東日本大震災から約3ヶ月後の2011年6月。
本田圭佑は宮城県女川町を訪れた。
そして、言葉を失った…。
じつは本田、震災直後、赤十字を通して寄付を行なっていた。
そしてさらに、榎森亮太氏とともに災害支援基金を立ち上げ、義援金を募ることにした。
「集まった義援金を、何に使うか?」
本田圭佑の出した結論は、「フットサルコートを寄贈する」というものだった。
多くのスタッフは、本田の考えに反対した。
「放射線の影響も懸念される。土を掘り起こすのはいかがなものか…」
しかし本田は「やると決めたら絶対にやり通す男」。
ならばと、榎森氏は「本田の意思」を形にするために、一年間奔走した。
フットサルコートの建設を快く受け入れてくれたのは、石巻市。
建設にかかった費用は1,800万円。集まった義援金(1,361万9,065円)では、その額に至らず、残りは本田本人が出資することになった。
そして誕生した「ホンダファミリア・フットサルコート石巻(照明付き)」。
今月(4月)1日にオープン。小学生には無料開放(夜間のみ照明実費1時間500円)。
「それでは運営にならないよ」
そう言って、石巻市の人たちは苦笑していた。
それでも、「子どもたちの為ならば」と実現したのである。
本田はその贈呈式(3月3日)に、子どもたちへとメッセージを贈った。
「夢を強く持って下さい。それも大きな夢を。
人の夢を笑わずに応援して下さい。
僕は君たちを応援しています。いつか必ず、君たちの夢が叶うことを」
(了)
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ソース:Number (ナンバー) WBC速報号 2013年 3/30号 [雑誌]
「ホンダファミリア フットサルコート石巻」
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