2013年7月24日水曜日

記録よりも記憶に。新庄剛志、幻のホームラン3発 [野球]



日米通算225本のホームランを放った「新庄剛志(しんじょう・つよし)」。

「記録よりも記憶に残る男」と言われた彼には、記録に残らなかった「幻のホームラン」が3本あった。



その一本目は、阪神時代の1995年6月20日、横浜戦(横浜スタジアム)。

1点ビハインドで迎えた最終回の攻撃、新庄は大魔神・佐々木主浩のストレートを強振。

打球は一路、左中間スタンドに一直線…と思いきや、その白球は興奮したファンの振り回していた「応援旗」に包まれ、グラウンドに落ちてしまう…!



物議を醸した「旗にくるまれ弾」は、球審によって「フェンスオーバーではない」と判定され、無念の二塁打に。場内は騒然、怒った阪神ファンは次々とメガホンを投げ込み、太鼓までブン投げた。しかし判定は覆らず、阪神はそのまま敗れた…。

試合後、新庄は「入った、入らないはもういいです…」と、怒るよりも肩を落としていた。というのも、新庄の打球の行く手をさえぎった旗は、皮肉にも「新庄の応援旗」だったのだ。

旗を振っていたファンは「打球はフェンスの上だった…」と嘆くばかり…。ちなみにこの事件後、解禁されていた横浜スタジアムでの「旗振り」は再び禁じられることになる。新庄の幻のホームランがルールまで変えてしまったのだった。



次の二本目は、日本ハムに移籍した直後の2004年4月17日、千葉ロッテ戦(東京ドーム)。

珍しく右方向へと伸びていった新庄の打球は、フェンス際でファンが差し出したグラブにすっぽりと収まった。

そのため、その打球は「フェンスを超えていなかった」と判断され、二塁打にされてしまう。またまたファンの思いが熱すぎたあまり、そのホームランは「入っていたはず」と思わせたまま幻と消えることとなった。名付けて「ファン好捕弾」。








最後の三本目は、かなり異色である。

2004年9月20日、本拠地・札幌ドームのダイエー戦における「幻の満塁ホームラン」。それは「9対12」の3点を追う展開から同点、そして9回裏2死満塁という一打サヨナラの劇的なシーンで起こった珍事であった。

新庄の渾身の一振りは文句なくホームラン。その最高の逆転劇に、満員の札幌ドームは熱狂の坩堝(るつぼ)と化していた。



その完璧なホームランが、なぜ幻となったのか?

それは一塁にいた田中幸雄が興奮しすぎたためであった。新庄の一打に「頭が真っ白になった」というこの大ベテラン、喜び余って塁を回ってきた新庄に思わず抱きつき、そして抱き合ったままワルツよろしくクルクルと回転。

その瞬間、一塁の塁審は「アウト!」とコール。「走者が入れ替わった」と判断されたのであった。



嗚呼…、幻の満塁ホームラン…。

だが幸いにも、この試合は日本ハムが勝った。というのは、田中がアウトを宣告されるその直前、辛うじて三塁走者がホームを踏んでいたのだ。その結果、1点だけが認められ、試合は「13対12」の日本ハム勝利となったのであった。

試合後、せっかくのホームランを帳消しにしてしまった田中は恐縮しきり。だが、小さなことは気にしない新庄は素直にチームの勝利を喜んだ。そしてお立ち台では「今日のヒーローは僕じゃありません。…みんなです!」と叫び、満員のファンを狂喜乱舞させた。



ちなみにこの試合、球界を激震させたスト明けの一戦であり、この球界未曾有の危機に新庄は「ゴレンジャー」の被り物で仲間たちと札幌ドームに参上していた。

そして放った奇跡の一打。さらにそれは幻にされてしまうという「落ち」がついたというわけだ。



新庄はいつも「こうなったら面白いだろうな」とプレーしていたというが、そんな彼のサービス精神と童心が、一連の幻を見せてくれたのかもしれない。

珍事も笑いに変わる「稀代のエンターテイナー」新庄剛志、その真骨頂、あり得ない幻のホームラン3発であった…!













(了)






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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 7/25号 [雑誌]
「新庄剛志の幻のホームラン伝説」


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