2012年9月10日月曜日
遅く滑るからこそ見えてくる世界。テレマーク・スキー
「『速く滑ること』は良いことだけど、『遅く滑ること』ができないとスキーの醍醐味の多くを味わえないんだよ」
アルペンスキーの本場「オーストリア」でスキーを仕込まれた「ドニー」は、スキーの先生にこう教えられてきたのだという。
ある技術を習得すると、決まってこう言われる。
「ドニー、とてもいいよ。じゃあ、もっと遅くやってみようか」
「いつもスピードを優先させてやると、スキーで学ぶべきことを見逃してしまう」というのが、そのオーストリア教師の持論でもあったようだ。
そんな教えを受けたドニーの滑りは、「外向外傾をキチンととり、まるで教科書からそのまま飛び出してきたのではないかと思えるような美しく淀みのない滑り」なのだという。
一時は競技スキーにも没頭したというドニーだが、「テレマーク・スキー(踵の固定されていない山スキー)」との出会いが彼の一生を決めたといっても過言ではない。
「テレマーク(山スキー)は誰もが個性的になれて、美しい動きを創造できる。これほど楽しめて効率のいい道具は見当たらないね」
そう豪語するトニーは、今でも山を守るかのようにガイドの仕事を楽しんでいる。
「僕はテレマークだけじゃなくて、クロカン(歩くスキー)でツアーに出る感覚も同じくらいに好きなんだ。よりソフトなギア(道具)を使うからいいんだろうね。大きくて重いギア(道具)を使った瞬間、自由がなくなるわけだから」
ドニーはこうも続ける。
「テレマークは心を羽根のように軽くしてくれる道具さ」
今のアルペン(ゲレンデ)スキーの道具はいわば「完璧」な道具である。
しかし、その完璧さのために「重くて不自由な道具」になったのは確かなことである。そのブーツで普通に歩くのは難しく、スキーは年々重さを増す一方だ。
北田啓郎氏に言わせれば、テレマーク・スキー(山スキー)は「機械化されたアルペン(ゲレンデ)スキーへのアンチテーゼ」となる。
テレマークはその「不安定さと不完全さ」が最大の魅力なのだ。皮肉にも自由とはそんなところにこそ宿るものなのかもしれない。
一時はアルペンスキーに駆逐されたテレマークスキーであったが、その復活の地は「アメリカ」だとされている(その生まれはノルウェー)。
アメリカでテレマーク・スキーが再興したのは、第二次世界大戦から退役した兵士たちが、かつての訓練場所であったコロラド州に戻ってリゾート開発を手掛けたからである。
「10thマウンテン」と呼ばれるスキーエリアは、「第10山岳師団(10th mountain division)」の名称から名付けられたのでも判る通り、かつては山岳兵士の訓練場でもあった。
スキーという道具は、雪中の山岳行軍には欠くべからざるアイテムであったのだ。
また、同地域のアスペンやヴェイルなどは、世界最高のスキーリゾート地の一つと言われるまでの隆盛を今に誇っている。
アメリカのテレマーク・スキーヤーの多くを知る永島秀之氏は、アメリカ人のアウトドア・スピリッツをこう評す。
「遊びにはトコトン真剣」
その永島氏はアメリカの深い雪山の奥で、80歳を過ぎたお爺さんに出会う。
そして、その「お爺さんの履いているスキーを見て驚いた」。なんと永島氏がテレマークを始めたまさにその時の板だったのだ。
感動とともに永島氏はこう記す。「消費大国アメリカと言われるが、こと用具に関しての愛着やこだわりには驚かされることがある」
毎年発表されるニューモデル・スキーに心躍らせるのも楽しいものだが、同じスキーを何十年と履き続けるのもまた素晴らしいではないか。
アルペンスキーでは何十年も前のスキーはただ古くさく見えるだけかもしれないが、古くともサマになるのがテレマーク・スキーである。
テレマーク・スキーの「時」は、いい意味で良い時のままに止まっているのだから。
速度の速すぎる現代社会。
そして、それに必死の形相でついていこうとしたアルペン(ゲレンデ)スキー。
片や、雪山の奥でノンビリと日向ぼっこをしていたテレマーク・スキー。
時代が速度を増すほどに、原点回帰の機運が高まることもある。
「なぜ、スキーをやっているのか?」
低迷する日本のスキー業界は、そんな素朴な問いを忘れてしまっているのかもしれない。
出典:ソウルスライド2012
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