善戦が善果を生むとは限らない。
それはコンフェデ杯の「日本vsイタリア戦」の示したことであった。
「ムイト・ボン(muit bom)」
英語で「very good(よくやった)」
イタリアに「4-3」で敗れた日本であったが、イタリア人たちはそう言って日本の「善戦」を称えてくれた。
「ホテルのフロントマンも、レストランの店員も、タクシーの運転手も、空港のカフェで隣り合った夫婦も、『日本はよくやった。イタリアはダメよね』と、日本代表チームを誉めたたえてくれた(Number誌)」
ブラジルの地元新聞の見出しは「入場料に値した」。サブタイトルは「大会が始まってからのベスト・ゲーム」というコピー。
確かに、前半から積極的に前から仕掛けた日本は、「イタリアの何倍も見栄えのいいサッカー」を披露していた。
「最初イタリアを応援していた人も、途中からは『アズーリ(イタリア代表)のユニフォーム』を着たまま、『ジャポン、ジャポン』の声援に加わった(近藤篤)」
「日本がパスをを回すたびに(あのイタリア相手に!)、スタンドから『オーレ、オーレ』の大合唱が起こりはじめた時、僕はちょっと泣きそうになった。泣かなかったけど(同氏)」
しかしながら、日本は負けた。
「『ダメなイタリア』に2点のリードを追いつかれ、同点に持ち込みながらも、最後に突き放された(Number誌)」
ピッチ上の香川真司は、「数秒間、険しい視線を宙にむけ、そして、その場にしゃがみ込んだ」。
それでも、日本のファンになってくれたブラジル人たちは、「おい、日本人、下を向くな! 素晴らしいフッチボールだったじゃないか!」と励ましてくれる。
ビール片手のブラジル人おやじ3人組は、「ワールドカップで、おれらは日本を応援してやるからな!」と、熱いエールを日本に送る。
キックオフの時点では、イタリアよりも格下だからと、「判官びいき」的に日本を応援するブラジル人も多かっただろう。
だが、「ハーフタイムが終わる頃には、日本代表は『自分たちが 見せたサッカーの内容』で、アレナペルナンブコの観客の心をつかんでいた。イタリアに負けたのは悔しかったが、これほどまで『ポジティブな視線』を感じられるのは、素直に嬉しかった(近藤篤)」
イタリア・サッカー協会で働くカルロは試合前、「たぶんかなり拮抗した試合になると思うよ。イタリアは調子が良くないし、日本はイタリアみたいな相手を苦手としてないしね」と言っていた。
そのカルロは試合後、「イタリアが負けてもおかしくない試合だったな」と激闘を振り返った。
「じゃあ、なんで負けなかった?」
カルロはこう答える。「0-2になった時は、オレも心配した。でも、日本のMF(ミッドフィルダー)の2人の足が、前半が終わる前に動かなくなり始めた。これなら『まだ大丈夫かもしれない』と思ったよ。
日本の生命線は『7番(遠藤保仁)』と『17番(長谷部誠)』だよ。あそこが動けなくなったら、日本代表のサッカーはすごくバランスが悪くなる。で、その後、デロッシのゴールで1-2になって前半が終わった。あそこで『もう負けない』と思ったね。あの失点が、日本にとっては大きな1点だったと思うよ」
「面白いゲームだった」
ブラジル紙の書く通り、「入場料に値した」だろう。
だが、歴史は「敗者を忘れる」のが常。
1996年のアトランタ五輪、日本はブラジルに勝っている。
「28本のシュートがを川口能活に止められまくり、GKとDFの連携ミスで失点したあのゲームは、ブラジルからすれば『運のない一戦』だった(Number誌)」
あれから17年経った今、その内容まではなかなか取り上げられない。ただブラジルでは「負けたという事実だけ」が、17年後の今なお、スポーツ紙に蘇るのである。
「結果とはそういうものだ。イタリア戦の日本は、確かに『印象的な試合』をした。だが、5年後、10年後、日本人を見かけたブラジル人が、『2013のコンフェデ杯のイタリア戦は良かったねぇ』と話しかけてくるとは思えない(Number誌)」
「時間の経過とともに『試合内容についての記憶』は曖昧となるだろう。当事者のイタリア人にしても『苦しんだけど勝った』という理解に、やがては落ち着くことになる(同誌)」
だが逆に、リアルタイムで「日本vsイタリア戦」を見た人々の特権は、歴史が忘れるであろう「はかない記憶」を、この今に楽しめることにあるのかもしれない。
日本の思わぬ善戦に熱狂した「ジャポン! ジャポン!」の大声援。
日本が果敢に攻め寄せるたびに、「オーレ! オーレ!」の大合唱。
その熱は、テレビ中継の電波にも乗って世界中へと伝わった。いわんや、スタジアム内に参加していた大観衆をや。
「タヒチ代表」のエディ・エティタ監督は、世界ランク1位のスペイン相手に「10-0」と歴史的な大敗を喫した後でなお、
「ブラジルの観衆から受けた大歓迎は『大きな勝利』を意味している。私たちは『ファンの心』を勝ち取った! すべての人にオブリガード(ありがとう)!」と言っている。
確かに、勝負の世界にあっては「結果がすべて」である。
ウルグアイに試合を落としたナイジェリアのGK(ゴールキーパー)は、「いい内容でゲームを進めていたのに残念ですね」とのインタビューに対して、「いい内容で負けるよりは、悪い内容でも勝てたほうが良かった」と答えている。
それでも、われわれファンたちは「一睡の夢」に酔うことも許されている。
ブラジル、イタリア、と立て続けに敗れた日本は、最後の一戦「メキシコ戦」でも敗れた。
「3戦全敗、勝ち点0。グループリーグを最下位で敗退」
これが、今回のコンフェデ杯における日本代表の「忘れ去られない結果」である。歴史はこれ以上でもこれ以下でもない。
「Dream is Over...(夢は終わった)」
あるカメラマンは、そう呟いたという。
それでも、われわれは「夢」を見た。
本田圭佑が口にした「優勝」という言葉に。
イタリア戦で「2-0」と2点リードした時に。
メキシコ戦で、キーパー川島がPKを止めた時に。
「もしかして…!」
そうした希望の光は、か細いながらも随所にあった。だからこそ、熱狂できたのだ…!
たとえ結果は絶望的に終わったとしても、試合の時計が回っている間は、決してそうではなかった。リアルタイムに生きている間は、みんな夢を見ていたのだ。
歴史的なサッカー強豪国である「ブラジル」「イタリア」「メキシコ」。こうした国々に比べれば、日本は100年以上も遅れたサッカーの後進国(世界ランク32位)。
世界ランク138位の「タヒチ」は、もっと遅れている。それでも対戦したスペインのフェルナンド・トーレスは、彼らを称える。
「タヒチは100%の情熱とフェアプレーで最後まで戦った。彼らは決して試合を投げたり、相手を蹴ったりすることがない。彼らを手本とすべきだ」とまでトーレスは言った。
日本のザッケローニ監督がチームを評価するのも、その「勇気とチャレンジ」。彼の言う「正しいプレー」とは、それが元になっている。
善戦が善果につながるとは限らない。だが、結果だけが良くとも「次」につながるとは言い切れない。
昨秋のヨーロッパ遠征では、守ってフランスに勝ち、攻めてブラジルに敗れた日本代表。「確かなヒント」を得ることができたのは、間違いなく後者だと選手たちは口をそろえる。
キャプテン長谷部誠は、フランス戦を「自陣に閉じこもり、弱者のサッカーをしてしまった」と反省する。そして、「フランス戦のような、後ろで引いて構えるようなサッカーはしたくない」と言っていた。歴史的な勝利を収めた試合だったにも関わらず…!
今回、3戦全敗してしまった日本
問うべきは、結果のみであったのだろうか…?
得られなかった得点以上には、何も得られなかったのか。
メキシコに敗れた後、最後に気迫で1点を返した岡崎慎司は、そのゴールを「負けたから、意味がなかった」と言っていた。
彼の言う通り、結果的には「意味がなかった」。
しかし、応援していた人々は「あのゴール」に再び「一睡の夢」を呼び起こされていたのではなかろうか。
猛ダッシュで駆け上がってきた遠藤保仁に!
泥臭くも決めた岡崎に!
(了)
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ソース:Number
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