2013年6月30日日曜日

「ピラミッドの化粧まわし」。初のエジプト関取、大砂嵐



大相撲初のアフリカ大陸出身

エジプト人関取、その名も「大砂嵐」金太郎。



相撲を始めたのは15歳。

インターネットで見た貴乃花に憧れて。このとき本人すでに120kgで筋肉隆々。相手の力士は身体が細く、「片手で倒せる」と思った。

「でも、何度やっても勝てなかった。頭、パニックね」



2年前、日本の大相撲への憧れが抑えきれず、「入門志願の手紙」を複数の相撲部屋に送る。

だが、エジプトからの手紙にほとんど返信はなかった。だが唯一、大嶽部屋のみが「断りの返事」をくれた。



初来日はその2年前、大学で学んでいた会計学を休学して日本にやって来た。時はエジプト革命。本国は「アラブの春」の嵐の中だった。

彼が真っ先に向かったのは、入門の断りの返事をくれた大嶽部屋(おおたけ・べや)。直談判は2度の来日を経て、ついに実を結ぶ。

大嶽親方は「最近の日本人にはない『熱いもの』を感じた」と、その心意気を買ってくれたという。



はじめて「ちょんまげ」を結って土俵に上がったのは「5月場所」。

結果は7戦全勝、幕下優勝。

次の「7月場所」での十両昇進が決定した。そのスピード出世は、元大関の小結とならぶ「最速タイ記録」。



だが、その来場所7月は折悪く「イスラム教のラマダン」。敬虔なイスラム教徒である大砂嵐は、日中の「断食」を強いられる。

「ラマダン、大丈夫?」と、大嶽親方は心配そうに声をかける。

「ダイジョウブです。我慢、大事。厳しいルールも我慢する」と大砂嵐。



日中の食事はダメでも、夜中になら食べてもよい。

「ラマダンは自分で夜食をつくったり、近くのマクドナルドに行ったりして乗り越える予定だそうだ(Number誌)」

昨年も、夜中に起きて食べていたのだとか。



「真面目で素直」な大砂嵐。

大嶽親方は「宗教も外国人も関係ない」と言ってくれている。

「親方が、相撲は心が一番大事(と言った)。相撲スキ。親方スキ」と大砂嵐は、大きな目を輝かせる。



いよいよ来場所(名古屋場所)

大砂嵐の「ピラミッド柄の化粧まわし」が登場する。

ラマダンの月に、関取デビューだ!







(了)






関連記事:

稽古嫌いの「新三役」。隠岐の海 [相撲]

「勝つべくして勝つ」。存在そのものが横綱の格

なぜ不振? 大相撲「九州場所」



ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 6/27号 [雑誌]
「ラマダンも『ダイジョウブ』。親方も動かす大砂嵐の熱意」

0 件のコメント:

コメントを投稿