

まさにその「銀河系一の右足」が、日韓W杯出場への扉をこじ開けてきたのであった。



しかし、「ドナルドダック」とアダ名された声と同様、ベッカムの「足の遅さ」は玉に瑕であった。それでもベッカムは、スピードのなさを補って余りある「スタミナ」を誇っていた。

「ユナイテッド時代、1試合あたりの平均走行距離は14km。日韓W杯の欧州予選、『伝説のFK』を決めたギリシャ戦では、なんと16.1kmも走り回っている(Number誌)」






正確無比な右足と、無尽蔵のスタミナ。

「これらをもたらしたのは『膨大な量の練習』である。少年時代も赤い悪魔の一員になってからも、ベッカムはひたすらボールを蹴り、ランニングで汗を書き続けた。パーティーに明け暮れているようでいて、じつは『自主トレ』にも余念がなかった(Number誌)」



ユナイテッドでアシスタント・コーチを務めていたスティーブ・マクラーレンは、こう証言する。

「長い休暇明けのベッカムに、いきなり『連続ダッシュ』をやらせたことがあるんだ。だけど、最後はこっちがストップをかけなければならなかったよ。なにせ、他の連中は皆へたばっているのに、ベッカムばかりが一人で走り続けていたんだから!」

誰よりも眩いスポットライトを浴びたベッカムという男は、「人一倍地味な練習の虫」でもあり続けたという。






空前のベッカム・ブームの中で開催された日韓W杯(2002)。そのクライマックスの一つが、「イングランド vs アルゼンチン戦」だった。

前回、W杯フランス大会でも同じカードが実現していたが、その試合、ベッカムはシメオネのファールに報復して一発退場(レッド・カード)。チーム敗退の戦犯とされ、「10頭のライオンと『一人の馬鹿な若造』」と糾弾されていた。

すなわち、ベッカムにとって、アルゼンチン戦は因縁の対決であると同時に、自身の「名誉回復」もかかった一戦だった。



「0-0で迎えた前半44分、オーウェンがPKを得ると、ベッカムは迷わずキッカーに名乗り出る(Number誌)」

オーウェンはベッカムに何事かを囁いたように見えたが、当のベッカムはまったく意に介していないようだった。

「ベッカムは肩で呼吸しながら息を整えると、ゴール中央にグラウンダーを叩き込む。こうして彼は『フランス大会のリベンジ』を、4年越しで果たしたのだった(Number誌)」







だがその後、ベッカム人気の異様な高まりは、皮肉にも自身のサッカー選手としてのキャリアに暗い影を落とすことになる。

マンチェスター・ユナイテッドの恩師・ファーガソン監督は、「サッカー選手はあくまでも、ピッチ上だけで評価されるべきだ」と信じる昔気質の原理主義者。ベッカム人気が「ショービズ」で高まるほどに、ファーガソン監督の苛立ちは募っていった。

ベッカムは歌姫との結婚を機に「ふぬけ」になった、「おかしな格好や髪型」をしはじめた、とファーガソン監督は愛弟子に矢を向け始める。「私は『ベッカム・ユナイテッド』の監督ではない!」との発言には、耐えきれぬほどの怒りが込められていた。







そして、ファーガソン監督が蹴り上げたスパイクが、ベッカムの美顔に血をほとばしらせた時、その決裂は決定的になったようだった。

かわいさ余って憎さ100倍というのか、ベッカムはファーガソン監督の不興を買った結果、「愛してやまないクラブ」を去ることを余儀なくされてしまう。

「2003年の夏、ベッカムは愛着のある真紅のユニフォームを脱いだ(Number誌)」



ベッカムは、スペインのビッグ・クラブ「レアル・マドリード」に移籍が決まってから、その心情をこう吐露している。

「レアルの一員としてユナイテッドと戦うなんて…、そんな場面を想像するだけでも嫌だった…」







安住の地を失ってしまったベッカムはその後、いくつかのチームを転々とする。

スペインのレアルでリーグ制覇に貢献した後は、「サッカー不毛の土地」アメリカのLAギャラクシーへと渡り、そこでも優勝トロフィーを手にすることになる。

だが、ユナイテッドへの想いは断ち難い。イタリアのACミランでプレーしていたベッカムが、古巣のユナイテッドと対戦することになった時、かつてのチームメイトが懐かしいあまりに、「ユナイテッドの控室にお忍びで案内してくれるのをじっと待っていた」。

「ユナイテッドの連中は、今どこにいる?」







「現所属がどこであれ、ベッカムはユナイテッドに対する愛情を抱き続けていたし、ファーガソン監督への感謝を耐えず口にしていた(Number誌)」

ベッカム最後のチームとなったのは、フランスのPSG(パリ・サンジェルマン)。ここでも国内リーグの優勝を味わう。

「イングランド人が4つの異なる国のリーグを制覇するのは、史上初の偉業だった。ベッカムは90年代後半以降、長らくサッカー界に君臨し続けた(Number誌)」






そして、突然の引退発表。

「ベッカムはやはりユナイテッドで、誰からも祝福されながら現役を終えるべきだった」と、悲しむ人も少なくなかった。

だが、そのドラマはもう未完に終わった。

「5月18日のPSGでの最終戦、ベッカムはCK(コーナーキック)から得点を演出した後、後半38分に交代。子供のように涙で顔をくしゃくしゃにしながら、ピッチを後にした(Number誌)」

こうして「ベッカムの時代」は終わったのである。













(了)






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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 6/27号 [雑誌]
「デイビッド・ベッカム 時代の寵児が背負った十字架」

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