2012年11月6日火曜日

若き香川を育てた名伯楽「クルピ」。その秘密とは?


日本代表にとって、歴史的勝利となった先のフランス戦。

とくに高く評価されたのが、その後半戦だ。「後半だけを見れば、日本は世界のどこの国とも戦い得るし、いわゆるサッカー大国との差も限りなく縮まっている(ビセンテ・リザラズ元フランス代表)」



その後半戦で激しくフランスを攻め立てていたのが、香川真司(かがわ・しんじ)、清武弘嗣(きよたけ・ひろし)、乾貴士(いぬい・たかし)の「セレッソ3」。3人とも元セレッソ大阪の選手たち。彼らが活性化させた「戦う姿勢」は、試合終了間際、香川真司による値千金の決勝弾を生み出すことに繋がる。

結果は1対0。日本の「一本勝ち」であった。6度目の正直、ついに日本は初めてフランスに勝ったのだ。





セレッソ時代、若き彼ら3人を導いていたのは一人のブラジル人、「クルピ」監督。

「なぜ、クルピの下で才能は育つのか?」

その問いに、「偶然ですよ」と答えをはぐらかすクルピ監督。「私がいたチームには、たまたま才能が眠っていただけです」。

たとえ、直接的な答えを彼の口から聞けなくとも、クルピ監督の言葉の端々からは、そのヒントが否応もなく漏れ聞こえてくる。



「若い選手たちには『サッカーに年齢は関係ない』と繰り返して言っています」

ブラジルには年齢が上だからといって、無条件にその人をリスペクト(尊敬)することはないのだという。リスペクトする理由は、純粋に実力のみ。具体的には「数字を残すこと」である。



若手名伯楽とも呼ばれるクルピ監督が、香川真司を大抜擢した時、香川は弱冠18歳。その期待に応えた香川は、2009年、J2ながらも27得点というシッカリした「数字」を残している。清武弘嗣、乾貴士にしても同様。20歳前後で、自己最高のゴールやアシスト数を記録している。

「私がシンジ(香川真司)にしたことは、試合に出し続けただけ」とクルピ監督。

日本特有の「先輩後輩という文化」は、クルピ監督の頭の中には入っていないかのようである。

そのおかげで、横浜Fマリノス時代には燻っていた乾貴士のドリブルも、クルピの下でようやく陽の目を見ることとなる。パスを攻撃の起点とする傾向のある日本代表にとって、乾の積極的なドリブルは大きなアクセントとなり、強豪フランスを苦しめることにもなった。



「3試合で3引き分けなら、私は1勝2敗の戦いを選びます」

「勝負の流儀」を語りはじめるクルピ監督。

「勝利の勝ち点は3です。引き分け3つと同じ勝ち点なら、勝ちを目指して3試合を戦ったほうがいいのは当然でしょう?」

「最高の感動をもたらすのは『ゴール』。ゴールは選手の力になるのです。にも関わらず、90分間、相手に点を取られないことだけを考えてプレーするなんて、ナンセンスですよ」



現在、日本代表で活躍する香川真司・清武弘嗣・乾貴士は、いわば「第一次クルピ・チルドレン」。そして、今のセレッソ大阪には、クルピ監督の下、「第二次クルピ・チルドレン」が着々と育ちつつある。

柿谷曜一朗(かきたに・よういちろう)の技術レベルは「ブラジルのネイマールに近いものがある」とクルピ監督。「ゴールに集中できるようになれば、シンジ(香川真司)にも匹敵する選手になるでしょう」とまで高く買っている。

また、杉本健勇(すぎもと・けんゆう)に対しては、「ケンユウは今後、『ヨーロッパで活躍できる日本のストライカー』になる」と、クルピ監督はその将来を楽しみにしている。



こうした若手選手について話をする時、クルピ監督の表情はじつに「嬉々としている」。その言葉は愛情そのものだ。

もし、これからの若い選手たちが、かの名伯楽にこんな言葉をかけられたら、どんな気ちになるだろう?



クルピ監督に言葉をかけられた若手たちには「魔法がかかる」。

そして、世界へと羽ばたいてゆくのだ…!





ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 11/8号
「香川・清武・乾を育てた名将に聞く なぜ、クルピの下で才能は育つのか」

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