2013年1月18日金曜日

頑固な「澤穂希(なでしこ)」、今までの選択に後悔はない。



結婚して引退するか、サッカーを続けるか?

「澤穂希(さわ・ほまれ)」24歳、彼女は大いなる決断を前にしていた。

「当時の澤には、アメリカで知り合った恋人がおり、彼と結婚してアメリカで生活を送るのか、それとも日本に復帰してサッカーを続けるのか、という選択を迫られていた」



澤がアメリカへ渡っていたのは、当然サッカーのため。

大学を中退してまでアメリカへ飛んだのは、2年後にプロリーグが発足するアメリカのクラブ、デンバー・ダイアモンズに入るためだった(当時20歳)。

アメリカという「女子サッカー王国」は、それほどの魅力に輝いていたのである。



アメリカでの澤は、ドラフト指名されてアトランタ・ビートへ移籍。2度の準優勝に貢献することとなり、オールスター戦にも出場。

「澤は、アメリカでも一目置かれるプレーヤーとなった」

しかし、リーグ自体が資金難に陥ってしまったことから、「わずか3シーズンで解散」。もはやサッカーでアメリカに留まることは叶わない。サッカーを続けるならば、一時日本に帰国せざるをえない状況に追い込まれた(当時24歳)。



「サッカーか、結婚か?」

24歳の澤は、「引退して結婚してもいいかな…」と思っていた。恋人の職場はアメリカ、一緒に暮らすならサッカーはもう続けられない…。

もし、ここで彼女が引退へと傾いていれば、日本女子サッカーのW杯優勝も、ロンドン五輪の銀メダルもなかったかもしれない。



「今、自分のやるべきことは何なのか?」

澤の自問は、オリンピックを向いていた。

「シドニー五輪の出場を逃して、アテネに絶対に行くっていう目標を掲げてやってましたから…」



「やっぱり、サッカーだったんですよ」

澤は日本女子サッカーの未来を想わずにはいられなかった。

「サッカーを辞めちゃったら私、絶対に後悔するだろうなという思いが強かったんです」と澤。



2004年4月、アテネ五輪への切符をかけた北朝鮮戦で、澤は右ヒザ半月板損傷という大ケガに見舞われてしまう。それでも痛み止めの注射を打って澤は出場。

「満身創痍の状態で、アテネ行きの切符をもぎ取った」

アテネ五輪の本大会においては、日本女子チームは「なでしこジャパン」という愛称を得て、ベスト8まで勝ち進むこととなる。



続く4年後の北京オリンピックでは、惜しくも3位決定戦でドイツに敗れ、念願のメダルを逃す。

「あと一歩へと迫った夢」

「なでしこ」の象徴とされた澤も、もう30歳になっていた。それでも、その一歩に少しでも近づくため、澤は2度目の渡米を決断する。

「やっぱり女子サッカーの世界では、アメリカという国は強いし、魅力的でしたから」と澤。移籍先のワシントン・フリーダムでは、ロンドン五輪でも雌雄を決することとなるワンバック選手ともプレーをともにすることとなる。



2011年に帰国する澤。以後、彼女の率いる日本代表の大活躍は余人の知るところであろう。

2011年のW杯、なでしこジャパンは最強豪国のアメリカを破り、世界一に。そして、2012年のロンドン五輪では、そのアメリカに敗れるものの、悲願の銀メダルに手が届く。



「私、頑固ですし(笑)」

そう笑う澤は、今までのサッカー人生における大きな決断をすべてプラスに転じてきた。

「誰が何と言おうと、最終的に決めるのは自分。だから後悔はないんです。絶対にない」と澤。



「夢」にまで見たオリンピックでのメダルを手にした澤は、もう34歳になっていた。

そしてオリンピックの熱狂が冷めた後は、「これから何をしたいのか分からなくなった…」とも漏らしていた。



そんな悩みの中で澤の目に飛び込んできたのは、45歳にしてフットサルにまで挑戦するカズ(三浦知良)の姿。

「凄くカッコいいですよ。カズさんは現役にこだわって、ずっとサッカーをやりたいという気持ちが強い選手ですから」

そう言う澤の心の中からはもう、悩みがどこかへ吹き飛んでいた。



「自分もやれるところまでやりたいです」と澤は強く語る。

ロンドン五輪以降も、澤はリーグ戦、カップ戦などで休みなくプレーを続けている。



あの時、結婚していれば…。

あの時、サッカーを辞めていたら…。

澤の見る景色も、われわれの見る景色も今とはまったく違ったものとなっていただろう。



「選択したときは、それが正解かどうか分からない」

それでも澤は、キッパリとこう言い切る。

「でもね、今思うと、間違いじゃなかったんだ、って。うん。自信を持って、ハッキリそう言えますね」



もし10年前、サッカーか結婚かを決めかねていた澤は、この同じ言葉を言い切れたであろうか?

さらに、もし澤が結婚を選んでいたら、どうだろう?



これらの問いに対する答えはない。あるのは憶測ばかりだ。

それでも私は、こう思いたい。

「どんな決断を下していたとしても、きっと澤は後悔していなかったに違いない」

そんな彼女だからこそ、夢を成せたのだと思いたいのである…!





ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 1/24号 [雑誌]
「4つの転機で考えたこと 澤穂希」

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