「いい引退」
もし、そういうものがあるとするならば、「松井秀喜(まつい・ひでき)」の引退が間違いなくそれだという人がいる。
「ニューヨークのメディアがおしなべて賛辞を捧げたほどだから…」
松井は決して英語が得意なわけではないが、不思議と「鵜の目、鷹の目のニューヨーク・メディアから好感を持たれていた」。
とはいえ、松井のメディアに対する回答は、悪く言えば「面白みに欠ける傾向」にあった。というのも、彼の言葉は「絶対に地雷を踏まない最大公約数的なもの」であったからだ。
なのに、なぜメディアから好感を持たれていたのか?
その理由として、「無口であることが、古き良き野球選手を連想させたから」という記者がいる。
松井には一貫して「他者に対するリスペクト(尊敬)」が、そのベースにあった。
「言葉ではなく、その態度・姿勢が松井の伝達手段だった」
たとえば、松井がNYヤンキースに移籍した当初、「ニューヨークの記者たちを食事に招待して驚かれた」ことがあった。警戒心の強い選手ならば、そんなことはまずしないからだ。
また、試合終了後には必ず、囲み取材に応じる松井の姿があった。そして、彼には常にリスペクトを払う姿勢があった。
だからだろうか、「松井がずっと、記者たちから愛されてきた」のは…。
しかし、松井が諸手を上げてメディアを歓迎していたわけではない。彼にはマスコミに対して、どこか「冷めた目」があった。
18歳の松井のこの言葉は、完全に記者を見限っている。「昔から思っていたけど、記者の人たちって『ヒマなんだなぁ』という感じで見てました。(記事は)ウソも多いですし、あまり信用できなくなりました」。
この言葉は、まだ処世術を身に着けていなかった頃の「本音」だったのだろうか。以後、巨人、ヤンキースと野球人生を歩んでいくにつれ、松井の言葉は先に述べたように「最大公約数的なもの」になっていく。
松井はマスコミに対する批判的な気持ちを胸に秘めながらも、記者たちに「リスペクト(尊敬)」を示し続けたのは、さすがと言うべきだろうか。
松井はプロ生活20年間、「一貫して記者に協力的だった」。
「松井が取材に応じてくれることで、記者たちがどれだけ助かったことか…」
甲子園で明徳義塾戦で敗れた松井(当時・星稜高校)は、面白いことを言っていた。
「自分たちが勝てないのは『気が優しすぎるから』ですよ。絶対にそうです。土地柄もあると思いますけど、性格がトンガッた奴はいないんですね」
松井の優しさもまた、プロ生活20年間、一貫していた。
「お先にどうぞ」
エレベーターに乗ろうとする松井は、柔らかな物腰で先を譲る。
「他者に対するリスペクト(尊敬)」
それが松井の引退をして、「いい引退」と言わしめることになったのかもしれない…。
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 2/7号 [雑誌]
「ナンバー懐古堂 『いい引退』というものがあるとするなら」
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