内村航平、23歳。
彼の成し遂げた世界選手権での3連覇は、体操競技において前人未踏の大記録であった(2011)。しかも、その3連覇を決めた東京大会においては、2位に3点以上もの大差をつける圧勝である。
2位以下の選手は、内村選手の抜きん出た妙技を褒め称えるより他にない。「ロンドン五輪もウチムラで決まりだ…」。
◎微動だにしない着地
国際体操連盟の元技術委員長だったフィンク氏は、内村選手の「着地の見事さ」を高く評価する。
「彼の着地は文章に句読点を打つようなもの。ピタリと止まることによって、審判の採点に良い影響を与えます。ウチムラの技術は世界最高です」
着地はわずかなミスでも減点の対象となってしまうため、演技全体の出来を大きく左右する重要な要素である。この点、着地を得意とする内村選手は圧倒的なアドバンテージをもつ。
鉄棒から飛び出した空中の彼は、他の選手よりも1回多くひねる。通常は2回のところ、内村選手は3回ひねるのだ。
1.5倍になった回転力は、当然のように着地をより難しくする。そのひねりの回転の速さは、世界選手権の審判でも見落としてしまうほどだ(日本チームの指摘により、得点は訂正された)。
そんな凄まじい回転のスピードでさえ、内村選手はピタリと止めてしまう。まるで高速の車に急ブレーキをかけたのに、シートから背中が少しも離れないように。
なぜ、彼の着地はそれほどまでに美しく決まるのか?
◎ひねりを「ほどく」
鉄棒での3回ひねりというのは、ルールブックに載っている鉄棒のフィニッシュでは最も難易度が高く、試合で着地を決める選手はほとんどいない。世界最高の技術をもつ内村選手でさえ、いつも成功するわけではない。
鉄棒をしならせた反動で一気に舞い上がる内村選手。空中に出てから0.5秒後に1回目のひねりが終了、その0.3秒後に2回目、そのまた0.3秒後には3回目をひねりきる。そして余裕をもって着地。
内村選手にのみ見られる独特の動作は、2回半ひねった後、つまり残り半ひねりの時に現れる。
その時、まるで鳥が翼を広げるかのように、内村選手の右腕、そして左腕が0.1秒にも満たないわずかな時間差で順繰りと大きく広げられていく(超スローで見れば)。
そして、広げた翼が風を受けて減速するように、着地を目前とした内村選手の身体のひねりは弱まり、惰性で残り半ひねりをした後は、木の葉のようにフワリと地に足が着く。
この独特の動作を本人は「ひねりをほどく」と呼ぶ。
彼がひねりをほどくのは、決まって残り半ひねりの時。それは2回ひねりでも3回ひねりでも同様で、まるで測ったかのように同じタイミングで翼が広げられる。
◎垂直に降り立つ
コンマ何秒の間に、これほど正確な動きをできる選手は、世界広しといえども内村選手のみ。
他の選手は、着地間際にまで回転のスピードが残り過ぎているため、どうしても着地がわずかに斜めになり、ピタリと止めることが難しくなってしまう。それに対して、内村選手は着地の寸前に両腕を広げてひねりを弱めているので、垂直に床に降り立つことができる。
斜めになったままの他の選手は、どちらかの足が先に床に着いてしまうため、その勢いが横へと逃げてしまう。ところが、まっすぐに降りる内村選手は両方の足を同じタイミングで床に着けることができるので、あまった力は床に吸い込まれ、あたかも床に吸い付いたかのように見える。
まさに神業。しかしなぜ、彼はそこまで精密に回転の状態を把握できるのだろうか?
◎見えている
実は彼には回転が「見えている」。
どんなにハイ・スピードで回転していようが、「今どのくらいの高さにいて、どのくらいのひねりスピードかが瞬時に分かる」と本人は言う。
試しに、彼のおでこに小型カメラを付けてもらって、彼が3回ひねりをしている時に見ているのと同じ景色を撮影してもらった。
その動画を再生してみると、素人目には何が何だかサッパリ分からない。録画中のカメラを落とした時に偶然映ってしまった映像のような意味不明さだ。
それでも、その映像を本人に見せると、「うん、分かります」とうなずく。「緑(床の色)、上、緑、上って交互に映ってますよね。それを見て上下を確認しているんです」。
◎見えている選手、見えていない選手
なるほど、体操選手の視力というのは、それほどまでに卓越したものであったのか…、と思うのは早計。じつは他の選手はそうでもなかった。
同じカメラをヨーロッパ王者のコチ選手(ルーマニア)に付けてもらい、内村選手と同じ技をしてもらった(着地がふらついていたが)。そして、やはり同様にその映像を本人に見てもらった。
すると、コチ選手の反応は内村選手のそれとは全く違う。「正直言って、こんな景色は見えていません。だいいち、演技中に天井なんか見ていたら、平衡感覚が狂ってしまいます」
なんと、金メダルを争うようなトップ選手同士でも、そこまで感覚が違うのか。
内村選手は周りの景色を確認しながら回転しているのに対して、コチ選手は逆に周りの景色を見ないようにしていたのだ。
高速回転の中で周りの景色が見えていない選手は、内村選手のように残り半ひねりでひねりをほどくという芸当は出来ないのではなかろうか。そして、その結果は着地の精度となって如実に現れる。
◎神童ではなかった少年
内村選手の絶対的な強さは「天才」と呼ぶにふさわしい。
ところが、意外なことに彼は世にいう「天才肌」ではなく、典型的な「努力型」であった。世界最強になった今でも、彼の練習量は圧倒的であり、ひたすら地道な練習を繰り返す毎日なのだという(ホウキも持てば、這いつくばって床も磨く)。
彼が体操を始めたのは3歳の時。両親が自宅で体操教室を始めたのを機に、その世界に足を踏み入れた。
のちに世界最強となる内村少年であるが、子供の頃はごく普通の子、いやむしろ、他の子供たちよりも出来るのに時間がかかる子供であった。
たとえば「けあがり」。これは脚を振り下ろす反動で鉄棒に上がる簡単な動作であるが、8歳の内村少年は何回やっても全然できなかった。他の子たちはどんどん出来ていくのに…。
ひたすら「けあがり」を続けること一年。ある日、ついに…、「あれっ? できた…」。「できたっ! できたっ! できたよーーーーっ!」。嬉しさあまった内村少年は、できた、できたとみんなに叫び回っていたという。
◎見え始めた景色
この時の「できる面白さ」は格別であった。
次に内村少年が夢中になったのは「トランポリン」。床ではできない難しい技も、トランポリンのバネを利用すれば、クルクルと回転できる。それが面白くて仕方がない。
来る日も来る日も飽きることなくクルクル、クルクル。はじめは1回しかひねれなかったのが、2回、3回とひねりの回数が増えていく。そして、その数が増えるほど面白くなっていく。
クルクル回る内村少年を不思議そうな目で眺めていた彼の母親。ある時、その疑問を聞いてみた。「ちょっと、航ちゃん。どうやってひねる数を数えているの?」
「そんなの周りの景色を見てれば数えられるよ」
なんと、彼は小学5年生にしてすでに回転中の景色が「見えていた」のである。それは他ならぬ繰り返しトランポリンを跳び続けていた賜物でもあった。視力の神経がグングン発達するちょうどその時期に、トランポリンを利用して回転していたことが、類マレな動体視力を育んでいたのだ。
まさか、トランポリンを利用したこの地道なトレーニングがオリンピックにまでつながっていたとは、当時の内村少年も確信はしていなかったであろう。
そのコツを聞かれても口で説明することはできず、「だって、見えるんだもん」と答えるばかりであった。
◎全身、重力センサー
現在の内村選手に視力の測定をすると、そのほとんどが満点という驚くべき結果が得られる。たとえば、「0.1秒間だけ表示される6ケタの数字をいくつ読めるか」という試験で彼が間違うことはまずない。
彼の眼はどんなスピード、どんな回転の中にあっても、その景色を見失うことは決してないのである。この驚異的な視力は、明らかに彼の空中感覚の肝である。
しかし、抜群の彼の空中感覚はその良い眼に頼ってばかりいるわけではない。彼の全身は、いかなる傾きにあっても、重量の方向を失うことがないのである。
それはこんな実験で実証された。戦闘機のパイロットの訓練に使われるという特別な施設には、操縦席が右に左に傾く装置がある。その席の前には白いスクリーンがあり、そこに一本の直線が傾きを変えて次々と表示されていく。その傾いた直線を手元の装置で動かして垂直にするという実験だ。
直線には見た目の傾きがあり、そこに座席そのものの傾きも加わる。つまり、直線には2重の傾きが加わっているのである。そのため、重力の方向を身体で正確に把握していない限り、目の前の直線を垂直にすることはできない。
この実験中、操縦席は「真っ暗」になる。すなわち、内村選手の自慢の視力は完全に封じ込められることになる。はたして、視力を用いずに彼は重力の方向を感じることができるのか。
その結果に専門家たちは皆、目を丸くした。内村選手の誤差率はわずか5%。角度にして1~2度の狂いしかなかった。自分の身体がどんなに傾いていても、彼は「どちらが下か」を正確に把握していたのだ(たとえ暗闇の中でも)。
ちなみに、一般人による誤差率はおよそ25%。それらと比較すれば、内村選手の精度は凡人のおおそ5倍ということになる。
◎意識と無意識
人間が重力を感じるのは、耳の奥にある「耳石器」という器官のおかげである。耳石器の上には無数の小石のようなものが乗っており、身体が傾けば、それらの小石もザザーっと移動する。その動きによって、どれくらい身体が傾いたかを感じるのだ。
また、全身の筋肉や関節にも重力を感じる機能があるということも分かってきている。しかし、こうした身体の重力センサーは「無意識の感覚」とも呼ばれ、普段の生活でその働きを自覚することはまずない。
内村選手は、回転中の景色を「意識的に」把握し、さらに重力センサーによる身体の傾きを「無意識に」感じていたのである。しかも、常ならぬスピード・回転の中で、誰よりも正確に…。
◎鍛えられた体幹
ふたたび時を戻し、高校時代の内村選手を見てみよう。
すでに驚異的な空中感覚を身につけていた内村選手、故郷長崎から一路東京へと巣立っていった。しかし、東京のコーチの評価は手厳しかった。「器用な選手ではあるが、自己流だ。体幹も出来ていない」。
コーチの指摘通り、空中の感覚は鋭いものの、より身体の強さを求められる「あん馬」などはサンザンだった。その年に出場した大会では、10点満点中、2点しか採れなかった。
※余談ではあるが、のちの北京オリンピックで内村選手は個人総合の「あん馬」で2度も落下してしまっている。それはこの時のトラウマなのであろうか。しかし、その時のオリンピックでは他種目による抜群の得点で23人をゴボウ抜き。驚異の逆転で銀メダルを獲得している。
「あん馬」での手痛い教訓は、内村選手をより強靱な肉体へと生まれ変わらせた。ひたすら地道なトレーニングを耐え抜いた彼は、翌年の全国大会で初優勝を果たしている。
こうして、持ち前の空中感覚に、確かな体幹が備わり、いよいよ内村選手は世界の舞台にさっそうと躍り出ることになった。
◎新たな難題
ロンドン・オリンピックで内村選手が金を獲るのはほぼ確実視されている。問題は「いくつ」金が獲れるかだ。
さらなる金字塔を建てるため、内村選手はとっておきの秘技を磨いている。それは世界初となる鉄棒の連続技。
まず身体の向きを変えながら倒立する「アドラーひねり(D難度)」。そこから、手離し技の「リューキン(F難度)」へ(リューキンの前の倒立が回転の勢いを落としてしまうために、手離し技が格段に難しくなる)。
世界最高峰の空中感覚をもつ内村選手をもってしても、この技は一筋縄ではいかない。世界王者が何度も何度も鉄棒から床へと叩きつけられる。そのたびに、「クソッ」という声が響く。
それでも彼は何かを確信している。「絶対どうにかしたら出来ると思っています」。
鉄棒から落ちるたびに彼は立ち上がり、宙を睨む。そして、右手をクネクネと動かす。これは彼独特のイメージ・トレーニングであった。右手を身体に見立てて、成功のイメージを探っているのだ。
◎1人称のイメージ
こうしたイメージ・トレーニングは、彼が小学生の時から行ってきたものである。
当時のノートには、テレビで見たオリンピック選手の技が、連続写真のように一コマ、一コマ丁寧に描かれている。ビデオを繰り返し見ては、それをノートに書いてイメージを膨らませていたのだ。
スポーツ選手にとって、イメージ・トレーニングというのは定石であろう。しかし、内村少年のイメージは他の選手と決定的な違いがあった。その違いはMRIによる脳の働きを調べることで、より明らかになった。
普通の選手の場合、イメージシている時には脳の「視覚」に関する部位しか働かない。それに対して、内村選手のイメージでは「高次運動野」が盛んに働いてた。
それはどういうことか?
一般的な「視覚」によるイメージは、いわば「3人称」、つまり他者の視点によるイメージなのである。ところが、内村選手の場合は、イメージしながら「運動」しているのである。これは「1人称」と呼ばれるイメージで、いわば「他者になりきっている」のである。
◎奇跡のイメージ
おそらく、オリンピックのビデオを見ていた内村少年は、すっかりオリンピック選手になりきっていたのであろう。他の少年たちがテレビ・ヒーローになりきるのと同じように。
しかも、その「なりきりぶり」は筋金入り、小学生の頃からトップ選手になりきるのはお手のものであった。そして、その驚くべきイメージ力は、中学3年生の頃に一つの奇跡を起こす。
その夜、彼はテレビにかじりつくように夢中になっていた。その映像はオリンピックのもので、「コバチ(後方かかえ込み2回宙返り)」という鉄棒の手離し技であった。この技は当時のトップ選手がこぞって挑戦していた大技である。
あまりの集中ぶりに呆れる母親。「また、そのビデオ? 明日も早いんだから、いい加減にしなさいよ! 」
母親の小言にカラ返事はするものの、彼がテレビから離れる気配は一向になかった。
それは何回くらい見た後だったのだろう。ふと、頭の中にコバチの景色が「見えた」。
その景色を「見た」彼は、いても立ってもいられなくなり、そのイメージが消えないようにと鉄棒にぶら下がった。そして、勢いよく回転して手を離す。宙に浮いた彼の眼に見えていたのは、まさにコバチの景色。
その景色の中に再び鉄棒が現れるたその一瞬、彼の両手はしっかりと鉄棒をつかんでいた。なんと、コバチ成功である。中学3年生が…。
内村選手は当時を振り返る。「コバチは全然やったことがなくて、まったくゼロの状態でした。でも、その選手のコバチをビデオで見て、勝手にできそうだと思ったんです」
そして、出来てしまったのだ。恐るべし、1人称のイメージ・トレーニング。このイメージは、頭で考えるだけで、身体を動かすのと同じ刺激を脳から筋肉に送るのだ。
内村選手の脳は、まさに「身体を思い通りに操れる脳」なのである。これは、他人と自分の境を見失うほどにビデオを見続け、イメージし続けた成果であった。
※余談ではあるが、この「コバチ」は内村選手が北京オリンピックで銀メダル(個人総合)を獲得した時にも見せた技である。
◎出来る喜び
今年5月、内村選手はオリンピック前の最後の試合に臨んだ。
その鉄棒で見せたのは、練習で失敗を繰り返していたあの連続技。衆目が固唾を飲む中、美しく宙に舞った彼は見事に決め、ピタリと地に着いた。それは世界初の大技を公の場で決めた瞬間であった。
「また一つ、出来なかったことが出来るようになった」と本当に嬉しそうな内村選手。彼にとってのメダルは結果にすぎず、本当の喜びは「出来ないことが出来るようなる」ことなのかもしれない。
それは、一番最初につまずいた「けあがり」が出来るようになった感動にはじまった栄光への道であった。
「出来ないこと」は彼にとって苦痛ではなく、「喜びの種」なのでもあろう。出来ないことがあれば、その先には必ず達成する喜びがあるのだから。
「答えが分かっていたら、面白くない」と彼は言う。
ロンドン・オリンピックの答えはまだ誰も知らない。でも、もしかしたら内村選手のイメージの中では、すでに答えは出ているのかもしれない。
そして、彼は今からそれを確かめに行くのである。
※当記事は、ロンドン・オリンピック前に書かれております。
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出典・参考:
NHKスペシャル ミラクルボディー 第2回「内村航平 驚異の“空中感覚”」
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