2013年5月24日金曜日

苦労人2人、2,000本安打の偉業。中村紀洋・谷繁元信 [野球]




「国民栄誉賞のW受賞がある5月5日だけは避けたいですね」

目前に迫る「2,000本安打」達成の前に、そう話していた「中村紀洋(なかむら・のりひろ」39歳。22年目の大ベテラン。



だが「不幸」にも、大記録達成はその日と重なってしまった。

しかし「幸運」にもこの日、部活動の都合でこの日しか見に来れない3人の娘の前での晴れ姿となった。

「フルスイングで放った2塁打」

「パパ、凄い!」と、娘から頬にキスされた中村に、最高のスポットライトが浴びせられた。



「バットを振れば、新たな道が拓ける」

その信念を、22年間貫き通した中村紀洋。

ドラフト4位で入った近鉄時代、連日バットを振り続け、「血マメが潰れ、痛くて手袋を脱げずに、バットを握って眠った夜もあった(Number誌)」。



ロサンゼルス(ドジャース)でも、バットを振り続けた(2005)。

しかし2010年、楽天に戦力外通告を突きつけられた中村は、表舞台から去らざるを得なくなる。それでも、バッティング・センターでバットを振り続けた。

「パパは、まだやれるよ」

3人の娘たちは、そう言って励ましてくれた。



そして2013年5月5日、横浜DeNAのユニフォームを来た中村紀洋。

通算2162試合目で、「日本通算2,000安打」を達成した(史上43人目)。







祝福してくれた人の波には、「谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)」42歳もいた。この日、谷繁も同様に2,000本安打まで、あと2本と迫っていた。

「お先に失礼します」

一足先に2,000本安打を達成した中村は、谷繁の祝福にそう答えた。



そしてその翌日

三男・朗くんの見守る神宮球場で、谷繁元信は2,000本安打を達成。

スタンドの朗くんは、「凄すぎる」と胸を張る。この日は、彼の誕生日でもあり、谷繁本人「どうしても決めたい」と言っていた日であった。



「7番・8番を打っている自分が2,000本安打ですから、積み重ねしかないでしょう」

そう言って、谷繁は笑った。



「オレは休むのが嫌いだ」といって、キャッチャー・マスクをかぶり続けた谷繁。キャッチャーとしては、野村克也、古田敦也に次いで3人目。

25年目の快挙であった。







(了)






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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 6/13号 [雑誌]
「ノリと谷繁 苦労人が刻んだ2,000本という偉業」

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