「ドミニカで、野球以外のスポーツをする少年は皆無に近い」
南米の強い日差しのもと、ドミニカ共和国の少年たちは、古びた段ボールをベース代わりにストリート・ベースボールに興じる。砂利の上だろうが何だろうが、至るところでプレーする。
「それが、ドミニカが優秀な選手を輩出し続ける理由だ」と、同国出身のドミンゴ・マルティネス(1997〜西武、巨人で5年間活躍)は言う。
南米カリブ海に浮かぶ、人口1,000万人の野球王国
ドミニカ共和国
15世紀にコロンブスに発見されて以来、スペイン、アメリカによって占領されてきた歴史をもつ。
今年(2013)の第3回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では、日本以外の国が初めて、優勝の栄冠に輝くことになった。それがドミニカ共和国。
一切負けなし。8連勝での完全優勝であった。
その決勝プエルトリコ戦、国内でのテレビ視聴率は40.11%、歴代3位を記録したとのことである。
この大会、参加国16カ国中、ドミニカ共和国ほど貧しい国はなかった。
根深い貧困問題がはびこる同国において、主要産業は観光くらいしかなく、農村部ではバラック小屋のような住居に暮らす家族も多い。
「彼らにとって、貧困を脱する数少ない手段が『野球』だ(Number誌)」
野球はドミニカの国技であり最大の娯楽であると同時に、それは少年たちが貧困のカベの隙間から垣間見る最大の希望でもある。その希望の先は、自由の国「アメリカ」。
だが、自由が大きいほどに競争は激しくなる。
「毎年約4,000人のドミニカ人がアメリカの球団と契約するが、メジャーまで登り詰めるのは2%。ほとんどの者が志半ばでユニフォームを脱いでいく(アメリカ雑誌「TIME」)」
今回のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)を制したメンバーは、その激戦地をかいくぐってきた猛者どもばかりである。
「ドミニカのメンバーの8割が、貧しい農家の出身。彼らにとって野球は大切なものだが、野球くらいしか生活向上の選択肢がなかった側面も否めない(Number誌)」
彼らは幸運にも野球によって貧困から脱することができた、国家の英雄なのだ。
そうした英雄たちの活躍をテレビで見た少年たち。世界一決定戦に、その純粋な目は釘付けになった。そして優勝の歓喜に沸いた。沸きに沸いた。いつものストリート・ベースボールにも熱が入らざるを得ない。
ドミニカにはメジャー・リーグの28球団がアカデミーを開いており、これぞと思う選手は16歳以上から契約できることになっている。
その年齢(16歳)に達するまで、少年たちは地元の代理人たちの手によって育成、そして発掘される。
だが、「経験の浅い選手たちのキャッチボールを見ていると、総じて理に適わないフォームで投げていた(Number誌)」。
それでも、「バットを力んで振る少年にも、体重移動のバランスが悪い子にも、代理人は何も口出ししない(同誌)」。
ここドミニカでは、完全に放任主義。ダイヤの原石たる少年たちは、荒地の雑草のごとく、自らの力で頭角を現していくしかない。
「少しずつは直しているよ」
ドジャースで7年間プレーしたドミニカ人投手コーチ、ジャスティン・ケサダは、そう言う。
「でも、選手は自分で学ぶことが大事だから、いじりすぎないようにしている。自分で気づいてほしいね」
ドミニカの少年たちの多くは、指導らしい指導を受けぬままにプロになる。
「たとえば、同国から2008年に中日へ加入したマキシモ・ネルソンは当初、ノックのゴロを満足に捕球できなかった。それでも最速155kmのストレートを武器に、2011年には10勝を飾りリーグ優勝を果たした(Number誌)」
彼らの身体能力の高さは抜群。磨きさえすればギラギラに輝く、まさに原石がゴロゴロと同国のストリートには転がっている。
彼らはのちに輸出産業としての、ドミニカの野球の地位を高め、そして後に続く少年たちの夢を膨らませていく。
「ドミニカ人にとって、野球はすべて」
「ドミニカ人にとって、野球は家族」
彼らが世界一の栄冠を勝ち得たことは、必然のことでもあったのだろう…!
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 5/23号 [雑誌]
「カリブ海に浮かぶ1,000万人の野球王国 ドミニカ共和国」
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