「この約一ヶ月、本田はまるで『神隠し』にあったかのようだった(Number誌)」
あまりにも突然の「離脱」。
2月13日の練習を最後に、本田圭佑(ほんだ・けいすけ)は姿を消していた。
その最後の練習風景。
「本田の動きはいつものように力強く、シュートがバーに当たると『オォ!』と雄叫びをあげる。まるで野獣だ(Number誌)」
ところが、強靭なはずの本田はその後、「両膝に手をついて下を向いていた」。そして、チームドクターと真剣に言葉を交わすとそのまま、チームメイトより先に帰ってしまった。
予想外の行動だった。それ以来、本田は「消えた」のだった。
そして迎えた、W杯最終予選、ヨルダン戦(3月26日)。
日本代表の中に、エース本田圭佑はいなかった。
この試合、日本が勝てば(引き分けでも)W杯出場の決まる大一番だった。しかし本田は忽然と姿を消していた。
「右ヒザか? それとも体調不良か?」
本田離脱の理由について、情報は錯綜する。
「日本では『ケガ』、ロシアでは『体調不良』と、離脱の理由がまっぷたつに割れていた(Number誌)」
本田本人の公式HPには、「右膝のチェックと古傷である足首の痛みのため」にバルセロナへ行った、と記してあった(2月23日)。バルセロナといえば、2011年に右ヒザ半月板の手術を行った場所だった。
しかし、ロシアの広報はそれを全否定していた。「断言するが、ケガではない」と。インフルエンザと報道された「体調不良」からコンディションを100%戻すための「特別なオフ」を取ったのだ、と。
いずれにせよ、ヨルダン戦で本田は不在。
結果は日本の敗戦(1対2)。
「本田不在の大きさを感じさせる試合となった」。
日本の最初の失点はセットプレー、ヨルダンのコーナーキックからだった。
「セットプレーの守備で本田がいなかったことが響いてしまった(Number誌)」
ちなみに、W杯最終予選における日本の全4失点を振り返ると、オーストラリア戦のPK、オマーン戦の直接FK、そして今回ヨルダン戦のCKと、「4失点のうち、3失点がセットプレーによるものだった(同誌)」。
「選手同士の距離感」も定まらなかった。
「ザッケローニ監督は、本田を中心にチームを作ってきたため、どうしても選手同士の距離が『身体をぶつけられてもボールをキープできる』本田仕様になっていた(Number誌)」
敗戦後、キャプテンの長谷部誠もこんなことを言っていた。
「ヤット(遠藤保仁)と僕のダブルボランチと、圭佑(本田)のトライアングルは、長い間やっているから、自然と『最適な距離感』ができているのだろう」
そのトライアングルの頂点にあった本田がいなかったことにより、「まわりの選手が無難なプレーに終始してしまった(Number誌)」
「やはり日本にはこの男が必要だ」
ヨルダン戦、その不在によって、本田の存在感はなお一層際立った。
「彼は今、どこにいて、何に苦しんでいるのか?」
粉雪の舞うモスクワ。
本田は突然、レストランの分厚い木製ドアを開けて、現れた…!
「黒いコートに、黒いニットをかぶり、少し店内を見回して、カーテンで仕切られた個室に滑りこむ(Number誌)」
そこは、本田の行きつけのレストランであった。
「体調不良という先入観があるからなのか、(本田は)少し息苦しそうに見えた。それでも、いつも練習場で会うのと変わらない『ドンと構えた本田』だった(Number誌)」
「一つだけ質問していい?」、そう訊く記者に対して、本田はしばらく考えてから、「次にしとこか」と短く答えた。
「時間にして約1分」、それが神隠しから現れた最初の本田圭佑だった。
その5日後、一本の電話が鳴り響く。
「本田が帰国します!」
それはヨルダン戦キックオフの約11時間前。その情報通り、本田は成田空港に現れた。「左足首の検査」が帰国の目的だと事務所は言っていた。
一方のロシア、CSKAのスルツキ監督はついに具体的な症状を明かした。
「本田は風邪をひいて、それがなかなか治らず、そうしたら腸の状態が良くないことがわかった。本人の希望で、日本で検査と治療を受けることになった」
またも、日本とロシアで情報は交錯しているが、ヨルダン戦の夜、本田は明らかに日本にはいたのであった。
6月にはW杯の2連戦が控える日本代表。
そのピッチに背番号4の姿はあるのだろうか?
その期待は今回、否が応にも高まった…!
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 4/18号 [雑誌]
「本田圭佑不在、その真実を求めて」
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