2013年9月16日月曜日

投手を育てる打者イチロー [野球]



今から約20年前になる1992年

ジュニア・オールスター(現:フレッシュ・オールスター)は同点で8回を迎えていた。

そして登場した、全ウエスタン代打の「鈴木一郎(イチロー)」。その彼が放ったホームランが決勝弾となった。



「細い体でポコッと代打に出てきて、簡単に決勝のホームランを打つ。一発でMVPですからね」

それまでイチローをほとんど知らなかったという「定詰雅彦(じょうづめ・まさひこ)」。この時、全イースタンで捕手を務めていた。

「いいところを持っていくなぁと思いましたよ。今の言葉で言えば『持ってる』という感じ」

その年、イチローはまだプロ一年目であった。






2年後(1994)、ヒットを量産するようになっていたイチローは、あれよあれよと史上最速のペースで100安打をクリアし、無人の野を進みはじめる。すでにシーズンの半ばには「手の付けられない存在」になっていた。

「彼の場合はストライク・ゾーンが普通の人のボール・ゾーンにまで広がっている。だからボールを使いながら組み立てるということができなかった」

定詰は、そう当時を振り返る。

「ほかの打者ならキッチリ打ち取れるスライダーを何度もヒットにされた。それで手がなくなった感じでね」と、定詰とバッテリーを組んでいたピッチャー「園川一美(そのかわ・かずみ)」は言う。



「ゴロを打たれるとセーフになる確立がものすごく高くなる。だからできれば飛球(フライ)で打ち取りたい。でも、それが難しいんだよね」

一塁ゴロを投手がベースカバーしてアウトにする、いわゆる「3-1」のプレーがイチローの場合はセーフになってしまう。かと言って、飛球(フライ)を狙うために高めの速い球を使うと、イチローはそれをきっちりと捉えられてしまう。

この年、園川-定詰のバッテリーは18打数13安打と、呆れるぐらいイチローに打たれた。



「本能のままに打っているような感じだからね。『打たれたから次は裏の配球』なんてことをやっても意味が無い。打たれても同じ攻めを続けるしかなかった」と園川。

他の打者にならば有効な駆け引きも、イチローを相手にしては一切通用しない。基本的に苦手はないし、狙いを絞って待って打つような打者でもない。

「打ち取れるイメージがまるで浮かばなかった」と園川は認めざるを得なかった。






プロ野球史上初となる「年間200安打」

その年(1994年)の9月には、その数字がイチローの上に現実味を帯びてきていた。

神戸でのロッテ戦を前に「残り3本」。



「記録の重圧で足踏みなんて、彼の場合はあり得ない。普通に、あっさり通過してしまうだろうって思いましたよ」

チームメイトだった田口壮は、そう語る。大記録を眼前にしていながらも、イチローにもチーム(オリックス)にも特別な雰囲気はなかったと言う。

「もちろん、大記録達成に立ち会えるかもしれないと期待した観客の方々は、試合前から大いに盛り上がっていたようですが」



対するロッテのバッテリーは「園川 - 定詰」。

Number誌「マスクを被る定詰は、第1打席、第2打席と違う攻め方をした。しかし、ことごとくヒットにされる。あと1安打されると200安打。一里塚に名前を刻まれるのは決して名誉ではない。だが、攻め方を変えても打たれてしまっては、第3打席への方策が見つからなかった」

当時、イチローはこんなコメントを残している。

「空振りしたいけど、バットに当ってしまうんです」



「あと一本! あと1本! あと1本!」

残り1本となると、俄然、球場は騒がしくなってきた。

「1本打たれ、2本打たれ、3打席目には異様な雰囲気でしたね」と園川は語る。



バッテリーが勝負に選んだ球種はフォークボール。

ピッチャー園川は「思った通りのボールだった」と記憶する。しかし、キャッチャー定詰は「構えたところが少し甘かった」と述懐する。



イチローはそのフォークボールをきれいにすくい上げ、ライト線へ運んだ。日本の球場で初めて記された200安打は二塁打となった。

Number誌「200の数字が刻まれたボードを手にレイをかけられ、軽くはにかむイチローの写真は、長嶋茂雄の空振りや王貞治の756号と同じように国民的記憶の中にある」



打たれた園川もまた「時の人」とされた。

それに憤慨したか、「オレひとりで200本打たれたわけじゃない」と園川は、熊本出身のもっこすらしい痛快なコメントでファンを喜ばせていた。

それでも反省がなかったわけではない。

「200本目のフォークだって、自分じゃ納得できる球。打たれたのは仕方ないけど、さすがに『今まで通りじゃダメだ』とは思ったね」と振り返る。



翌1995年、園川はシュートを身につける。

Number誌「それは完全に『イチロー用』だったが、投球の幅が広がったことで、自身の投手寿命を延ばすのにも役立った」



「ああいう打者がいると、対戦する投手のレベルも上がる気がするんだよね」

キャッチャー定詰はそんな感慨をもらす。

「怖さの中で勝負して、痛い目に遭いながら投げなければ、投手は成長しないんじゃないですかね」



現在、園川は千葉ロッテのアカデミーで子供たちに技術指導をしている。

こと話題がイチローになると「200本目を打たれた園川さん」と、子供たちはからかう。すると、園川は決まってこう言い返す。

「その時はいつも、オレは『打たれたけど勝負したんだよ』って言うようにしてる(笑)」













(了)






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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 9/19号 [雑誌]
「打ち取れるイメージがまるで浮かばなかった 210安打の戦慄」


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