2013年9月26日木曜日

モウリーニョは「悪役」か? [サッカー]



サッカー、欧州スーパー杯2013

バイエルン(ドイツ) vs チェルシー(イングランド)





それは「グアルディオラ」と「モウリーニョ」、両監督による因縁の対決となった。

かつて両雄は、スペインの2強、バルセロナとレアル・マドリーで散々やりあった仲である。それが今季、期せずして2人そろって、それぞれが新チームを率いることになっていた。グアルディオラが「バイエルン」を、モウリーニョが「チェルシー」を。



2人の指揮官のイメージは対極をなす。

グアルディオラは篤実純良、知性的で温厚。

モウリーニョは唯我独尊、好戦的で敏感。

”メディアの対応一つとっても、グアルディオラは会見を論理的な説明の場と考え、モウリーニョは劇場、舞台ととらえれ騒々しい。また選手との関係では、グアルディオラは絆を重んじるが、モウリーニョは時として冷酷かつ専横的な態度を示している(Number誌)”



プレースタイルも、まさに水と油。

”グアルディオラは「ボールありき」のポゼッションが基本で、モウリーニョは「ボールは奪うもの」という前提(Number誌)”

どうあっても、モウリーニョは「悪役」がはまる。



その両者の激突、冒頭の欧州スーパー杯の結果は

延長まで戦って「2−2」の引き分け、PK戦をグアルディオラのバイエルンが制した。なるほど、正義は勝った。

”しかし2人は本当に善と悪ほどに違うのか? 実は似ていて、裏表であっても一つのコインのようなもの。そう思えてならない(Number誌)”








かつての2人は、コーチと選手の関係だった。

選手として華々しい経歴を誇っていたグアルディオラ。一方のモウリーニョはコーチでありながら、そういった輝かしいものを何一つ持ちあわせていなかった。

”当時のモウリーニョは、コーチであることさえ報道陣に否定され、「通訳だろ?」と蔑視されていた(Number誌)”



それからほどなく、モウリーニョは豹変した。

グアルディオラの代名詞となった「バルサ的なもの」を激しく憎み、「スペシャル・ワン」を豪語するなど、「バルサとは違う唯一無二の何ものか」になろうとしたのであった。

選手としては、本人いわく「三流だった」モウリーニョ。だが、監督としてはポルトを率い、2003-2004シーズンの欧州CL(チャンピオンズ・リーグ)を制覇。翌来、チェルシーに招かれ、イングランド・プレミアリーグの2連覇を達成した。

押しも押されぬ名指揮官となったモウリーニョは、スペインのレアル・マドリーを任された(2010)。それはキャリアの頂点となるはずだった。実際、とくに2年目は1シーズンで121ゴールと勝ち点100を稼ぎ、破格のリーガ優勝を成し遂げている(スペイン・サッカー史上、最高の記録)。








それが今季、6年ぶりに古巣「チェルシー」に戻ることとなった。

その理由を、モウリーニョ本人はこう語る。「レアルが特別な存在であるのは事実だとしても、あそこは単なるクラブの域を超えている。政治が大きく物を言うし、サッカーのことだけ考えていればいいというわけにはいかなくなってしまった。3年目にはクラブの会長選が再びはじまり、レアルは異様な雰囲気に包まれてしまった。ああいう状況の大変さは、現場にいた人間でなければ理解できないと思う」

前回チェルシーを率いていた時、やはりモウリーニョはオーナーのアブラモビッチと対立して、結局はクラブを辞める形になっている。

モウリーニョは言う。「ボルトガルには『友情と仕事は別物』という表現がある。同じことは、私とミスター・アブラモビッチの関係にも当てはまると思う(※モウリーニョはポルトガル生まれ)」



どうしても悪役の影が付きまとうモウリーニョ。

しかし彼自身、「私は、前よりも良い指導者になったと思う」と話す。

「イタリアやスペインで、素晴らしい経験を積んだのは間違いない。昔に比べれば髪もずいぶん白くなったが、これは自分が年齢や経験を重ねたことを示す良いサインなんだ」



「自分は『戻るべき場所』に戻って来たんだ。私はさまざまな国のリーグを経験してきたが、プレミア(イングランド)が一番楽しめる場所だった。私はプレミアが好きなんだ、4大リーグのどこよりもね」

「イングランドは、ありとあらゆるものが違っている。まずはスタジアムの空気。この国では、どんな試合にも必ず両チームのサポーターが大勢やって来て、最高の雰囲気が生まれる。だが、スペインにはそういうカルチャーは皆無だ。これはイタリアも似ている。セリエの場合はセキュリティーの問題が大きいが、やはりスタジアムが満員になったりしない」



モウリーニョがチェルシーで目指すサッカーとは?

「89分間ひたすら守り続け、最後の1分でゴールを決めて喜ぶようなチームにはならない。私は攻撃的なサッカーを追求する。ボールを奪い、激しい攻めでゴールを奪う。すべての試合で勝ちを収めていく」

6年前とは、すっかり選手の顔ぶれが変わってしまっているが?

「そう。若いメンバーがとても多い。23歳以下が半数近くを占めるんだ。私がチェルシーで最初に作り上げたチームは、今やその役割を終えつつある。だから私は、育成にも力を注いでいくことになる。自分の経験と知識を惜しみなく注ぎ、彼らを大きく育てていきたい。ベテランたちには選手生命をあと2〜3年延ばして、もう一度キャリアに花咲かせてやりたい」








かつてレアル時代のモウリーニョは、自分に造反した選手(カシージャス、セルヒオ・ラモスなど)への容赦ない仕打ちで批判を買っていた。その選手マネジメントは非情であった。

しかし今、彼は選手の育成を口にし、かつてチームに貢献してくれた「古い友人たち」に報いたいと口にする。

レアル・マドリーではクラブの内外に”敵”をつくり、そして去ったモウリーニョ。だが、”愛される場所”に戻ったことで、彼の心はいくぶん柔らかくなっているようである。



モウリーニョは続ける。「もう後ろは振り返らない。チェルシーには探し求めてきたすべてのものがある。未来を見据えて、自分が愛するクラブのために尽くすだけさ。私は心の安らぎを必要としていたんだ」

「ただし私は『昔の名監督』としては見られたくない。あくまでも新たにチームに赴任した指導者として評価を勝ち取り、人々から愛されるようになっていきたいんだ」








心機一転のモウリーニョ。

かつて欧州CL(チャンピオンズ・リーグ)で2度の優勝を成し遂げた男は、すでに「昔の自分」だと言う。そして、新生チェルシーで狙うのは自身3度目、チーム2度目となるCL優勝。

彼は豪語する。「遅かれ早かれ、チェルシーはもう一度ヨーロッパのチャンピオンになる。そのタイミングはできるだけ早いに越したことはない」



昨季、その欧州チャンピオンに輝いているのはバイエルン(ドイツ)。

そして、その王者をいま率いているのは、好敵手・グアルディオラ。コインの表裏のごとき両者は、やはり同じ目標に向かわざるを得ない。

欧州フットボール界における”定番”ともなっている「グアルディオラ対モウリーニョ」。ファンならば誰もが待ち望む対戦である。



”似たもの同士がプライドを懸けて火花を散らす瞬間、そこに見える業の深さに私たちは否応なく惹きつけられるのかもしれない(Number誌)”













(了)






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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 10/3号 [雑誌]
「2人が描く相似形 モウリーニョとグアルディオラ」
「私は以前よりも良い監督になった モウリーニョ」


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