2012年11月8日木曜日

45歳の新人カズ、フットサルへの挑戦


45歳の新人?

それは「カズ」こと、三浦知良。

サッカー元日本代表から転じて、「フットサル」の日本代表となっていた。



サッカーの11人に対してフットサルのプレーヤーは5人。試合は20分ハーフ。ピッチはサッカーの4分の1ほどで、ボールもサッカーボールより一回り小さい。

サッカーとは勝手が違うとはいえ、カズは若き日のブラジル時代にフットサルをやっていた。と言っても、それは30年以上も前の話だが…。

「ブラジルでフットサルをやったことは30年経った今でも忘れていないし、そこではコンクリートみたいなコートでやるフットサルの大会にも出ました」



カズがブラジルに渡ったのは1980年代。サッカー日本代表はW杯にもオリンピックにも出場できず、世界から隔絶されていた時代に単身でブラジルに飛んだのである。「勇敢というより無謀といったほうがいいチャレンジ」であった。

「日本の選手が『グラウンドの芝がグチャグチャで最悪だ』とか言うようなところでも僕は気にならない。『ヌカるんでいたから、足首を取られちゃって』、なんてことも僕は言わない。それは、本当にブラジル時代に劣悪な環境の中でやってきたことが大きいと思う」

日本人というだけでパスがもらえない。タックルには悪意が剥き出しになっている。観衆から浴びた罵詈雑言は数知れず…。



そんな苦境の中でもカズは、かつてペレも在籍した名門サントスとの契約を実力で勝ち取った。当時23歳、まさにこれから伸び盛り。

ところが一転、カズは日本に帰ってきた。「日本代表をW杯に出場させるために帰って来ました(1990)」。

カズが最初に日本代表に呼ばれた時、その練習場所はなんと成田の公園だった。「なんでこんなところでやるのってビックリしたもん。メディアなんかゼロ。マッサーもいないし、ドクターもいない」。



そんな20年前のサッカー日本代表の待遇に比べれば、今のフットサルの日本代表の待遇はずっとシッカリしていた。競技としての注目度はまだまだ低いとはいえ、今はしっかりしたサッカー協会の組織がある。

それでもFリーグ(フットサルの国内リーグ)の選手たちには焦りがあるのだという。それは、つい1年半前には同格だと思っていた「なでしこジャパン」がいきなりバーンと有名になってしまったからだ。



そのフットサルに突然飛び込んできた「新人カズ」、45歳。

否が応にもメディアの注目度は急上昇。「政治的な思惑」を疑われるのも無理はない。しかし、カズの決断は純粋にプレーヤーとして活躍するためのものだ。

「なぜ決断したかというと、やっぱり監督が出場を強く望んだということが、自分の中では一番大きかった。『日本代表として戦ってくれないか、君の情熱、経験、技術、それを持ってして一緒に戦わないか』と監督のミゲルさんから言われたことが決定的でした」

フットサル日本代表のミゲル・ロドリゴ監督は、今年1月、札幌市で行われたカズのフットサルのプレーを見て、一発で見初めてしまっていたのだ。



フットサル日本代表は、これまでW杯3大会に出場しているほど強い。しかし、グループリーグを突破したことはまだなかった。

今回の悲願は、史上初のグループリーグ突破である。それは、ミゲル監督が3年前に就任した時から口にしている目標でもある。

フットサルW杯本大会は合計24チームが出場し、グループリーグは6グループに分かれており、1グループは4チームで競われる。決勝トーナメントに出場できるのは2位までが自動、3位チームは6分の4の確率で勝ち上がれることになっている。



グループリーグの組み合わせ抽選が決まった時、ミゲル監督は「ガンの宣告を受けたようなもの…」と口にした。

なんと、日本の入ったグループは、ブラジル、ポルトガル、リビアという強豪が揃い踏み。他のグループと比較しても、突出してレベルの高い「死のグループ」に入ってしまったのだ。

初戦であたるブラジルは前回王者。その破壊的な攻撃力は世界一。前回大会で日本は1対12という大敗を喫している。ポルトガルも2年前のヨーロッパ選手権で準優勝した強豪国。唯一、リビアだけが勝てそうな相手であった。

「最初の2試合(ブラジル・ポルトガル)で、大量失点をすることだけは絶対に避けなければならない…」



初戦のブラジル戦。日本は敗れた…。しかし、最悪の大量失点だけは免れた。1対4、まずまずだ。

2戦目のポルトガル。ここで気を吐いたのは「フットサル界の本田圭佑」森本薫(短かい金髪)。国内のFリーグで2度のMVP、得点王にも輝きながら、代表戦ではなかなか得点を上げられずにいたが、ついにポルトガルから点を奪った。「やっとケチャップが出ました!」と喜びを爆発させた(サッカーの本田圭佑は、「ゴールというのはケチャップのようなもの。出ない時は出ないけど、出る時はドバドバ出る」と言っていた)。

その結果は5対5の引き分け。貴重な勝ち点1を上げることが出来た。



そして、グループリーグ最終戦のリビア戦は4対2で順当に勝利。

しかし、惜しまれたのは2点差しかつけられなかったことだ。もし4点差であれば、自動的に決勝トーナメント進出が決まるはずだった。グループリーグ内では3位にとどまった。

日本代表、悲願の決勝トーナメント進出は、他グループの動向に委ねられることとなった。各グループの3位チーム6つのうち、上位4チームだけが決勝トーナメントにコマを進めることができるのだ。



リビア戦の直後、カズは「上に行けることを信じています」と言っていた。

そして、その願いは試合終了から1時間半後に聞き届けられる。

ウクライナがコスタリカに6対1で勝利したことで、日本は3位チームの中で上位4チームに食い込んだのである。ついに、悲願の決勝トーナメント出場である!



カズがフットサルの日本代表に入った時、「新たな名声を得るよりも、キャリアに傷がついてしまう恐れが大きい」と言われていた。

ところがドッコイ、カズは新たな名声を得てしまった。「青いユニフォームを着る者の誇りと責任感を唱え続けてきた男」はまだまだ健在だった!

いよいよ決勝トーナメント!





ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 11/8号
「三浦知良 僕がフットサル参戦を決めた本当の理由」

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