もし、数十年に一人の「伝説的スケーター」が現れるとしたら…。
それは17歳の「羽生結弦(はにゅう・ゆずる)」なのかもしれない。
今年3月、フランス(ニース)で行われたフィギュアスケートの世界選手権。SP(ショート・プログラム)7位につけた羽生は、続くフリーで3位に浮上。「17歳にして世界選手権の『銅メダリスト』となった」。
銅メダルを手にした羽生は思った。
「もうスケートは自分だけのものではないんだ…」
世界選手権後、羽生はカナダ(トロント)に飛んだ。
そこにはフィギュア界の名伯楽「ブライアン・オーサー」がいる。以前から羽生は海外に行くならこのトロント(カナダ)と決めていた。それほどオーサーというコーチの存在が大きかったのだ。
ブライアン・オーサーといえば、韓国の「キム・ヨナ(バンクーバー五輪・金メダリスト)」を育てた人物としても有名だ。しかし、羽生が欲したのはオーサーを中心に生み出されている「環境」の方だった。
オーサーがメインコーチを務めるカナダ随一の名門「クリケット・クラブ」は複数のコーチによるチーム制をとっている。
スケーティングの達人(トレイシー・ウィルソン)もいれば、世界中からオファーの絶えない振付師(デイビッド・ウィルソン)もいる。「さまざまなコーチがオーサーを頂点とする1つのチームを結成している」。そして何より、4回転ジャンプを2種類跳べる「フェルナンデス・ハビエル」もいた。
「僕はライバルがいて競い合わないとダメなタイプなんです。だから、僕をカナダまで突き動かしたものは、ライバルと一緒に練習できるこの環境だったんです。キム・ヨナは全然関係ない」と羽生。
今年5月、オーサーの門をくぐった羽生は「早く4回転サルコウを教えてくれ!」とばかりに意気込んでいた。
ところが、羽生に与えられるのは基礎的な「スケーティング」の毎日。それは「古き良き優雅なフィギュアスケートの空気感」が漂うこのクラブの名物でもあった。
ジュニアからシニアまで、同じステップを10〜20人が踏む。世界選手権銅メダリストとて例外ではなく、その輪に加わらなければならない。すると、その銅メダリスト羽生が「誰よりも拙(つたな)い動き」ではないか。
「自分ってこんなに出来ないんだ!」。それは嬉しい発見でもあった。自分の「弱さ」が見えれば、それを改善すれば良い。それが新たなステージに上がるチャンスともなる。
SPとフリーの2つのプログラムに関して、オーサーは17歳の羽生に「大人の演技」を求めた。
気鋭の振付師ジェフ(元世界王者)がSP(ショート・プログラム)に選んできた曲は、ブルースの定番「パリの散歩道」。ブルースのような「間」のある曲は、基礎スケーティング力の良し悪しがハッキリと見えてしまう。一歩に長く乗って「まどろみ」を表現したり、力を使わずに加速することで「脱力感」を見せたり…。これは今までの羽生が避けてきたタイプのプログラムだった。
一方のフリーは、羽生得意のドラマティックな曲「ノートルダム・ド・パリ」。しかしその内容は「羽生が苦手とする技術」のオンパレード。今までの羽生はガツガツとパワーで漕いでいたが、このプログラムにそんな「素人臭さ」は一切ない。じつに洗練されている。
「漕ぐ場面なんかなくて、最初から最後まで技で全部つながってる。とにかく苦しいです」と羽生。しかし、「すべてがつながって見える」ことこそが、フィギュアスケートで求められる演技そのものであった。
「辛いけど、これはずっと目指していたもの」
ところで、羽生の最大の売りである「4回転ジャンプ」は?
もちろん入っている。しかも2種類とも(トウループ・サルコウ)。トウループは身に付けているものの、サルコウはまだ羽生にとっては難しい。「4回転サルコウはショーの合間に遊んでて成功したことくらいしかない」。
その4回転サルコウの名手は、同じクラブにいるフェルナンデス・ハビエル。その素晴らしい演技を目近でお手本にできた。
「数十年に一人の伝説のスケーター」
その片鱗を羽生が魅せたのは、GP初戦のスケートアメリカにおいてであった。
SP(ショート・プログラム)総合得点「95.7点」。世界記録となった高得点が飛び出した。4回転を含むノーミスのジャンプもさることながら、羽生本人が驚くほどに、「演技力」と「音楽表現」のポイントが高かった。それは基礎的なスケーティング練習の成果でもあった。
しかし残念ながら、この大会で優勝したのは羽生ではい。SP2位の小塚崇彦が逆転勝利を決めた。
SPで空前の得点を出した羽生だったが、フリーでは「4回転どころか簡単なジャンプも転倒」。「心ここにあらず」の散々な演技。精神的な弱さを露呈してしまっていた。
「そもそも『ショート(SP)を忘れなきゃ』っていう思考自体、ショートに囚われていたんです。切り替えの失敗、精神的なミスです…」と羽生は振り返る。
しかし、この失敗によって羽生のメンタルは変化した。
「口に出さないで、『内に秘めていること』の大事さに気づき始めたんです」
今までの羽生は「絶対王者になる」と宣言し、自分にプレッシャーと自己暗示をかけることを「勝利の法則」としてきた。「昔は、あえて言った言葉に追いつけ追い越せでやってきました」。
ところが一転、羽生はその志を「心に秘める」ことにもしたのである。「最近の僕は『半々』になったんです」。
こうした変化は、カナダへのチャレンジそのものが生んだ賜物でもあった。
羽生の拙い英語では、自分の思いをすべて伝えきれない。それは最初、もどかしさでもあったが、精神的な飛躍のキッカケともなった。全部言わなくとも、意志は通じることが分かったのだ。
「ブライアン(オーサー)も『心に秘めるタイプ』なんです。それが『一流』という感じです」と羽生。
オーサーは決して「勝て」とは口にしない。ただ黙々と選手の特徴を見極め、成長へと導く。そのリンクの環境自体も「勝敗より成長を手放しに喜んでくれる」。
「僕はね、一流になりたいんです。『格』を身につけたいっていうのかな。『絶対王者になる』なんて言ってた頃は若かったんですよ」
若かった? これが17歳の言葉である。
「ムリに背伸びして表彰台っていうのは嫌なんです。ちゃんとスケートの格を身につけて、心の芯からトップになりたい」
今年10月のフィンランディア杯、羽生はフリーで自身初の4回転トウループと4回転サルコウを決めて、「サラッと優勝した」。しかし、その頃の羽生は「若かった」。まだアメリカスケートの敗北を知る前である。
そして今月、日本で行われたNHK杯で羽生は自身のもつ世界歴代最高記録を更新した(SP95.32点)。しかしまたもや、続くフリーではミスを繰り返す。それでも総合得点は自己ベストを10点近くも更新した(260.03点)。
NHK杯において羽生は優勝したものの、アメリカスケートの失敗を繰り返したとも見える。しかし、その心の内は格段に成長していた。確実に「大人」に近づいていたのである。
オーサーは小さな失敗よりも、羽生のその成長のほうを見ていた。「SP、フリーともに大きな飛躍」。それがNHK杯の羽生に対するオーサーの評価だった。
「羽生の成長のスピードは想像を超えている…」
世界選手権で銅メダルを獲得してからまだ1年も経っていない。そして、まだ17歳(12月7日にようやく18歳)。
彼の視線の先にあるのは、2年後のソチ・オリンピック。
本当のお楽しみはまだまだこれからだ…。
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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 12/6号
「17歳の目覚め 羽生結弦」
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