「一緒にサッカーやろうよ!」
当時10歳だった「宮間あや(みやま・あや)」の元気は、ハチ切れんばかり。
全国から小学生を募って企画された「アメリカへのサッカー旅行(1995)」。その小学生の一群の中に、のちに日本代表のキャプテンを務めることになる宮間は顔を連ねていた。
しかし、その引率監督であった「本田美登里(ほんだ・みどり)」は、いくぶん疲れ気味であった。
「疲れてるから…」
本田は宮間の誘いを断る。
それでも宮間は執拗だ。「いや、やろうよ!!」
結局、アメリカの炎天下の中で何時間もボールを蹴っていた宮間あや10歳。
延々とボールを追いかけている宮間の姿を眺めながら、「本当にサッカーが大好きなんだな…」と、本田はしみじみ感じていた。
それが本田と宮間、運命の出会いであった。
サッカーの町・清水で生まれ育った本田美登里は現役時代、全日本女子サッカー選手権4連覇、のちに読売ベレーザ、読売サッカークラブと活躍を続けた選手で、日本代表にも選ばれた実績がある。
28歳で現役を退いたあと、本田は指導者へと転向。その初仕事が冒頭の「アメリカへのサッカー旅行」であった。
多くの女子サッカー選手を見てきた本田の目にも、少女・宮間のサッカーへの想いは感心するほどに強かった。
当時の女子サッカーは世の中にも認められておらず、本田も「自分がサッカーをしていることが恥ずかしい」と思うことさえ…。現役選手たちも一日2時間の練習を終えると、それでサッカーは終わりであった。
そんな中、炎天下で飽くことなくボールを追いかけ続ける宮間。
その姿はじつに新鮮だった。
その姿に、本田は「サッカーをやる原点」を見る思いがしていた。
「美作(みまさか)へ行って、サッカーチームをつくってこい」
当時サッカー協会の事務方をしていた本田は、突然の命令を受けた。それは、岡山県の美作(みまさか)がW杯のキャンプ地として立候補したいと名乗りを上げた時のことだった。
しかし、当の美作はというと、「女子サッカーって何?」というレベル。そんな地で本田は白い目で見られることになる。「元日本代表とかいう女」が東京からやって来て偉そうにしていると誤解され…。
親御さんや学校サイドの理解も得られず、新チーム(岡山湯郷ベル)の選手集めは難航していた。
だが、全国各地でサッカー教室をしていた本田には、彼女を慕って来てくれたメンバーたちがいてくれた。そして、その子たちの中には、宮間あや(のちの日本代表キャプテン)、そして福元美穂(のちの日本代表GK)もいたのであった。
「サッカー大好きな子たちの集合体」
岡山湯郷ベルは順調に滑り出し、4年目には一部リーグへの昇格を果たす。
「お互いに本物を求め合った時、要するに本気で日本一になりたいと思っている子しか残らなくなった時に強くなっていきましたね」と本田は振り返る。
「世界に通用するには、『強い個』を育てなければならない」
その点、宮間あやは「強烈な個性」を放っていた。宮間は本田の立てる緻密な戦術に対しても、「自分はこう思う」と言って憚(はばか)らなかったという。
個性的であることと「わがまま」は背中合わせと言われるが、まさに宮間はわがままなほどに個性的であった。
「なんで? なんで?」
彼女の中には「自分なりの強いイメージ」があったため、本田の戦略・戦術に「強い問い」を感じることが少なくなかったようである。
「なんで点が入ったの?」「なんでパスが通ったの?」「なんで、あやはボールをとられたの?」「なんで…」
「同じことを言われても、それを疑問に思う子と思わない子がいます」と本田。「そういう一つ一つの積み重ねが、5年や10年という年月の中で大きな差になっていくと思うんです」。
常に問いを持ちながらプレーしていたことが、宮間に日本代表のキャプテンを務めるほどの伸びしろをつくったのではないかと、本田は感じている。
「私は実際にプレーをするわけではなく、机の上でしか戦術は立てられないので、選手たちとの間には微妙な差があると思うんです」と本田。
宮間が疑問を感じるのは、そんなピッチ上と机上の「微妙な差」の部分だったのかもしれない。
「そのことが常に分かる指導者でありたいと思います」と本田は語る。
わがままかと思えば、宮間はまた「すごく人思いな子」でもあった。
「大丈夫? あやに何かできることはない?」
そう本田に声を掛けてくれることもしばしば。
「彼女はそれを私だけじゃなく、チームメイト全員に対してできるから、今の立場(日本代表キャプテン)にいるんだと思います」と本田は言う。
宮間との出会い、そして一緒のチームでやりあったことは、本田の指導者としての力量を大いに高めることともなった。
昨年開催されたFIFAのU-20女子W杯で、「ヤングなでしこ」を史上初の3位に輝かせた影には、本田美登里の姿があったのだ(同代表コーチ)。
孟子はかつて、こう言った。
「智慧あるといえども、勢いに乗るには如(し)かず」
今、日本の女子サッカーは本当に勢いがある。
さらに孟子は、こうも言う。
「スキありといえども、時を待つには如かず」
本田美登里が現役だった頃は、残念ながら「時」は来ていなかったのかもしれない。しかしそれでも、彼女が根気よくサッカーに関わり続けたことで、その「時」はついにやって来たのでもあろう…。
「サッカーやろうよ!」
そんな純粋な想いは、ロンドン五輪で日本に感動の銀メダルをもたらしてくれたのだから…!
ソース:致知2013年2月号
「若い才能をどう育てるか 本田美登里」
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