エディーは警告していた。
W杯直前の合宿は
「地獄」になる
と。
そして、ラグビー日本代表にとって”地獄”となる宮崎合宿がはじまった。
エディーHC(ヘッドコーチ)は淡々と言った。
「耐えられない人には、帰ってもらいます」
ある日、練習が終わるとマイケル・ブロードハーストは、同じ部屋の伊藤鐘史(いとう・しょうじ)と
「今日の練習が人生でいちばんキツい練習だったな」
と話し合った。ところが、その会話が何日も繰り返される。いったいハードな練習がどこまでエスカレートしていくのか? 想像もつかない。明日はオフだと知らされてビールを飲むと、当日になって「今日の午後は練習」といきなり予定が変更となり、面食らったこともあった。
「間違いない。人生で、これ以上つらい日々はない」
厳しい練習に耐えるには、回復をうながすことが先決だ。食事、睡眠。保育園のように、昼寝の時間まで指定されていた。五郎丸歩は
「昼寝の時間まで管理されるのか」
と苦笑いした。リーチマイケルがスーパーラグビー参戦で不在のあいだ、畠山健介(はたけやま・けんすけ)がキャプテン代理を務めていたが、自分たちが磨耗していくのを実感していた(Number誌)。
2015年6月
”地獄”の合宿は3ヶ月目に突入していた。
その日は「ラインアウト」の練習だった。ボールスローワーは湯原祐希(ゆはら・ゆうき)。レシーバーはトンプソンルーク。
ルークが両腕を伸ばしきったところへ、湯原は”ピンポイント”でボールを投げ入れなければならない。エディーHC(ヘッドコーチ)は”寸分の狂いもない精度”をもとめた。このセットプレーこそが、日本代表のアタックの核となるものであったからだ。
「低い…」
ボールを投げた瞬間、湯浅はミスったと思った。
それでもルークは肘を少し曲げると、しっかりボールをキャッチした。
そのとき、間髪入れずに怒声がとんできた。
「ダメ、ダメ、ダメ!」
エディーだった。
「このレベルでラインアウトの練習をやっても意味がない! 次の練習にうつるぞ!」
エディーは常々、こう言っていた。
「ワンチャンスで勝負は決まる。チャンスは1回だけなんだ。1度のミスが負けにつながるんだ」
湯原のスローイングは、エディーから見れば、「負けにつながるミス」だった。
翌朝のミーティング、エディーはいきなり湯原を叱りつけた。
「なんだ、あのスローイングは! トップリーグではあれでいいのかもしれないが、とてもインターナショナルレベルとはいえない。あの程度のことしか出来ないのなら、もう帰ってください! その方が、ご家族もハッピーじゃないですか?」
湯原には2人の小さな子どもがいた。1歳の子の面倒をみる妻の負担は多大なるものだった。それでも、誰が湯原の帰宅をのぞむというのだ。
なおも、エディーの癇癪はおさまらない。
「JR! チケット!」
JRというのは総務の大村のことだった。大村に「羽田までのチケットを用意せよ」とエディーは言うのだった。
そしてエディーは荒々しく部屋をでていった。
「31歳だってのに、涙が出そうになることがあるんだな…」
大の男が半泣きだった。
しょげかえったまま、湯原は自分の部屋にもどった。
部屋にはルームメイトの畠山健介がいた。
「ハタケ…、終わったかもしれん…」
湯原はか細い声をしぼりだして言った。
畠山と湯原は、U19代表時代からの盟友だった。しかし、畠山には湯原にかける言葉がなかった。
とその時、湯原の携帯がブルブルと振動した。
通訳、佐藤秀典からのメールだった。
”続けるかどうか、今日の午後までに決めてください、とのことです”
顔面蒼白になった湯原は、エディーの部屋に駆け込んだ。
「つづけます!」
エディーはちょっと微笑んだようだった。
「その言葉を待っていました。明日のゲームでは、インターナショナルなプレーを期待します」
その言葉に、湯原の身は引き締まった。
”明日は、絶対に下手なプレーはできない…!”
部屋では畠山が待っていた。
「がんばりましょう!」
湯原は、また泣きそうになった。
エディーは選手たちを徹底的に追い込むことに決めていた。選手たちに「人生最大の負荷」をかける。経験上、とことん落とせば落とすほど、いざ、その”くびき”を解き放たれた時、人間は信じられない力を発揮する。その振れ幅が「想像をはるかに超えたエネルギー」を生むのだ。
この宮崎で、選手たちは自分が与えるプレッシャーに耐えられるか、否か? 人物の器を見極める。
そして9月のW杯本番にむけ、選手たちをストレスから解放していく(Number誌)。
(了)
ソース:Number(ナンバー)894号 〝エディー後〟のジャパン。特集 日本ラグビー「再生」 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
生島淳「桜の真実 エディージャパン 知られざる闘い」
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