彼女は「世界最強の女」ではなかったのか?
しかし、ロンドン・オリンピック直前の「吉田沙保里(レスリング)」は、生まれて初めて「眠れぬほどの緊張」を苦々しく味わっていた。
「『負けた時のこと』なんか考えたことがなかったのに、『2回戦で負けて、私が敗者復活戦で勝ったら誰と対戦するんだろう』と考えてしまっていました」
その夜、いつもはあまり見ない対戦相手の資料映像を、不安のままに見続けていたのも良くなかった。
「目を閉じると、相手選手の姿が浮かびました。夜中に周りが静かになると、自分の心臓のバクバクする音が聞こえてきました」
そんな眠れぬ夜のかなり遅い時間、選手村に伊調馨(48kg)と小原日登美(63kg)が帰ってきた。二人ともに「金メダル」をブラ下げて。
その金メダルを目にした途端、吉田は「あぁ、私もこれが欲しい!」と強く思ったという。
そして、遠い遠い昔の記憶がボンヤリと思い出されてきた。
それは5歳の時、初めてのレスリングの試合に勝てなかった時のことだった。負けた吉田は当然メダルはもらえなかった。それでも、彼女は泣いて泣いて「金メダルが欲しい!」と父親にねだり続けていた。
すると、父は「メダルはスーパーやコンビニでは売ってない。頑張った子にしか、もらえないんだ」と、泣く娘を諭したという。
5歳の時に「金メダルが欲しい!」と切にねだった時と同じ気持ち。
それが期せずして、ロンドンで蘇ってきた。もう、アテネの金も北京の金も持っているというのに…!
そんな夜が明けて翌日、吉田は「ヨシッ」と決めてタックルに入って行っていた。
結果は期待通りの金メダル。女子選手で初めてのオリンピック3連覇であった。
晴れ晴れと帰国した吉田。
わりとノンキに「今年はもう休もうかな…」などと考えていた。オリンピックのすぐ後には世界選手権が控えていたのだが、それを見送ろうと思っていたのだ。確かに、たいていのオリンピック選手は、オリンピックで燃え尽きてしまっているので、出場を辞退する選手が多いのである。
ところが、吉田にはそんなにノンキにしていられない理由があった。なにせ、前人未到の世界13連覇のかかる大会だったからだ。
それでも、ノンキに「休もうかな」などと考えていたのは、一回休んでも連覇の記録が継続すると勘違いしていたためだった。その事実は、友人たちとの雑談で吉田は初めて知ったのだった。
「連覇が途切れるという話は誰からも出なかったし、分からなかったんです。本当に気づいていませんでした」
世界13連覇というのは、ずっと昔から吉田が憧れていた大記録。
「連覇したかったんです。こだわりですね。カレリンを超えたかった」
カレリンというのは、世界12連覇の記録を持つ「霊長類最強」とまで呼ばれたレスリング選手だ。吉田はロンドン五輪の金メダルで、そのカレリンに並んでいた。そして、その世界選手権に優勝すれば、単独の新記録を樹立することとなるのだった。
大慌てで調整した吉田。さすがに調整不足の声もささやかれた。
ところがドッコイ、吉田は強かった。全試合フォール勝ちで、あれよあれよと優勝をかっさらってしまったのだ。
この世界初の13連覇は、国民栄誉賞受賞の決定打ともなった。
はたして、「霊長類最強の女」はどこまで勝ち続けるのか?
「自分の中に引退という言葉はいつ浮かぶんでしょうね?」と、吉田はいつも底抜けに明るく、その笑顔にはなんの屈託もない。
「あと10年経ったら絶対にできないから、今しかできないことを全力でやりたい」
少なくとも4年後のブラジル・リオデジャネイロまでは、吉田は「最強の霊長類」であり続けるのかもしれない。
その邪気のない笑顔とともに…。
ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 11/8号
「吉田沙保里 世界13連覇を語る」
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