2014年7月20日日曜日

カナリアたちを襲った悲しみ [ブラジル]




64年前、ブラジルはそれまでの「白いユニフォーム」を捨てた。

あの忌まわしい「マラカナッソ(マラカナン・スタジアムの悲劇)」を、二度と思い出したくはなかったからだ。自国開催のワールドカップでセレソン(ブラジル代表)が負けるのを、もう見たくはなかった。



そして新たに袖を通したのが「カナリア色のユニフォーム」。

そのイエローとグリーンは、ブラジル国民の願望どおりに強さの象徴となった。カナリア色となったセレソンは、ワールドカップを5度も制覇した。それは、いまだ他国の追随を許さない偉業である。



しかし…

その栄光のカナリア色が、またもや悲劇に染まった。

優勝しか許されない自国開催のW杯で、ブラジル代表は敗れた。



「ミネイロッソ(ミネイロン・スタジアムの悲劇)」

新たに生まれてしまった悲劇は、過去最悪の敗戦劇であった。負けることすら許されていなかったセレソンが、まさか6点という大差で散り去ろうとは…。






時は2014ブラジルW杯、準決勝

ブラジル対ドイツ



最初にカナリアたちを狙撃したのは、ドイツのミュラー。

——ドイツの先制点は、ずっと非公開で練習してきたCK(コーナーキック)から生まれた。ミュラーがニアサイドに行くと見せかけて急反転、ファーサイドへ。マークに追いかけてきたブラジルのダビド・ルイスは、ドイツの他の選手にその進路をブロックされた。完全にフリーとなったミュラーは、ただボールにミートするだけで良かった。組織の連動美が生んだゴールだった(Number誌)。



「あの1点で、ブラックアウト(停電)してしまった」

のちにブラジルのスコラーリ監督は、そう語った。このたった一つのゴールで、ブラジルはパニックに陥った。

元ブラジル代表監督のエメルソン・レオンはこう語る。「ドイツのミュラーに先制された時、ブラジルには80分という時間が残されていた。追いつき逆転するのも十分に可能だった。それなのに選手は慌てふためいて走り回るばかり。何の修正も施せないまま時間が過ぎた」

ブラジルの不幸の一つは、この混乱した場をおさめるべきキャプテンを、この一戦で欠いていたことだ。キャプテン、チアゴ・シウバは前試合のコロンビア戦で、2枚目のイエローカードの反則を犯して出場停止に追い込まれていた。



——パニック状態のブラジルは、守備ではボールばかりを見てしまい、各自が人を離してしまった。ゾーンでもマンマークでもない中途半端な守備では、ただのマネキンの集まりだ。2失点目では簡単に裏に走り込まれ、3失点目ではサイドを崩された。4失点目は中盤でボールを失う凡ミス(Number誌)。

2点目以降は、たった6分間で大量4点を決められてしまった。

前半だけで、スコアは0対5という惨状であった。






守備の脆さを露呈していしまったブラジル。

——ブラジルが見せたのは数十年前のサッカーだ。ブラジルは足下にボールが入ってから、何かを生み出そうとする。モダンなドイツは正反対。何かを生み出すために事前に動き出す(Number誌)。

ブラジルの守備戦術は、現代では珍しいマンツーマンを基本にしていた。身体能力の高い選手の集まりであるブラジル代表は、選手間の距離が離れてもスピードとパワーでカバーできるという自信があったからだ。この点、小柄な日本人がコンパクトな陣形で選手間の距離を近く保とうとするのとは、正反対である。

ただ、さすがのブラジルとはいえ、選手間の距離が互いに遠いため、一人が抜かれれば致命的な穴が空いてしまうのだった。その穴を埋めるため、ブラジルは「戦術的ファール」、すなわちラフプレーに走らざるを得なかった。



そうしたブラジルの見せる激しい守備は、大会前から問題視されていた。

ドイツはFIFA(国際サッカー連盟)にこう抗議していた。「ブラジルはカウンター攻撃を受けそうになると、身体の強さを活かしてファールで止める。これではサッカーにならない」

ドイツが提出した進言書にはこうあった。「もしW杯でブラジルの戦術的ファールに笛を吹かなければ、優勝者は大会前から決まっているようなものだ」と。



ドイツが憂慮したとおり、ブラジルの戦術的ファールは他国を蹴散らした。

決勝トーナメント1回戦のチリ戦後、元ブラジル代表のトスタンは言った、「この大会が自国開催でなければ、ブラジルはすでに敗退しているだろう」。

——ブラジルの選手たちは戦術的ファールを連発した。同じ南米のチリとコロンビアは、体格で優るブラジルにパワーでねじ伏せられた。見事にこのダーティーな守備が機能した(Number誌)。

しかし、それは両刃の剣ともなった。

その戦術的ファールが奏効せず、キャプテン、チアゴ・シウバは累積イエローカードで出場停止。エース、ネイマールは逆に相手ディフェンダーの膝蹴りを背中にくらって、腰椎骨折。このドイツ戦のピッチに立つことができなかった。






後半がはじまっても、ブラジルが輝くことはなかった。

——スタンドの黄色が少しずつ薄くなっていく。スコアボードには、もはや追いつくのは不可能な数字が映し出されている。カナリア色のユニフォームを着たファンが、ひとり、ふたりと立ち上がり、やがて列となって、ふらふらと出口へ続いた(Number誌)。

——数千人がぞろぞろと去ろうとしていた。悲しげなその光景は、民族大移動のようだった。彼らの顔に涙はなかった。涙を流すにはあまりにも悲惨すぎたのだ(アレックス・ベロス)。



攻撃の急先鋒であったネイマールを欠いたブラジルに、ドイツの堅固な守備を崩すアイディアはなかった。ただ、オスカルのみが孤軍奮闘。一人で1点を返した。

しかし、最終スコアは1対7。傷口はさらに広がり、終了のホイッスルとともに、新たな悲劇「ミネイロッソ」が確定した。

——ブラジルの選手たちには、涙を流す余力さえ残っていなかった。ビッチに倒れ込んで目頭を抑えたのは、最後に1点を返したオスカルだけだった。ピッチに残されていたのは、魂を失った英雄たちの抜け殻だった(Number誌)。

——木っ端みじんに粉砕されたカナリアの姿は、今後、世界中の人々のサッカー観を変えるかもしれない。…サッカー界がブラジルを中心に回っているという”天動説”は、ブラジルで否定されてしまった(金子達仁)。



誰も予想だにできない結果だった。そんな中、ドイツの『ビルド』紙は、スコアを的中させた5歳の幼稚園児がいたことに喜んだ。

——ブラウンシュバイクの幼稚園が遊びの予想をおこない、エリアーノ君が7対1と書いていたのだ。試合中は寝ていたというエリアーノ君、翌朝父親から結果を聞いて大喜び。賞品としてサンドイッチが贈られた(Number誌)。











ブラジルの敗戦をうけ、メディアらは好き勝手に巻くし立てた。そして、勝っていた間には隠されていた、ブラジルの恥部をさらけ出させた。

田邊雅之「ブラジルが準決勝で負けてからコパカバーナを通ったんですけど、黄色いユニフォームは誰もいない」

近藤篤「あのドイツ戦の大惨事で、ブラジル人がみんなカナリア色のユニフォームを脱いじゃったから。ネイマールは、ブラジルの低い実力を隠す”まやかしの魔法”だったんですよね」

木崎伸也「カボチャの馬車ですよね。ネイマールという魔法が解けた瞬間に、これ馬車じゃなくてカボチャだってことが判ってしまった」



——ネイマールという類いまれな個が、ブラジルの前時代的なサッカーを続けさせていたというのは皮肉でもある。そして彼を失ったとき、ブラジルは現実を目の前にすることになったのである(Number誌)。

ブラジルのネイマールだのみ。それはアルゼンチンのメッシだのみよりも深刻だった。それは大会中、随所に見られていた。

——今回のブラジルの攻め方は非常に拙(つたな)い。原因のひとつは中盤の弱さにある。中盤でパスをつなぐことができず、攻め方に幅をもたせられない。仕方なくネイマールに向けたロングボールに頼ってしまう。ブラジルはネイマールにいい形でボールが入らなければ、攻撃のスイッチが入らない。ネイマールはブラジルの攻撃を一人で支えてきた(Number誌)。









「(全治)6週間だ。彼のコパ(W杯)は終わったんだ…」

ブラジルの料理屋の主人は、テレビを見ながら呟いた。その画面には、ネイマールが搬送された病院の様子が映し出されていた。

「できれば自分がケガを代わってあげたい、みんながそう思っているはずだ。ブラジルの希望の星だったんだから…」

——ネイマールの負傷は、ブラジル人に大いなる悲しみをもたらした。彼こそが、真のブラジル人らしいプレーをする唯一の選手だったからだ。ネイマールのいないセレソンは、もはやブラジルですらなかった。人々は、W杯からブラジルの心が消えてしまったことを、何よりも悲しんだ(アレックス・ベロス)。



5歳の少女、アンジェリーナが最初に好きになったサッカー選手はネイマールだった。

母親は言う、「あの子はまだ、コパ(W杯)やセレソン(ブラジル代表)のことがわかってなくて、ネイマールが出てくるからコパに夢中になってるの。国歌も歌えるようになってきたのよ。わたしも幼い頃、コパを通じて国歌を憶えたような気がするわ」

アンジェリーナに限らず、ブラジルの子供たちはネイマールが大好きだった。



こんなこともあった。セレソンの練習中、興奮した男の子がグラウンドに駆け込んでしまった。数人の警備員が即座に飛び出すと、その子を捕まえようと追いかけ回した。

すると、ネイマールがその警備員らに割って入った。そして、男の子の手をとるとグラウンドへと迎え入れ、自分と一緒に写真まで撮ってあげた。

帰宅した男の子は、父親にこう言った。「逮捕されると思ったら、ネイマールが迎えに来てくれたんだ。うれしくて泣きそうだったけど、セレソンに笑われると思って我慢したんだ」



元ブラジル代表のソクラテスは、口癖のようにこう言っていた。

「ブラジルのサッカーは道ばたから生まれるんだ。本当のブラジルのサッカーには、遊びと喜びがある。子供が道ばたでイタズラのようなフェイントをして見せる、あるいは踊るように、ギターを弾くようにサッカーをするんだ」






しかし現在のブラジルでは、路地でボールを蹴る子供たちがすっかり少なくなってしまったという。

——道路であろうが、空き地であろうが、街の至るところで子供たちがサッカーボールを追っている、ブラジルに対してそんなイメージはないだろうか。少なくとも私の場合はそうだった。ところが、である。ブラジル入りしてからすでに2週間、残念ながら、そんな場面に遭遇する機会がほとんどない。…日本に行ったが、サムライは歩いていなかった、そう言って残念がる外国人と大差ない話をしているのかもしれない(浅田真樹)。



隣国アルゼンチンでも状況は変わらない。ジュニア選手の育成に尽力したウーゴ・トカリはこう嘆いている。

「いまの子供たちはストリート・サッカーをやらなくなった。昔はそこで、ボールキープに必要な身体の使い方などを自然に覚えたものだが、そんなことまで教えなければならなくなったんだ」

こう言う人もいる。「もう、路地の時代じゃない。『クラッキ(名手)は路地から生まれる』という考えは、もはや過去のものとなりつつある。豊かになったブラジルは、路地というフチボウ(サッカー)の揺りカゴを失った。いまのセレソンのほとんどがトレーニングスクールで技を磨いた”養成されたクラッキ”だ。フチボウは”習うもの”になったんだ(熊崎敬)」






そんな時代の流れの中にあっても、ネイマールばかりは試合中も、遊び心にあふれていた。

サイモン・クーパーはこう記す。「”美しいゲーム”は、ブラジルという国のアイデンティティーにさえなってきた。根幹にあるのは、”ジンガ”と呼ばれる独特の動き方だ。ブラジルがW杯で5度も優勝して世界中の尊敬を勝ち取ることができたのも、このジンガによるものだ。

 だが今大会のブラジル代表は、美しくもなければ機能的でもない。”美しいゲーム”は失われてしまったのだ。フレッジやルイス・グスタボは美しさからほど遠い。ジンガを試そうともしない。

 唯一、ジンガの伝統を継承しているのはネイマールのみ。彼は雑誌のインタビューで、サッカーをダンスにたとえていた。『ブラジル人は皆、ダンスが好きだと思う。僕が育った家庭でも、みんな好きだった。自分も少しだけジンガを受け継いでいると思う。とくにお尻のあたりにね』。

 ネイマールの仕事は、チームを優勝に導くことだけではない。彼は”美しいサッカー”を象徴する役割も担っている。事実カメルーン戦では、ふわりと相手の頭を超えるボールで相手をかわしてみせた。まるでサッカーの神様ペレのように」



ネイマールのシューズには、Alegria(アレグリア)と刻まれている。

ポルトガル語で「喜び、楽しみ」を意味する。

「ネイマールのプレーには遊び心があり、なおかつ人々にアレグリーア(喜び)を与えているからすごいんです」と、元日本代表のブラジル人、三都主アレサンドロは言う。











しかし、そのネイマールは大会中に骨折という悲劇に道を閉ざされてしまった。

「もし(骨折箇所が)2cm上にずれていたら、車椅子に乗っていたかもしれない…」

会見の席上、ネイマールはそう言うと感極まり、涙を流した。



そして起きてしまった、ブラジル二度目の悲劇「ミネイロッソ」。



惨劇のあとにはもう一試合、3位決定戦(対オランダ)が待っていた。

ブラジルのベンチには、ネイマールの姿があった。プレーはできない。それでも自らの希望で病院を離れて来た。



ブラジル国歌をチームメイトとともに歌った。

だが、ネイマールの耳には信じられない音が入ってきた。ブーイングだ。試合前の国歌斉唱にブーイングが入るのを初めて聞いた。まさか自国ブラジルで…。

それまでの試合では、国歌斉唱がはじまるとスタジアムのファンは一斉に立ち上がり、音楽が止んでもなお、アカペラで国歌を歌い続けることが恒例になっていた。その国民の声にネイマールは、涙を見せることさえあった。



しかし今は違う。

一夜にして白は黒に変わった。

国民の心はすでに、セレソンを離れてしまっていた。



試合は案の定と言うべきか、またしてもブラジルの完敗に終わった(0対3)。

ネイマールは試合後、傷む背中に手を当てながらも、スタンドへ向かって挨拶をした。

しかし無常、降り注ぐのはブーイングの雨。



黄色いカナリアたちは、いつもよりずっと小さく見えた。









(了)






ソース:Number(ナンバー)857 W杯 ブラジル2014 The Final
ネイマール「届かなかった願い」
ブラジル「ミネイロンの悲劇はなぜ起きたか」



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2014年7月19日土曜日

波間に沈んだ王者スペイン [サッカーW杯]




”一国の夢をのせて”

サッカー・スペイン代表をのせた専用機、エアバスの機体にはそう書かれていた。



出発前には、スペインの首相、ラホイから激励をうけていた。

「君たちは、わが国の歴史上、最高のチームであります。大きな夢とともにブラジルの地へ向かってほしい。国王もそうおっしゃっています」

選手らは、グレーのスーツに身をつつみ、神妙な面持ちでそのスピーチを聞いていた。



”16人の王者たちがブラジルへ—”

『アス』紙はそう報じた。

代表メンバーは23人だが、そのうち16人が前回南アフリカ大会で「世界王者」になった選手たちだった。






アメリカの合宿地へ着いた一行。

初戦のオランダ戦まで1週間を切っていた。



最後の練習試合が、ワシントンで行われた。

ところが、スペイン選手にはキレがなかった。

——いつものように左右にボールを展開していくものの、中盤にはほとんど動きがない。過剰なパスの出し手に、不足している受け手。問題は変わっていなかった(Number誌)。



どこか生彩を欠いていた前回王者の16人。そんな中、フレッシュな新戦力、コケやハビ・マルティスらは光を放っていた。

——状態の良い新戦力の起用を訴える意見もあった。だが、それは少数だった。というのも、何かを切り捨てて新しい血を入れるには、スペインは勝ちすぎていた(Number誌)。

内容はいまいちながらも試合に勝ったことで、問題はうやむやにされてしまった。






”静まりたまえ。王者の登場だ”

『アス』紙の一面には、そう掲げられた。

「オランダ戦は2対0で勝つ」

そんな予想もあった。



司令塔のシャビは、こう明言した。

「われわれのスタイルは明快だ。ティキタカで試合を支配する。このスタイルで連覇して、歴史に名を刻むつもりだ」

ティキタカとは、精密機械のようにショートパスをつなぐ、パスサッカー。前回の南アフリカ大会は、このスタイルであらゆる難敵を打ち破っていったのだった。



デルボスケ監督も自信をもって、こう言った。

「われわれには恐れるものなど何もない」






その日のサルバドールは蒸し暑かった。

大会2日目の「スペイン対オランダ」は、前回大会の決勝戦のカードそのままだった。4年前はスペインが延長戦の末、1対0で競り勝った。

雪辱をきすオランダ。しかし序盤は、スペインがティキタカで主導権をにぎった。そして前半27分、PK(ペナルティ・キック)を得たスペインは、着実に1点を先制した。



しかし、オランダのファンハール監督に慌てる色はなかった。

彼は試合前、選手らにこう言っていた。「何があろうと絶対にパニックになってはいけない。先制されても冷静さを保っていけば、試合の流れは必ず向いてくる」

ファンハール監督がオランダの選手らに強調していたのは、「スペイン勢の疲れ」だった。少し前に行われた欧州CL(チャンピオンズ・リーグ)、スペイン代表の多くは決勝までの長い戦いを強いられていたのである。



オランダのストライカー、ファンペルシはこう振り返る。

「スペインは体力を消耗しているはずだ、だからこっちは、前半に相手の体力を消耗させておいた上で、自分たちが攻撃にうつる瞬間を待っていたんだ。走力で圧倒できるタイミングが来るのをね。監督が言ったことは、すべてその通りになったよ。まるで予言者みたいにさ」

スペインの足が止まるのに、それほど時間はかからなかった。

元スペイン代表のジョアン・カプデビラは言う、「スペインの選手は確かに動けていなかった。攻撃も、あまり足下へと固執しすぎていたのかもしれない。オランダの選手は運動量でも、球際の勝負でも優れていた」



前半の終了間際

スペインのゴール前、ファンペルシーが飛んだ。

華麗なシュートとは、ああいうものを言うのだろう。なんというダイビング・ヘッドか。豪快ながらも計算されたそのシュートは、スペインのGK(ゴールキーパー)の頭上をふわりと浮いた。そしてゴールに吸い込まれた。

ハーフタイムを前に、オランダはスペインに1対1と追いついた。



「ちょっと嫌な雰囲気のまま、ハーフタイムに入ってしまった。精神的にはあれが影響した」

スペインのFW(フォワード)イニエスタは、そう振り返る。

——スペインは得点力不足という隠れた問題を抱えていた。相手を圧倒する華麗なパス回しと高いボールポゼッション(支配率)が、決定力に蓋をしていた。スペインのもったボールは縦方向に進むことがなかった(Number誌)。



パスの出し手である司令塔、シャビも大会前、こんなことを漏らしていた。

「ときどきプレーしていて思うんだ、これは出しどころがないな、と。相手が引いて守れば、さすがに崩すのは難しい。問題は攻め方なんだ」

スペインの得点力は低かった。ワールドカップ予選でも、1試合平均で1.8点。対するオランダには、一試合平均3.4点という決定力の高さがあった。





4年前の雪辱を果たすため、オランダのファンハール監督はさらなる秘策を選手らに授けていた。

それが「ステーション・スキップ」。

スペイン得意のティキタカは、司令塔シャビのいる中盤が要になっている。そこでオランダは、そのスペインの強みである中盤をすっ飛ばし、一気にロング・ボールを前線におくりこむ。それがステーション・スキップだった。



オランダの前線は、疾風のようにスペースへと駆けた。

自陣後方からは、面白いようにカウンター性のロングボールが飛んでくる。

「速い、速い! ロッベン!」

オランダのもう一人のストライカー、ロッベンは短距離選手のようにスペインゴールに迫った。時速30km以上、その韋駄天ぶりでスペインのディフェンダーを置き去りにし、ときにゴールキーパーまでもかわしてみせた。






「本当に信じられなかった。こんなことになるなんて、まったく想像もできなかった」

元スペイン代表のジョアン・カプデビラは、その惨劇を目の当たりにして、そうつぶやいた。



1対5

信じがたいスコア差だった。

前回王者のスペインが、完膚なきまでに叩きのめされたのである。











当然、チームは動揺した。

大敗の翌日、監督のデルボスケ、主将のカシージャス、司令塔のシャビ、この3人で緊急ミーティングが開かれた。

「いくつかの変更があるだろう」とデルボスケ監督は、次のチリ戦について語った。

「だが、スペインが踏襲してきたスタイルを捨てることはない」、そうも言った。






そして迎えたチリ戦

ピッチ上には、司令塔シャビの姿がなかった。

この4年間、ティキタカを操っていた男が…。



しかしスペインは、中核のシャビを外すという大きな変革をしてもなお、格下のチリに敗れた。

——かつて世界を席巻したティキタカは、マラカナンで崩壊した。前回王者は、たった2試合を戦っただけで、大会敗退が決まった(Number誌)。









大会後、元代表のジョアン・カプデビラは、こう言った。

「ブラジルだって、1対7で負けただろう? サッカーではこういうことも起きるんだ。負けたからといって、スペインのサッカーを捨てるべきじゃない。顔を上げて、またリスタートするだけだ」

オランダ代表のファンペルシも、スペインの「ティキタカ崩壊」というメディアの論調をやんわりと否定する。

「いや、そうは思わない。…というよりも、そうあっては欲しくない。どのチームも、自分たちに合ったサッカーをするわけだからね。スペイン代表はやはりティキタカを続けていくはずさ。波が寄せては引き、また新しい波がやってくる。サッカー界というのは、海のように動き続けるものなんだよ」






スペインの敗退決定から5日後

スペイン対オーストラリアの試合が行われた。

スペインにとっては消化試合にすぎなかったその試合、新たな力が躍動していた。大会前に好調だったコケが活き活きとピッチにあった。それまで端役だった選手らが、次々と得点を決めていた。

スコアは3対0と快勝。



しかし勝利後も笑顔はなかった。

だが、スペインの新たな旅はもうはじまっていた。

夢破れた、そのブラジルの地で。






(了)






ソース:Number(ナンバー)857 W杯 ブラジル2014 The Final
スペイン代表「ティキタカ崩壊までの25日間」
ロビン・ファンペルシ「監督はまるで予言者だった」



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2014年7月18日金曜日

ドイツの神の子、W杯決勝弾 [ゲッツェ]




ドイツ代表、史上最高の選手

「マリオ・ゲッツェ」は、そう讃えられてきた。

8歳のときからドルトムントに所属。香川真司とともにブンデスリーガ2連覇に貢献。A代表デビューは18歳という若さ。ブラジルW杯でも、まだ22歳であった。



今回の大会メンバー入りしたのは、レギュラーだったロイス(FW)が負傷したということもあったが、ゲッツェのパフォーマンスは練習中から良好であった。レーブ監督もそれを評価した。

そしてその期待どおり、W杯グループリーグ第2戦(ガーナ戦)、ゲッツェはやくもワールドカップ初ゴールを決めてみせた。



しかし、決勝トーナメント1回戦(アルジェリア戦)、監督に「不甲斐ないプレー」を見とがめられたゲッツェ。ハーフタイムでベンチに下げられた。

それ以降はサブにまわされたゲッツェ、準決勝(ブラジル戦)では出番さえ与えられなかった。

決勝戦を前にして、ゲッツェの市場価値は大会前の5,500万ユーロ(約75億円)から、700万ユーロ(9.6億円)も評価額を落としていた(『Transfermarkt』)。






そして迎えた決勝戦(アルゼンチン戦)

ゲッツェは当然のようにベンチ・スタートとなった。それでも彼は、出場の機会を虎視眈々と狙っていた。ばっちり散髪まで済ませて。



試合は膠着

——ドイツはペナルティエリアの外からシュートを打つのがやっとで、逆にアルゼンチンのカウンターで、メッシやイグアインにGK(ゴールキーパー)と1対1の場面をつくられてしまっていた。ドイツが「ボールを持たされている」という意味で、アルゼンチンが優位に立っていた(Number誌)。



前後半フルタイムの終了間際

後半43分、ついにゲッツェは夢の大舞台に送り出される。

「お前がメッシよりも良い選手だということを、世界中に見せつけてこい!」

レーブ監督は、ゲッツェをそう激励した。



レーブ監督は2006年にドイツ代表監督に就任して以来、不幸にも優勝というタイトルだけがなかった。ワールドカップでもユーロでも準決勝(ベスト4)まではいくものの、そこから先には手が届かなかった。それゆえレーブ率いるドイツ代表は「セミファイナル(準決勝)ジェネレーション」とも揶揄されていた。

その悲願の優勝へむけ、レーブ監督が最後の切り札と考えたのがゲッツェだった。






決着は延長戦にまでもつれこんでいった。

延長前半、身長186cmのミュラーが1トップの位置にいた。しかし後半からは、その位置に身長176cmのゲッツェが入った。それが指揮官レーブ、最後の大博打。ここ大一番で、ゲッツェにすべてを託した。



延長後半8分、レーブ監督がPK戦を覚悟したとき、ゲームは動いた。

シュールレが一気猛然にドリブルで駆け上がる。それに何かを感じたゲッツェが連動。一瞬うまれていたゴール前の空白地帯へゲッツェは飛び込んだ。

イメージどおりのクロスが、ゲッツェの胸元に来た。

——ゲッツェは、シュールレのクロスを胸でトラップ。身体を倒しながら、ボールが落ちてきたところを左足のボレーで叩くと、アルゼンチンのゴールネットが揺れた(Number誌)。



値千金の決勝ゴール

市場価値ではとても測れそうにない、美しい一撃だった。

それまで鉄壁を誇っていたアルゼンチンの守備網は、最後の最後、その一閃によって切り裂かれた。






試合の最終盤、メッシのFK(フリーキック)がゴールの外へ大きく外れた。アルゼンチンの「神の子」であるメッシは、最後の輝く機会を失った。

そしてレフェリーの笛が鳴った。

1対0

ドイツにとっては24年ぶり、4度目の優勝が決まった瞬間だった。









クローゼが、シュバインシュタイガーが、涙を流していた。

「セミファイナル(準決勝)ジェネレーション」たちにとって、優勝という最高の名誉がついに手に入ったのだ!



一方、決勝弾を決めたゲッツェは涼しげだった。

——表彰式でみんなが我先にとトロフィーに触れようとしていくのを横目に、ゲッツェはクールに喜びを表しただけだった(Number誌)。

ここ10年来の先輩らは、優勝をまえに何度も足踏みしてきた。しかし、このゲッツェばかりは、一発で頂点に立ったのだ。



いつもは厳しい表情のレーブ監督。

この日ばかりは、相好を崩して言った。

「ゲッツェは神の子なんだ!」













(了)






ソース:Number(ナンバー)857 W杯 ブラジル2014 The Final
マリオ・ゲッツェ「リオで甦った、ドイツの”神の子”」
ドイツ対アルゼンチン「最先端フットボールの勝利」



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2014年7月11日金曜日

ゴールキーパーの幸不幸。ジュリオ・セザル [ブラジル]




「PK戦の前にジュリオ(セザル)が言ったんだ。”今日は3本止める自信がある”と」

ブラジル代表のキャプテン、チアゴ・シウバはそう言った。



自国開催のW杯(2014)。勝たねばならない宿命を背負っていたブラジル代表

ところが決勝トーナメントの初戦、チリを相手に延長戦を戦っても決着がつかず、PK戦にまでもつれ込んでいた。

ブラジルの命運はGK(ゴールキーパー)、ジュリオ・セザルに託された。



「止めたーー! ジュリオ・セザル、止めました!」

「止めたーー! ジュリオ・セザル、また止めました!」

彼は止めた。1度ならず2度までも。チリの第一キッカー、ピニージャ。つづくサンチェスまでがセザルの両腕に阻まれた。



そしてチリ最後のキッカー、ハラ

「はずれたー! ブラジル勝ちました!」

ボールをポストに当てて、ブラジルに勝ちを贈った。






辛くも、首の皮一枚で勝利したブラジル。

主将のチアゴ・シウバは子供のように泣きじゃくり、こう言った。

「ジュリオ(セザル)は4年前のワールドカップを悲しい形で終えていた。誰よりも彼が勝利に値する人だ」



4年前の南アフリカW杯、準々決勝のオランダ相手に痛恨のミス(クリアミス)を犯したジュリオ・セザル。敗退の戦犯とされていた。セザル自身、その責任を重く受け止め、敗戦直後のインタビューでこう語っていた。

「優勝すると信じていたのに、悲しい思いでいっぱいだ。責任は自分がとる」

ブラジル国民は厳しかった。セザルを「二度とセレソン(ブラジル代表)でプレーすべきでない」とまで非難した。



そのときの報復となったチリとのPK戦。ブラジルのエース、ネイマールもセザルを惜しみなく讃えた。いまやセザルこそが国の英雄だった。

「人々はジュリオ(セザル)が小さなクラブでプレーしていると馬鹿にしていた。今日、彼はそんな人たちの口をふさいだんだ」

かつてセザルはイタリアの名門インテルでプレーしていたことがあった。だがあれ以来、彼はその所属クラブを去ることになり、代表からも呼ばれなくなっていた。セザルは11歳の息子を相手に、公園で練習を重ねた。そしてカナダなどのクラブを転々としていた。




それでも、ブラジルの代表監督スコラーリは、セザルを信用し続けていた。

元代表監督のエメルソン・レオンはこう言う。「現役時代にGK(ゴールキーパー)を務めていた私は、経験豊富で分析能力の高いジュリオ・セザルを日頃から最高のGKだと思っていた。だが今年に入ってから、彼に不信感を抱くファンは多かった。今回の勝利は、ずっと彼を信頼して使い続けてきたフェリポン(スコラーリ)の功績でもある」



決勝トーナメント1回戦、ブラジル対チリのマン・オブ・ザ・マッチ(試合における最優秀選手)には、文句なくセザルが選ばれた。

試合後のインタビュー、待っていたのは4年前のW杯と同じインタビューアーだった。

セザルは言った。「4年前、とても傷つき悲しかったときに、あなたにインタビューを受けた。だが、今回は喜びでいっぱいだ。しかし、まだブラジル代表の戦いは終わっていない。優勝まであと3試合ある。また、あなたのインタビューを待っている」









つづく2回戦(準々決勝)

ブラジルはコロンビアを、2対1で下した。

しかし、その代償は大きかった。主将チアゴ・シウバが累積イエローカードで次戦出場停止となり、エース、ネイマールは背骨を骨折して戦列を離れることになった。ブラジルの誇る最強の盾と矛を、次の準決勝、ドイツ戦では欠くことになってしまったのである。








そして悲劇は起こった。



「歴史的屈辱」(『オ・グローボ』紙)

「大虐殺」(『フォーリャ・デ・サンパウロ』紙』)



——試合はあっという間に決着がついた。11分にCK(コーナーキック)からミュラー(ドイツ)が決めると、23分、24分、26分、29分とまさに立て続けにドイツのゴールが決まった。これで前半0対5。スタンドが嘆く暇もなく、ブラジルの決勝進出の可能性は消えてしまった(Number誌)。

——何かすごいものを見てしまった、誰もがそんな表情を浮かべている。辺りはどよめきに包まれていた。1対7。試合終了直前にオスカル(ブラジル)が一矢報いたが、大勢が変わるわけはなかった。ブラジル対ドイツの準決勝は、誰も予想できない結果に終わった(同誌)。





大敗後、ブラジルの選手らはなかなか記者の待つ場所へと姿を現さなかった。

試合終了から1時間20分が経っていた。記者らはただ待ち続けた。



ようやく現れたのはダニエウ・アウベス

「まったく反撃できなかったんだ…」

見たこともない悲しげな表情。いつもより数倍低いトーン。



代表選手の中で、最も批判されたフレッジは

「人生で最悪の試合をしてしまった。この敗戦は、僕らの生涯にずっとついてまわるだろう」と、少しだけ口を開いた。

フェルナンジーニョも呆然としたままだった。

「…言葉すらない。いったい何が悪かったのか、それすら分からないんだ…」



守備の要、主将のチアゴ・シウバは、出場停止でドイツ戦のピッチ上にはなかった。

「自分が出ていたら、こんなことにはならなかった? そんなことは分からない。もしかしたら8、9失点していたかもしれない。6分間に4点…。こんなことはキャリアの中で経験したことがない。なぜこうなったか、説明したいんだけど説明できないんだ…」






そして、90分間で7度もネットを揺らされた「世界で最も不幸なゴールキーパー」、ジュリオ・セザルが重い口を開いた。

「失点のあと、なぜかチームはバランスを失って…。あの8分間…。あれがすべてだ。7失点で負けるっていうのは、普通じゃない。僕は9月に35歳になる。次のワールドカップは難しいだろう。しかし、このチームは若い。若手たちはこれを糧に、4年後に向けて進んでいってほしい」

その目には、屈辱の涙がうかんでいた。それでもセザルはまだ気丈であった。記者に対して、誰よりも長く話した。

あまりの衝撃に言葉を失っていた若手連中らとは異なり、このベテランGK(ゴールキーパー)ばかりはすべてを受け止めようとしていたかのようであった。






最後の戦いとなった、オランダとの3位決定戦。

ブラジルはまたしても完敗(0対3)。

王国の傷口には、さらなる塩が塗り込められた。



白は一夜にして黒に変わりうる。

いったい誰が、ブラジルの国歌斉唱にブーイングが浴びせられることを予期できたであろうか…






(了)






ソース:Number(ナンバー) ベスト8速報
ブラジル「王国復権への苦しみ」
「歴史的敗戦をセレソンはどう語ったか。それぞれの傷」



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2014年7月10日木曜日

走るアメリカ、W杯を駆ける [サッカー]




サッカー不毛の国

アメリカ

——アメリカにおいてサッカーは「脇役」にすぎず、主役は野球、バスケットボール、アメリカンフットボール、アイスホッケーだ(Number誌)。



その荒野に、一人のドイツ人が降り立った。

ユルゲン・クリンスマン

ドイツの前代表監督(2004〜2011)であり、自国開催のドイツW杯(2006)では第3位という成績を刻んだ。選手時代にはW杯の優勝経験もある(1990イタリア大会)。



クリンスマン監督は言った。

「アメリカだからこそ出来るサッカーが必ずある」






クリンスマンの傍らには、ある日本人がいた。

咲花正弥(さきはな・まさや)

——咲花はフィジカル分野におけるエキスパートだ。現ドイツ代表監督レーブのスタッフとして、ユーロ2008と2010年W杯に同行。一方、ウワサを聞きつけた岡田武史監督の依頼により、同時期に日本代表の体幹トレーニングにも携わった。そして2011年9月、アメリカ代表のフィジカル・コーチに就任(Number誌)。



咲花は、クリンスマン監督の改革をこう語る。

「以前のアメリカは、まずディフェンスをしてカウンターから得点を狙うサッカーをしていました。クリンスマン監督の考えは違います。『プロアクティブ』に自分たちでつないで攻めようじゃないか、と」



「プロアクティブ」

それは「先を読んだ攻撃的なサッカー」を意味した。

それこそが「チャレンジ精神あふれるアメリカの国民性」をサッカーに活かせる道であると、クリンスマン監督には思われた。








クリンスマン監督の改革は、じつに合理的であった。

咲花コーチは言う。「選手の血液検査をしてどの栄養素が足りないかを調べ、食事やサプリメントに反映させます。ブラジルW杯期間中は、血液検査の頻度を増やし、さらに脱水症状のチェックをほぼ毎日していました。ドイツ代表もここまで細かくは調べていませんでしたよ」

アメリカはサッカーこそは後進国であるものの、最先端の技術や知識を取り入れる先取の気性は存分にあった。練習中には走行距離や負荷などが個別にモニタリングされ、それが次の練習強度を決めるデータとして用いられた。



また、クリンスマン監督は積極的に「国外に住むアメリカ人選手」の発掘を手がけた。

ヘルツォーク(元オーストリア代表)コーチがヨーロッパ中を飛び回り、候補を見つけてはリクルートに奔走した。

——すでにドイツ出身の「ジョーンズ」と「チャンドラー」がアメリカ代表入りしていたが、アンダー世代のドイツ代表経験がある「ジョンソン」、「ブルックス」、「グリーン」、「ヨハンソン(元アイスランドU-21代表)」らが次々と星条旗を背負う決断を下した(Number誌)。



そうした国外志向に、アメリカ国民はしばしば反発した。

前アメリカ代表監督のブラッドリーは、「なぜ国外から選手を連れてくる必要があるのか? MLS(メジャーリーグ・サッカー)を軽視している。やはりアメリカ代表はアメリカ人が率いるべきだ」と痛烈に批判した。

だがクリンスマン監督は、そうした批判をすべて無視した。むしろ批判されると「アメリカのメディアも欧州のレベルに近づいてきた」と逆に喜んでいたという。






「アメリカ・サッカーのクオリティーや戦術理解度は、ヨーロッパに比べればまだ低いと言わざるを得ない」

クリンスマン監督の改革は順調に進んでいたものの、まだまだヨーロッパの強豪国との間には埋められない差が厳然としてあった。



そこで、ブラジルW杯に向けて特別プランが実施された。

「暑熱対策」がそれであった。



その責任者となった咲花コーチ、科学的根拠を元にした対策をあらゆる角度から講じていった。

「最も注意したのは『暑熱順化』のプロセスです。いきなり暑いところでフィジカル(身体)のベースを作ろうとすると、負荷がかかりすぎます。だから、まずは涼しい西海岸のサンフランシスコで合宿を行い、そしてニューヨークを経由して、暑熱順化のためにフロリダ入りしました」

理論によれば、暑熱順化には7〜10日間かかるとされていたので、フロリダでの7日間は強度を落としたメニューが実施された。

咲花は言う、「環境のいいところでフィジカル(身体)のベースをつくれば暑熱への順化も早くなるし、身体がフィットしていれば暑熱順化も長持ちする。それが僕たちの考え方でした」

この点、いきなり暑い鹿児島・指宿(いぶすき)で身体作りと暑熱順化に取り組んだ日本代表とは、アプローチの仕方がまったく異なっていた。






ブラジルW杯におけるアメリカ代表の拠点は、涼しいサンパウロであった。

ここでの練習は快適であったが、しかし、それまで施してきた暑熱順化の効果は日ごとに薄れていってしまう。そこで、グループリーグ初戦の3日前には会場であるナタール入りをFIFAに要請した。

「サンパウロでの滞在を、なるべく短くするのが鍵でした」と咲花コーチは言う。

それは、クリンスマン監督がそれだけ初戦を重要視していたからであった。実力で劣るアメリカ代表が初戦を落とすことは致命傷になると思われたのである。

「ドイツ代表ならば、6〜7試合を見据えたコンディションが可能ですが、アメリカの場合、とにかく初戦(ガーナ戦)に照準を合わせていました」



この「初戦にピークをもっていく周到な準備」が、アメリカを救うことになる。

先制点はアメリカ。主将デンプシーはキックオフ直後にスルスルとドリブルで抜け出し、開始わずか29秒という電光石火のゴールをいきなり決めた(W杯歴代5位のスピード)。

ところが後半、攻撃の勢いを強めたガーナは、ギャンのアシストからA.アイェウが同点ゴールを決める。追いつかれたアメリカは苦しい展開になったものの、ブルックスがCK(コーナーキック)をヘッドで押し込み、終了間際に勝ち越しに成功した。

——シュート数やボール支配率などで上回ったのはガーナであったが、最後まで粘り強い守備と闘う姿勢を見せたアメリカが、激戦を制した(Number誌)。






続く第2戦、ポルトガル戦。

会場は、さらに蒸し暑いマナウス。

暑熱順化に成功していたアメリカ代表にとって、過酷な条件は望むところであった。むしろ不安を抱えていたのはポルトガル代表のほうであった。

クリンスマン監督は試合前、選手らにこう言った。「ポルトガルの準備をみると、暑熱順化をしていない。間違いなく後半に足が止まる。先制されても絶対に逆転できるぞ」



先制したのは開始5分、実力者ポルトガルだった。

だが、クリンスマン監督の予想どおり、後半のポルトガルは足が止まっていた。そこを走力で押したアメリカは2点を返し逆転に成功。誤算だったのは、終了直前にポルトガルの同点ゴールを許してしまったことだった。最終スコアは2対2の引き分けに終わった。



第3戦、ドイツ戦。

ドイツはクリンスマン監督の母国であり、弟子のレーブ監督が率いる「師弟対決」となった。

軍配は、地力で勝るドイツにあがったものの、アメリカはグループリーグ1勝1敗1引き分け、得失点差でポルトガルをかわして決勝トーナメント進出を決めることになった。



アメリカは暑熱順化の成功も手伝って、代表選手らはベスト16に進んだどの国よりもピッチを走り回った。

グループリーグ終了時点で、全選手中で最も走行距離の長かったのはアメリカ代表のブラッドリーだった。チーム全体の走行距離もアメリカが一番で(一試合平均124km)、そのハードワークが際立っていた。

そうした「走るアメリカ」に、サッカー不毛の民、アメリカ国民らも熱狂せずにはいられなかった。






いよいよ決勝トーナメント

1回戦の相手はベルギー。この強豪国は、チェルシーのアザールら欧州のビッグクラブでプレーする選手であふれている。選手の質では、明らかにアメリカは劣っていた。



——だが、アメリカには「驚異の運動量」があった(Number誌)。

格上ベルギー相手に、アメリカは走り続けた。前半は互角に打ち合ったアメリカであったが、後半はベルギーの猛攻にさらされた。それでもアメリカの守護神ハワードは、ゴールの壁を守り続けた。

90分間の戦いは両チーム無得点。決着は延長戦へともつれこんだ。

——試合が動いたのは93分。デブライネ(ベルギー)が放ったチーム31本目のシュートが先制点に。105分、今度はカウンターから後半登場のルカク(ベルギー)がゴールをゲット。延長前半に0対2とされてしまったアメリカだったが、走ることはやめなかった。19歳のグリーン(アメリカ)が裏に抜け出してスーパーボレーを決めて1点返した。粘りに粘ったアメリカだったが、あと一歩及ばなかった(Number誌)。






アメリカのオバマ大統領は、試合後、代表チームに賛辞をおくった。

「君たちを誇りに思う。アメリカ中に感動を与えてくれた」

——この賛辞は、敗者が放った特別な輝きを物語っていた。敗れてもなお人々の記憶に残る「美しき敗者」であった(Number誌)。

このベルギー戦、マン・オブ・ザ・マッチ(試合における最優秀選手)に選ばれたのは、敗戦チームであるアメリカのGK(ゴールキーパー)ティム・ハワードであった。






試合翌日、クリンスマン監督は誇らしげにこう語った。

「以前ならば、延長後半のような反撃はできなかったと思う。選手らはワールドカップ期間中、すさまじい成長を見せてくれた」

「アメリカのサッカーは、ブレイク寸前だ」













(了)






ソース:Number(ナンバー) ベスト8速報
アメリカ「クリンスマンの独立戦争」



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2014年7月6日日曜日

日本代表、敗北とともに [サッカーW杯]




日本のブラジルW杯は、本田圭佑の豪快なゴールで幕をあけた。

「ホンダがシュートを打ったシーンを、俺はすぐ近くで見ていた。あれは完璧な一発だった」

対戦相手コートジボワールのヤヤ・トゥーレも、そう言って脱帽するほどだった。



だが、この初戦、日本は1対2で落とすことになる。

イタリア『ガゼッタ・デロ・スポルト』紙「気になったのは、失点直後のチームの精神状態だ。同点にされたあと、日本はまるでトーナメントが終わってしまったかのように気落ちしていた。そして、あれよという間にまた失点」

スペイン『スポルト』紙「2分間で2失点。先制したあとにラインを下げすぎた。おかげでコートジボワールはボールを持つことができたのだから、敵に塩を送ったようなものだった」

コロンビア『エル・ティエンポ』紙「ホンダの鞭のようなシュートで先制点をあげたものの、それ以降はノックアウトされたボクサーのようだった」









続くギリシャとは引き分け。

最終戦コロンビアには1対4の完敗を喫した。

これが日本代表の戦いのすべてとなった。





チーム最年長の遠藤保仁は言った、「4年前の南アフリカ大会のときとは違い、このワールドカップは『自分たちが自信をもって挑んできた大会』だった。でも、世界は簡単じゃなかった。何もできず、叩き潰された…」

彼に涙はなかった。

「涙がでないくらいショックだよ…」

最終戦となってしまったコロンビア戦、ついに出番のなかった遠藤。ずっとビブスを着たままだった。



遠藤は言った、ブラジルW杯を「自分たちが自信をもって挑んできた大会」だと。

確かに南アフリカW杯後の4年間、日本は世界の強豪と互角以上の戦いを展開してきた。アルゼンチンに勝利したのを鏑矢に、フランスやベルギーにも勝ってきた。前回準優勝のオランダにも引き分け。今回ダークホースとして躍進しているコスタリカにも、大会直前に勝っている。ちなみに、ここに列挙した国々は今大会、いずれもベスト8入りを果たしている。

開幕前はメディアもその気になって、「優勝まで7試合ある。どこにピークを合わせるべきか?」といった質問まで飛んでいた。









しかし、結果は残酷だった。

グループリーグで1勝もあげられず、日本代表は最下位で敗退。本田が掲げた「優勝」という途方もないアドバルーンは、わずか10日間で空しく萎んでしまった…。



本田は言った、「非常にみじめですけど、すべてを受け入れるしかない」

——本田が発した「優勝」という言葉が一人歩きしはじめ、チームはそれに縛られてしまった。高すぎる目標がやるべきことの絞り込みを難しくし、大会中に動揺を大きくした(Number誌)。



ブラジルの元代表監督、エメルソン・レオンは言う。「今回の日本代表には未成熟さと脆さを感じた。また、気持ちの強さや必死に取り組む姿勢が欠けていた。私の知っている日本人選手は、闘志があり試合終了まで責任をもって全力で戦う。それが日本文化であり、私は素晴らしいと思っていたのだが…」

スペイン『スポルト』紙「日本の文化と日本人の気質からすると、こういう大舞台で、とくに南米組が見せる”よこしまな部分”には戸惑っているのではないか。彼らは、勝つために必要とあらば、敵に噛みつきもするのだ」

アレクシス・メヌーゲ(ジャーナリスト)「日本は相手を恐れてばかりいた。勇気が乏しく、不安を必死に隠そうとしているチームになってしまっていた。香川真司はどうしたのだ? ドルトムントでは天才的なトップ下としてあれほど輝いていたのに、マンチェスターUに移籍してから闇に光を吸い取られてしまったようだ。ACミランの本田圭佑にも失望している。あまりにもプレーが無難すぎた。大会前、私は日本がベスト8に進出すると予想していたのだが…」









日本はよく、「Ousadia(オウザディーア)」が足りないと言われてきた。

ポルトガル語で「勇気」を意味する言葉である。ネイマール(ブラジル)は左足にタトゥーを刻んでいる。

ブラジル生まれの三都主は説明する。「オウザディーアという言葉を簡単にまとめるのは難しいんですよ。勇気といえばそうだけど、同時に『遊び心』も含まれているんです。たとえば、ゴールキーパーと1対1になったとき、オウザディーアがないとループシュートのようなことはできない。『勇気をもって大胆なことを平気でやること』かな」



似た言葉に「Malicia(マリーシア)」というのもある。「ずる賢い」という意味で、試合の駆け引きをも含む。

三都主は言う、「汚い手だと思われても、ルールの範囲内でやる分には問題ない。マリーシアにもじつは『遊び心』が必要で、オウザディーア(勇気)に通じるんです」



オウザディーア(勇気)とマリーシア(ずる賢さ)。

「遊び心」の乏しい一般的な日本人には、なかなか足りないものらしい。どちらかと言えば、日本人には「デテルミナサオン(真面目さ)」や「アプリカサオン(勤勉さ)のほうがしっくりくる。

一方のブラジルでは、勇気と遊び心が「Alegria(アレグリーア)」、すなわち「喜び」に通じるものとして歌にも讃えられている。






いずれにせよ、1分2敗、2得点6失点、それがブラジルW杯における日本の現実であった。初戦の敗戦で隘路に入り込み、「アレグリーア(喜び)」からは遠ざかってしまった。

キャプテン長谷部誠は、敗戦の責任を背負い込もうとする。

「結果が出せなかったのは選手に責任があります。ここは選手が強く責任を感じなきゃいけないところだと思います」



彼は最後のコロンビア戦、3点差と突き放されながらも、ありったけの声を張り上げてチームを鼓舞し続けていた。終了のホイッスルが鳴るまで、キャプテンはずっと気丈だった。

——終わってみれば、1対4の完敗。ピッチに立ち尽くし、崩れ落ちる傷だらけのサムライたち。長谷部誠はその一人ひとりに声を掛けていった。立ち上がれない者には、手を差し伸べた。その目には涙が溜まっていた。だが、感情を必死に抑えながら、仲間をねぎらい続けていた。ザッケローニ監督とも握手を交わした。このとき、長谷部の表情が少し歪んだ気がした(Number誌)。



じつは長谷部、以前にキャプテンの交代を申し出たことがあった。

長谷部は「もう少し若い選手にキャプテンを任せたらどうですか」と監督に言った。

するとザッケローニ監督は「代える気なんてまったくない」と答えた。そしてこう続けた、「自分は今までいろんなところで監督をしてきたけど、本物のキャプテンはマルディーニとお前だけだ」

その言葉に長谷部は監督からの熱い信頼を感じ、キャプテンマークを返上しようとしたことを痛く後悔したという。











グループリーグ敗退が決まった翌日

最後の食事となったランチの席で、ザッケローニ監督は挨拶に立った。監督は代表選手らにひとしきり感謝をのべた。そして突然、涙声になった。

「もう一回、ワールドカップを戦えるとしても…、もう一回、選べるとしても…、私はここにいるメンバー、スタッフを選ぶと思う…」

通訳も涙を流して、この言葉をみんなに伝えた。



長友佑都はしんみりと言う。「これで終わってしまう寂しさがあって…。監督の最後の言葉がね…。勝たせてあげられなかったことで、そこがもう悔しくって…」

出場のなかった選手たちも「一日でも長く、このチームで戦いたかった」と口をそろえた。

——しかしながら、「最高のチーム」が最高の力を発揮することはなかった。なんとも言い表せない悔しさと虚しさが、ブラジルでのラストデーを包んでいた(Number誌)。






元日本代表監督イビチャ・オシム氏は、「日本がこれまで歩んできた道のりは、決して間違ってはいない」と断言する。

「このチームを完全に破壊してしまうのは得策とはいえない。すべてを見つめ直し、不適切であるものを、すべて適切な場所に置き直す。それらを破壊し、撤去し去るのではなく、然るべきところに配置するようにする」

「すでに多くの選手がヨーロッパでプレーしているのだから、課題の克服はそう難しくはない。現状は後退でも、それは次に飛躍するための後退だ。必要な後退でもあり、可能性はその先にある。もう、かつての弱かった日本ではない。日本は今の道を歩み続けるべきだ。自信をもってブレることなく」






ブラジルでの最後の記者会見

ザッケローニ監督は、はっきりした口調でこう言い切った。

「すべての責任は私にある。メンバーを選んだのも、戦術を決めたのも自分。今回の敗戦の責任は私が負いたい」



日本に帰国後、ザッケローニ監督は母国イタリアへと帰っていった。

イタリアでのインタビューに、彼はこう答えている。

「湧き上がる感情を抑えられなかった。離れるのが辛かった。ファンや選手までもが空港に見送りに来てくれたんだ。こんなことは他の国ではなかったよ…」



空港で見送ったキャプテン長谷部は、ザッケローニ氏からのメッセージを授かっていた。

「親愛なる日本の皆様へ

 4年間ありがとうございました。

 日本を離れること、とても寂しい気持ちでいます。

 …

 応援してくれた皆さんのことは、永遠に私の心に留まり続けます。

 ありがとうございました。

 サヨナラ」



長谷部はこう続ける。

「今日から彼とは友人です」



ザッケローニ氏は日本代表監督就任以来

通算55試合で、30勝12分13敗という結果をのこした。











時は少し戻り、最終コロンビア戦の翌日

「やろっか」

山口蛍は、若手らにそう声をかけた。そして練習グラウンドに集まった、ロンドン五輪の選手らを含む6名。清武、斎藤など。



心地よい風が吹いていた。

ボールを蹴り続けながら

「ロシア(次回W杯)では、俺らが中心になる」

王国ブラジルで、彼らはそう誓った。













(了)






ソース:Number(ナンバー)コロンビア戦速報&ベスト16速報



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2014年7月5日土曜日

「南米仕様」にモデルチェンジ。ドイツ代表 [サッカー]




「南米では、自分たちのサッカーをやることは難しいかもしれない」

それが、ドイツ代表レーブ監督の「予感」であった。時は一年前のコンフェデレーションズ杯ブラジル大会(2013)。

「フォルタレーザは冬だというのに、夜になっても30℃を超えていた。ホテルの冷房が壊れ、サウナのようだった。ブラジルW杯は、暑さ、都市ごとの寒暖差、長距離移動に適応しなければ、痛い目に遭うだろう…」

さまざまな障害が待ち受ける南米ブラジルでは、現在のドイツ・サッカーは非現実的だ。レーブ監督はそう直感した。



そして開かれた緊急会議。

それまでのドイツは約10年間かけて、スペイン・バルセロナのサッカーを手本に、守備的なチームから攻撃なチームへ、ボールの支配率を高めて展開するハイテンポなサッカーに取り組んできた。

だが、南米での大会を前に、新たなフィロソフィーを打ち出した。それは、単なるポゼッション(ボール支配)から、プログレッション(前進)への転換だった。

——最先端の高性能車を目指していたドイツ代表の、「南米仕様」へのモデルチェンジがはじまった(Number誌)。






まず取り組んだのが、「なぜヨーロッパ勢は、南米の地で優勝できないのか?」という負のジンクスからだった。これまで計4回、南米でワールドカップが行われたが、ヨーロッパ勢の優勝は一度もなかった。中米メキシコでの開催でもそうだった。

「この謎を解明するために、私は1970年代のW杯までさかのぼって、全大会の準決勝と決勝を見返した」

そう言うのは、レーブ監督の参謀、ウルス・ジーゲンダー。分析のプロだ。

彼のたどり着いた結論は「南米では自分たちのスタイルを貫くべきではない」ということだった。



ジーゲンダーは言う。

「過去の大会で、ヨーロッパのチームは南米の地でも『まるで欧州にいるかのように』振る舞っていた。イングランドもイタリアもね。だが、ブラジルやアルゼンチンは違う。彼らはヨーロッパに来ると柔軟にやり方を変えているんだ。欧州勢も南米では『自分たちのサッカーを一時的に引き出しにしまうべき』だ」

まず見直されたのが、それまで10年間やってきたポゼッション(ボール支配)サッカー。

「ボールを保持し続けるには、絶え間なく動く必要がある。しかし、赤道近くのブラジルの暑さの下では、動けば動くほど体力を消耗してしまう」



議論によって導き出された結論は、従来のポゼッションからの進化系だった。

ジーゲンダーは言う、「スピーディーで常にゴールを目指すポゼッション。私たちはこれを『ボール・プログレッション』と呼んでいる。ボールを失わないようにしながらも、縦に速く攻めることが重要だ」

守備に関しては、ここ2〜3年のドイツは、ボールを失った瞬間にかけるプレス(ゲーゲン・プレッシング)に取り組んできた。だが、レーブ監督はその封印を決断した。

それをジーゲンダーが説明する。「ブラジルやアルゼンチンの選手は、ゲーゲン・プレッシングの圧力をかわす技術をもっている。もしかわされたら、高いDF(守備)ラインの裏を突かれてしまう。ブラジルの地では、エンジン全開のパワーサッカーはできない。ボールを失ったら、一度自陣に戻り、ブロックを組んだほうがいい」

それは、ドイツが4年前の南アフリカ大会で採用していた前モデル、いわゆる「リトリート」に戻ることを意味した。この引いて守る陣形は、前に飛び出すスペースを生むことにもつながり、それがカウンター攻撃の切れ味を増すことになる。






さて、実際にブラジルW杯がはじまると、レーブ監督らの予測が正しかったことが、すぐにわかった。

——オランダやコスタリカら、低い守備位置からカウンターを狙うチームが波乱を起こし、序盤グループリーグの主役になっていた(Number誌)。



ドイツも然り。

第1戦のポルトガル戦では、狙ったカウンター攻撃が炸裂。長い縦パスで相手陣内の裏をえぐり、4対0で大勝した。

元ドイツ代表のバラックは、その新戦術を絶賛した。「ユーロ2012では、ドイツはきれいにサッカーをやり過ぎていた。だから、準決勝でイタリアのカウンターに屈してしまった。だが、今大会では効率的にプレーして、より勝負強くなっている」

新たなドイツのポゼッション(プログレッション)は、それまでよりずっと燃費がよくなっていた。



ドイツ代表選手、ミュラーは言う。「僕らはボールを奪ったら、縦に速い攻めを狙う。そのためには頭の回転が必要だ」

参謀ジーゲンタラーは説明する。「テニスを例にしよう。スイスのフェデラーは『相手がラケットを振り上げた時点で、すでにボールがどこに来るかわかっている』と言っていた。サッカーも同じだ。相手の動きから多くのことを予測できる。現代サッカーはフィジカル(肉体)の強さで勝つのではない。賢さで勝つのだ」

さらに言う。「ポルトガルのクリスティアーノ・ロナウドは、先回りして動くことを徹底している。だからカウンターで抜け出せるんだ」



現ドイツ代表には、ロナウドやメッシ、ネイマールといった一発必中のタレントはいない。だが、ジーゲンタラーはそれをハンデとはとらえない。

「車でたとえよう。旧市街に通勤しようと思ったら、大型バンは買わないよな。買うのは小型車だ。ゴール前はそれと同じだ。以前は5〜6人の選手しかいなかったが、今は15人もいる密集状態だ。小回りが大切になるということだ」

ドイツには、ミュラー、ゲッツェ、エジルといった「偽9番」が3人いる。彼らは入れ替わり立ち替わり、細かくポジション・チェンジする。レーブ監督は「DF(守備)ラインに平行に走れ! そうすれば相手が食いついて、ブロックに穴が空く」と、偽9番たちに指示している。



レーブ監督は言う。

「一つのやり方だけでは、大会を勝ち上がることは難しい。フレキシブルに柔軟にチームをつくっていくことが重要なんだ」

——レーブは序盤からチームを完成させるつもりはない。大会を通してチームが変化していくことも計算済みだ。とりあえずグループリーグは堂々の1位通過を決めている(Number誌)。











かたや、一つの勝利もなくグループリーグ敗退に終わった日本代表。ドイツのような柔軟性に欠けていたとも指摘されている。

——「自分たちのサッカー」への拘泥が、強豪国のような柔軟性を削ぎ落としたのは否めない。「自分たちのサッカーで勝負する」という理想を育むばかりに、世界の方向性と乖離していった。一方、最先端を疾走する国々は、日本にはびこる二者択一を否定する。ポゼッションかカウンターかではなく、どちらも使いこなす。組織と個のいずれも強みとする(Number誌)。

日本代表、大久保嘉人はこう言っている。「自分たちのサッカーをやりたいって言うけど、じゃあ自分たちのサッカーって何なの? どんなやり方がいいかは大会ごとに違うと思うから、ショート・カウンターとポゼッションのどっちがいいかは言えない。ポゼッションをするにしても、時間帯によってはブロックを組んで守ることも大事になってくる。そのメリハリだと思います」











(了)






ソース:Number(ナンバー)コロンビア戦速報&ベスト16速報
ドイツ「南米で勝つというミッション」
戸塚啓「日本版ポゼッション・サッカーの限界」
大久保嘉人「すべてが中途半端だった」



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2014年7月4日金曜日

小が大に食ってかかる [チリ]




小が大を、弱が強をひっくり返すには?

「徹底攻撃だ」

南米の小国チリ、前代表監督のマルセロ・ビエルサは言った。

「攻める。とにかく、攻める。ヘタな鉄砲、数撃ちゃ当たる、というわけだ。数を撃つために、攻める」

異端の軍師、ビエルサの辞書に「弱気」の二文字はなかった。自軍のチリに傑出したタレントがいないことなど問題ではなかった。






勝利するには、得点が必要だ。

得点するには、攻撃が必要だ。

攻撃するには、ボールが必要だ。

——ボールがなければ攻めようがない。ビエルサ流の徹底攻撃は「ボールへの執着」から出発している。ボールを失った瞬間から、失ったその場所で、全員が、一斉にボールの回収へと動き出す。いわばボールの最速奪取。相手に速く激しく寄せて、またたく間にボールを奪い返す。チリの面々には球際の争いで一歩も譲らない激しさがあった(Number誌)。



ボールを奪うや、電光石火の攻撃。一路ゴールへダイレクトに迫る。

破格の走力をもって全力で、各選手が続々と攻撃参加。質より量。一人の天才よりも、数の優位を信じて。

「走れ! 奪え! 攻めろ!」

ハードワークによる圧巻のダイナミズム。よく走り、よく闘う集団。それがビエルサの育んだチリ代表であった。






前回の南アフリカW杯(2010)

チリはグループリーグで強豪スペインと激突した。



ボールの独占を企むのは、スペインのお家芸でもある。そのスペインから如何にしてボールを奪うのか?

ビエルサの答えはシンプルであった。

「徹底したマンマーキング」

チリの各選手は、あたかも影武者のようにスペイン選手に付きまとった。



結果は1-2と、スペインに軍配が上がったが、試合後、スペインのデルボスケ監督はこう言った。

「チリは1メートルの隙も与えてくれなかった」

チリは37分にエストラーダが退場処分となっており、勝負の行方は早々に決したように思われた。それでもチリは果敢に攻め続けた。その姿勢を崩さなかった。手負いのチリは、あくまで徹底攻撃を貫いた。後半立ち上がりに1点返したのは、その成果であった。



——スペインに次ぐグループ2位に食い込んだチリは、1998年大会以来のベスト16入り。決勝トーナメント一回戦で王国ブラジルに屈したが、その堂々たる戦いぶりは、堅守速攻を拠りどころとしてきたチリのイメージを覆すものだった(Number誌)。

「奇抜なアイディアを思いつく者は、それが成功するまで常に変人である」

これはビエルサの名言である。実際、ビエルサは南アフリカ大会で、変人から英雄になった。











ビエルサの後を継いだのは、「ビエルシスタ(ビエルサ信奉者)」の一人、ホルヘ・サンパオリであった。

——サンパオリの戦法は、ビエルサのコピーを思わせるアグレッシブなものだ。苛烈なハイプレスから、ダイレクトにゴールへ迫る。ハードワークと人海戦術がベースになっている点も変わらない(Number誌)。

南米予選は、サンパオリが新監督に就任後、破竹の勢いで突破。ビエルサの頃よりもスケールアップした感さえあった。

——完璧主義のビエルサよりも選手のミスに寛容で、誰とでも親しく接するサンパオリ監督は、「バージョンアップしたビエルサ」と評された(Number誌)。






そして今回、ブラジルW杯(2014)

チリは、またしてもスペインとグループ同組になるという因縁。



だが今回は、チリのスケールが前回王者を上回った。徹底したマンマーキングでスペインからボールを奪うと、鋭い速攻を浴びせかけ、王者を守勢に追いこんだ。

結果は2-0。ハードに走り、激しくファイトしたチリは、王者スペインのグループリーグ敗退を決定づけた。

ビエルサから引き継がれた「勇者のDNA」は、サンパオリのチームでも確かに脈打っていた。



「走れ! 奪え! 攻めろ!」

平均身長176cm。大会最低身長、もっとも小さなチーム、チリ代表は「誰よりも走る」ことを徹底していた。





進んだ決勝トーナメントの1回戦

その相手は、またしてもブラジル。まるでデジャブのような因縁。



試合前、サンパオリ監督は言った。

「ネイマール(ブラジルのエース)には、何人かの選手で対応する」

ネイマールさえ抑え込めば、ブラジルの脅威は半減する。チリは相手エースを2〜3人で取り囲み、複数マークで封じ込めた。ネイマールがポジションを移動しようが、小さなチリ人たちは「活きのいいミツバチ」のようにまとわりついた。

——そしてチリは、ボールを奪取すれば数人が前方のスペースへと走り出す。ボールポゼッション(支配)時の両チームの走行距離は、チリの5万832mに対し、ブラジルは4万3,392m。ボール奪取後にどちらがスピードのある連動攻撃を見せていたのかは明らかだ(Number誌)。



試合は最後の最後までもつれた。

前後半90分は1対1のままに終わり、延長30分を戦っても決着はつかなかった。

勝敗を分けたのはPK戦。ブラジルの守護神セザルは、チリのPKを2度までも止め、最後のキックはポストに弾かれた。幸運にもベスト8へと駒を進めたのはブラジルだった。

——内容を見ても、勝者と敗者のあいだに力の差はなかった。むしろチリが押している時間のほうが目立ったくらいだ。徹底した対策を立ててきたチリを前に、ブラジルは苦しんだ。ネイマールはサンパオリ監督の頭脳とチリ人の献身に抑えられ、そのほかのブラジル攻撃陣は機能不全に陥った。守備でもブラジルはミスが目立ったように、組織的完成度はチリのほうが高かった(Number誌)。



試合後、サンパオリ監督は悔やんだ。

「あれは歴史をつくるべき瞬間だった」

それは試合の最後に、ピニージャのシュートがバーを叩いた場面だった。

「”ミネイラソ(ミネイロン・スタジアムの奇跡)”を達成できるはずだったのだが…」






(了)






ソース:Number(ナンバー)コロンビア戦速報&ベスト16速報
ブラジル対チリ「王国復権への苦しみ」
マルセロ・ビエルサ「徹底攻撃を貫いた狂気の戦術マニア」



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2014年7月3日木曜日

弱点から武器へ。日本の新スクラム文化 [ラグビー]




日本ラグビー代表

過去、イタリアには5戦全敗していた。



ところが秩父宮でのイタリア戦(2014年6月21日)

残り5分で、日本は「26-23」とイタリアをリードしていた。



「絶対に勝て! 絶対に勝とう!」

秩父宮の観客1万3,816人は、まさに一丸となって日本代表にエールを叫んでいた。



その大きな思いは、ピッチに届いた。

——イタリア陣内でスクラムを得た日本は、低い姿勢で相手FW(フォワード)を押し込む。反則を得ると再びスクラム。大歓声のなか、ふたたびスクラムを押し、タイムアップのホーンが響くなかでまたも反則を勝ち取る。スタジアムが歓喜の雄叫びに包まれる。「勝った!!」(Number誌)

日本代表は、猛者ぞろいイタリアを撃破し、昨秋からテストマッチの連勝記録を10に伸ばした。そして、IRB(国際ラグビー評議会)が定める世界ランキングでは、過去最高となる10位へと歩を進めた。



勝利後、エディ・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)はこう言った。

「勝因はスクラム。それ以外に勝てる要素はなかった。スクラムに命をかけるイタリアに勝てたのは大きい」









思えば一昨年まで、日本のスクラムはむしろ弱点だった。2012年秋の欧州遠征では、ルーマニア、グルジアに粉砕されていた。

いったい何が変わったのか?

「スクラムの文化が変わりました」と、畠山健介(FW)は言う。

「以前の日本のスクラムはボールを出すだけだったけど、いまはメンタリティ(精神面)が変わりました。反則を取ろう、ペナルティトライを取ろうと。何よりフロントローだけじゃなく、バックファイブ(FW第2列と第3列)の押す意識が変わりました」



そうした文化を日本もたらしたのは、コーチとして迎えた元フランス代表のマルク・ダルマゾ。練習では、スクラムの上に乗ったりする「かなりの変人」だ。

——FW(フォワード)8人が一体になって組むスクラム構築に一貫して取り組んできた。8対8で組み合ったまま円を描くように動き、上下左右に動き、人を乗せて組み続けた。相手の動きへの対応と味方の連携を細かく反復し、修正を重ねてきた。すると昨年から改善の兆しが見え、アメリカ戦でもスクラムトライを2本奪うなど、いまや「日本の武器」になった(Number誌)。



ヘッドコーチのエディ・ジョーンズは自信をもってこう言う。

「たとえ、身体は小さくとも良いスクラムが組める、FW8人がそう信じれば強くなれる」






ジョーンズHC(ヘッドコーチ)は、マインドセットの重要性を訴える。

「試合中、弱気は禁物。負の連鎖に陥りやすい。メンタル面で、日本人は完璧主義を排したほうがいい」

「テストマッチでは完璧なラグビーは必要ないし、最終的に勝てばいい。うまくいかないのが当たり前。準備したことが出来なかった時に、パニックにならないことが大切なんだ」

ラグビーの盛んなオーストラリア出身のジョーンズHC。現役時代は血気盛ん、流血がトレードマークだった。何事に対しても熱く、妥協がない。凡プレーには容赦しない。

「日本のラグビーを変えるには勝たなければならない。それはワールドカップで勝つことがすべてだ」



ラグビーW杯は、来年(2015年)9月にイングランドで開催される。

日本代表は、南アフリカ、スコットランド、サモア、アメリカの順で対戦する(プールB)。目標は3勝をあげて準々決勝に進むことだ。



ジョーンズHCは熱く語る。

「ラグビーを日本で最も人気のあるスポーツにする。

 それが出来ない理由はない」













(了)






ソース:Number(ナンバー)コロンビア戦速報&ベスト16速報
名将の言葉「エディ・ジョーンズ」
「イタリア撃破! 日本ラグビー、進化の理由」



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