どうしようもない「モヒカン男」
FW(フォワード)として群を抜く実力を秘めながら、傍若無人な問題行動の絶えない悪童「バロテッリ」。
マンチェスター・シティでの生活は、よほどに退屈だったらしい。
「ヒマだから」と、ド派手なパーティーで夜を明かし、悪友たちと花火で遊んではボヤ騒ぎ。
「退屈だから」と、ユースの選手にダーツの矢を投げつけたり、練習中にチームメートのタックルに激怒して大乱闘。試合中に、敵方に飛び蹴りを浴びせてはレッドカードをもらい、倒れた選手の顔を踏みつけて、4試合の出場停止処分。
また、移籍から9ヶ月間で、約130万円の罰金と27回のレッカー移動。マンチェスター市内で交通違反を繰り返していた。
誰にも制御不能なバロテッリ。
イタリアで用いられるという「バロテッラータ」という造語は、彼の問題行動が語源といわれ、その意味は「マナーやルールに反する行動をとった者」だそうだ。
奔放なこのイタリア人は、紳士的なイングランドで完全に浮いていた。
それでも、マンチェスター・シティは耐えていた。
「厳重注意や罰金処分を繰り返しながら、何度も諭し、更生を促そうとした。たとえ当の本人に反省の色が見えなくても、辛抱強く我慢した(Number誌)」
というのも、この問題のバロテッリは、ピッチ上では超人的なプレーを見せるのである。昨季、44年ぶりのリーグ制覇を成し遂げた最終節、その決勝弾をアシストしたのは、このどうしようもないモヒカン男だったのである。
しかし、我慢の限界は突然訪れた。
「’13年、年明け早々の練習で、バロテッリはチームメイトに悪質なタックルを仕掛ける。それに怒った指揮官ロベルト・マンチーニが練習から外れるように指示するも、バロテッリはそれを無視。そこから取っ組み合いの喧嘩に発展した(Number誌)」
さすがに、現場トップへの暴力行為には、マンCの堪忍袋の緒が切れた。
そしてバロテッリは、今冬の移籍市場で「ミランへ売り飛ばされた」。
ところが、「売り飛ばされた」はずだったバロテッリ。じつはミランへの移籍は、夢にまで見た念願だったともいう。
「バロテッリは、幼少時からロッソネロ(赤と黒)を愛した生粋のミラニスタである。なにせ、インテルの下部組織にいた頃に、インテルが何より忌み嫌うミランのゴール裏に通い続けていたのだ(Number誌)」
マンCに行く前は、インテルでプレーしていたバロテッリ。
インテルに所属しながらも、ミランが勝てば、バロテッリは誰にも憚ることなく飛び跳ねて喜んでいた(当然、インテルの首脳陣は激怒)。
インテルのクラブハウスに、ミランの応援歌を大音量で轟かせて現れたこともあった(ジェントルマンである主将ハビエルは激昂。ロッカールームでバロッテリを45分間にわたり絞り上げる)。
バラエティ番組でレポーターに直撃されたバロテッリは、あろうことか自分の名前と45番がプリントされた「ミランのユニフォーム」を着ていた(これを知ったインテル会長は、怒りのあまり卒倒)。
そこまでミラン大好きだったバロテッリ。念願のミラン加入によって、人が変わったように大人しくなった。
「インテル、マンC時代には見向きもしなかったチームプレイに励むようになったのだ。また、18歳のフランス人FWエムバイェ・ニアンを弟分として面倒を見るなど、精神面でも見違えるほどの成長を見せている(Number誌)」
ミランの選手たちも、規格外の才能を秘めたバロテッリに期待せずにはいられない。
「アイツは次元が違う」
MFケビン・プリンス・ボアテンクは、バロッテリの加入を機に、退団希望を撤回した。DFイニャツィオ・アバーテも半ば確定していた移籍を蹴って、残留を表明。
「バロテッリ一人の加入で、停滞していたクラブのムードが完全に変わった」
ついに、バロテッリは収まるところに収まったのであろうか。
ミランのチームメイトは、こうも言う。
「近い将来、俺たちは途轍もないFW(フォワード)を目の当たりにするはずだ」
(了)
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 5/9号 [雑誌]
「バロッテリ 悪童が描いたシナリオ ミラン移籍の真相」
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