「すいませーん」
と、日本語でウェイトレスを呼ぶ「木村沙織(きむら・さおり)」。ここは彼女の移籍先、トルコだ。
「チャイ、イキ。ホット・チョコレート、イキ。プリーズ」
木村は半年がたった今でも、トルコ語がチンプンカンプンだと笑う。
数分後に戻ってきたウェイトレスのお盆の上には、紅茶とホット・チョコレートが2つずつ。
「あ、間違えちゃった。『イキ(2つ)』じゃなくて、『ビル(1つ)』だった」と木村。
笑いながら、木村は紅茶とホット・チョコレートを交互に口に運ぶ。
ロンドン・オリンピック、女子バレー28年ぶりの銅メダルから、およそ半年。
日本の絶対的エース木村沙織は、億という単位で、トルコ・リーグの「ワクフバンク」に籍を移していた。
ワクフバンクは2011年、トルコ勢として初めてヨーロッパ王者となった強豪チーム。トルコは2002年から急激な経済成長を続けている新興国であり、同国のバレーボール・リーグ(トルコ・リーグ)も潤沢な資金にあふれていた。
「試合中もメンバーを見ながら『世界選抜みたいだなぁ』と、思わず見とれちゃうんです」
そう木村が言うように、ワクフバンクには各国の代表選手たちがズラリと顔を並べる(監督はドイツ代表監督のジョバンニ・クィディッチ。ポーランドのエース、グリンカ。ドイツの主将、フュルスト。セルビアのエース、ブラコチェビッチなどなど)。
ワクフバンクは潤沢な資金を武器に、世界各国から惜しげもなくトップ選手たちを集めまくっている。その綺羅星たちの中にあっては、日本の木村沙織といえども少々色褪せざるをえない。
10月の開幕当初は、木村もスタメンで出場する機会があった。だが、その回数は徐々に減っていく。
「リーグ中盤からは、グリンカが後衛に回った際にピンチサーバーで入り、そのまま3ローテ、守りを固めるのが木村の役割になった(Number誌)」
木村が先発から外れた理由を「コミュニケーションを含めた、攻撃面が課題だった」と、川北元コーチ(ワクフバンク)は説く。
日本よりも、遥かに高さを上回るブロック。
目の前にそびえ立つような壁を攻略するには、よぼどに精密で精度の高いスパイクを打たなければならない。しかし不幸にも、木村はセッター(ナズ・アイデミル)とのコンビがなかなか合わなかった。
「どんなトスでも全部OKみたいな感じで、最初のうちは『もっとこうしたい』とか全く言わなかったんです」と木村は言う。「だからナズも、どんなトスを上げていいか分からない」
まさか、日本の絶対エースがワンポイントのみの出場にとどまるとは…。
それでも、「木村は、チーム内のサーバーで最もブレイクポイント率が高い」と川北コーチは言う。
ワクフバンクのクィディッチ監督も「彼女は並外れている。必要とする仕事をしてくれた」と称賛する。
どうやら、木村は一年目としては「十分合格点」。監督らの期待は来季以降ということだった。
ところが、そんな監督らの意を知ってか知らずか、木村は突然「辞める」と口にした。それは今年1月のことだった。
「トルコ・リーグを終え、2013年度の全日本での活動を終えたら、バレーボールを辞める」
木村は、母と親しい友人だけに、そう告げていた。
親しい人々ほど、木村の性分を知っている。彼女は本当に決意した時にしか人に話さない。だから、「辞める」と決めた木村は「辞めるのを辞める」とは言わないだろうと直感していた。つまり、木村に二言はないだろう、と。
「辞める」と木村から打ち明けられた全日本の眞鍋監督。
「はぁ?」
絶句した。木村はまだ27歳。次のリオデジャネイロ五輪を目指す上で、木村は日本代表に欠かせない戦力。木村はまだまだ絶対的なエースであり、木村がダメならチームも負けるほどの存在だ。
ただただ驚く眞鍋監督。それでも、木村の決意は恐ろしく固いように思われた。
ところが、眞鍋監督と会って数日後
「考えて、考えて、辞めるのを辞めました」と木村は急反転。
「今まで作り上げてきたものを、またゼロにしたくないから。銅メダルを獲って、その位置から日本のバレーがちゃんと上に行けるように」、木村はそう言った。
なにゆえの急反転か。海外での経験は、それほどに木村の芯を揺さぶっていたのであろうか。
「試合に出られなかったり、もがいたり」、それは木村にとって初めての体験だった。
そんな揺さぶりにあって初めて、彼女は「もっと欲を出さなきゃ」、「自分の殻を破りたい」という思いがムクムクと湧いてきたのだという。
今年3月、木村の所属するワクフバンクは、2年ぶりのヨーロッパ王者に輝いた。
木村は決勝でも、全セットの終盤に投入され、連続得点の契機をつくった。
チャンピオンズ・リーグの表彰式、木村は金色の紙吹雪が舞う中で、一番高い場所に立っていた。
「お母さんとカフェを開く夢もあるけど、それはまだ先かな」
変わらぬ笑顔のまま、木村の心は一段と強さを増していたようだった。
アテネ、北京、ロンドンと今まで3回オリンピックの舞台に立ってきた木村沙織。
彼女は「海外での結果を日本に持って帰らなきゃいけない」と意を決している。
そしてその結果は、きっとリオデジャネイロにも繋がるものとなるのだろう…!
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 5/9号 [雑誌]
「今年でバレーを辞めるつもりでした 木村沙織」
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