あるイタリア人の写真家が、こんなことを言っていた。
「ここに来て、あそこのパスタを試さない奴は、愚か者だ」
そこはイタリアのシチリア島。そこには評判の一軒があったのだ。
「なるほど、うまい」
マグロのカラスミをすりおろし、ふりかけて、ただそれだけで贅沢であった。
サッカーで言えば「きちんと止めて、しっかり蹴る」、そんな一皿だった。
その店主は、しきりとサッカーの話をする。
「どちらの贔屓で?」
その問いに、店主は顔をほころばせる。
「ユベントス。応援のためなら、地球のどこへだっていくさ(笑)」
イタリアには、ユベントスが大好きな人たちが一杯いる。とりわけ陽光燦々とした南の島シチリアには。
彼らはかえって、フィアットに保護された北部のクラブを嫌うのだった。
黒と白の縦縞模様。
「トリノの貴婦人」ことユベントスは今季、黒白ではない白星街道を驀進していた。
そして迎えたセリエA(一部リーグ)、35節。
ユベントス対パレルモ
「後半38分、ポール・ポグバ(ユベントス)は、サルヴァトーレ・アロニカ(パレルモ)との激しい口論の末、『ツバ』を吐きかけたとして一発レッドカードで退場(AFP通信)」
一見険悪なシーンであるが、この一幕は、ユベントスがリーグ優勝を決める彩りとなった。試合を1-0で制したユベントスは、29度目のスクデット獲得(リーグ制覇)を決めたのだった。
試合終了後、ユベントスが「物議」を醸したのは、ポグバの吐いた唾ではなかった。
「イタリア国旗を模した巨大な盾」、そこに「31」という数字が書かれていたことだった。
じつは過去2回、ユベントスは八百長疑惑でリーグタイトルを剥奪されている(04-05と05-06)。
もし、その2回がカウントされていれば、ユベントスのリーグ優勝回数は「31」となる(公式とされる「29」ではなくて)。つまり、選手たちが盾に掲げた「31」という数字には、そんな主張が込められていたのであった。
あのスキャンダルまで、ユベントスは、イタリア一部リーグ・セリエA創設以来、一度も2部リーグ・セリエBに降格したことのない2つのチームのうちの1つだった。
だが、落ちた。トリノの貴婦人は没落。2006年のいわゆる「カルチョ・スキャンダル」のペナルティよって、ユベントスはセリエBへ降格したのだった。
策謀の中心は、当時ユベントスのGMだったハゲ頭の「モッジ」。
「13歳で学校を離れ、鉄道の切符売り場で働き始めた少年は、やがてサッカーの才能を発見する自身の能力に気づき、フリーランスのスカウト業からのし上がっていく。とうとう名門クラブ・ユベントスの中枢にまで達して、愉快な言動と氷の仕打ちを使い分けて人脈づくりに励む。絶頂期には6機の携帯電話を持ち、300枚ものSIMカードを駆使しつつ、一日平均416回の通話を交わした(Number誌)」
そんな悪役モッジによる、審判の買収と脅迫の蔓延がみるみる明るみにでたのが「カルチョ・スキャンダル(2006)であった(その後、モッジはサッカー界を永久追放)。
ユベントス復活をになった一人は、現在の監督「アントニオ・コンテ」。彼自身、1991〜2004までユベントスの選手であり、闘将であった。
「近年でもっとも優秀な監督だろう」と、主力選手であるピエロは、コンテ監督を絶賛する。
「ユベントスには伝統がある。立ち返る場所をもつ強みがある。変えてはならぬものを熟知するから、変わることができた(Number誌)」
コンテ監督は「おしゃべりな奴は、ユベントスのスタイルになじまない」と言っている。
「ユベントスが求めるのは能弁ではなく、永久運動でライン際を往復するタフネス、ユウト・ナガトモ(長友佑都)の心と骨のほうなのである(Number誌)」
硬骨と滂沱の汗、ユベントスの荘厳なイメージは、そうして守られてきたものであった。
やはり、ユベントスは「不屈の王者」であったのだ…!
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 5/9号 [雑誌]
「貴婦人再生の道程」
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