「逃げ道をつくっておくことです」
これは、「ピッチングで一番大切なことは?」との質問に返ってきた「杉内俊哉(巨人)投手」の言葉である。
「『打たれても仕方がない』と思える理由をつくっておくんです。投げる時に自分の気持ちが楽になるように、最初から逃げ道を考えておくようにするんです」
元来、彼は自分を追い込んでしまうタイプの人間であった。
深夜のベッドで「何で打たれたんだろう?」と考え始めると、それをグルグルグルグルと考え続けてしまう。「腕の振りはどうだったのか?」。たまらずベッドから飛び出して、夜が白むまでシャドー・ピッチング…。若い頃は、そんな眠れぬ夜が幾夜も続いたのだという。
「バッターと1対1ではなく、『もう一人の自分』まで敵に回して1対2で戦っていたんです。それじゃあ、勝てないですよね」
そう気がついて以来、彼はマウンド上で「もう一人の自分」と闘わないように、「逃げ道」を用意しておくようにしたのだという。
杉内の球速は140km台、特殊な変化球も持っていない。おおよそ「平凡」である。
ところが、彼の球は日本のみならず、世界の強打者たちをも翻弄する。そのピッチングの真髄とは?
「打者からは、どの球種でも『腕の振りが変わらない』から、タイミングが外されてしまうと言われます」と杉内。
「どの球種でも」という割りには、彼の球種は「ストレートとスライダーにチェンジアップ」、この3つだけである。だが、このシンプルな3つのボールを「同じ腕の振りで、しかも振り切って投げ込んでくる」。それが最大の武器となるのだ。
「杉内のように同じ軌道で、思い切って腕を振って投げられれば、140km台のストレートに打者は勝手に振り遅れる。スライダーにつまり、チェンジアップにバットは空を切る」
確かに、豪速球でバットをへし折り、鋭い変化球で空を切らせるのは、投手としての醍醐味なのかもしれない。しかし、打者を打ち取るためには、150kmを超える特別なストレートや鋭く落ちるフォークは必ずしも必要ではないのである。
現に杉内は、そんな特別なボールを一切使わずして打者から三振を奪い、白星を挙げているのだ。楽天戦(5月30日)では、あわや完全試合のノーヒット・ノーランまで達成している。
「平凡なる非凡さ」。たった3種の平凡な球を愚直に投げる杉内のピッチングは、「相手が変わっても、どこへ行っても通用する」。
日本の打者のみならず、世界の打者をも翻弄したのが、2009年のワールド・ベースボール・クラシックス(WBC)。
「ずっとマウンドに上がるのが怖かった」という杉内。「できればダルビッシュに行って欲しい」などと思っていた。「僕流の逃げ道なんです」。
ところが決勝戦。一点リードで迎えた8回、ベンチから交代の電話がかかってきて、「杉内、いくぞ!」の声。
「その瞬間に、一気に全身の血が沸騰するような感覚になったのを覚えています」
対する相手は、韓国のイ・ヨンギュ。
逃げから一転、スイッチの入った杉内は、イ・ヨンギュを左飛に打ち取って、見事にピンチを切り抜ける。
この大会で、杉内は中継ぎのエースとして準決勝、決勝を含む5試合に登板。6回3分の1を投げて、一本の安打も打たれることがなかった。
「杉内が侍ジャパンになくてはならない理由」
それがおぼろげながらも分かったような気がする…。
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 11/8号
「杉内俊哉 世界基準の投球術で」
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