2013年8月13日火曜日

「5連続敬遠」で悪役になった男「馬淵史朗」 [甲子園]



「俺は少々のことじゃ、へこたれんよ」

そのカラっとした男は、快活にそう言った。



「馬淵史朗(まぶち・しろう)」

かつて甲子園で明徳義塾を率いた監督であり、超高校生スラッガー「ゴジラ松井秀喜」に対して「5打席連続敬遠」という前代未聞の勝利主義を示した人物である。

その「松井を相手にしない」という究極の作戦によって、松井秀喜を擁する星稜高校(石川県)との対戦は「3−2」というスコアで辛くも勝利をもぎとる(結局、松井はこの試合、一度もバットを振る機会すら与えてもらえなかった)。



だが大変なのは、その試合に勝った後だった。

球場では「帰れ!帰れ!」の大合唱とともに、客席からメガホンやゴミなどが大量に投げ込まれる。明徳義塾の選手たちが引き上げてもブーイングが鳴り止まない。

試合後、馬淵監督は「正々堂々と戦って潔く散るというのも一つの選択だった」と前置きした上で、「そうした潔さを喜ぶのは客と相手側だけだ」と言い切った。



その日の夜のニュースは、「5打席連続敬遠」の話題でもちきり。

明徳義塾の宿舎には「選手に危害を加える」などの抗議や嫌がらせの電話や投書が相次ぎ、監督・選手らの身を守るために急遽、警察やパトカーが出動する厳戒態勢が敷かれたほどだった。



翌日のスポーツ新聞各紙は、喜んで「松井5連続敬遠」の記事を第一面にでかでかと掲載した。

「馬淵監督の指示による『敬遠策』はまんまと成功して、明徳は勝ちを手にしたが、果たしてこの勝ち方で良かったのかどうか?」

「どんな手段を取ってでも勝つんだという態度はどう考えても理解し難い。まるで『大人のエゴ』を見せられたような気がして、不愉快ささえ覚えた」

「フタを開ければ『姑息な逃げ四球策』とは…」

マスコミ、メディアらによる非難は轟々であった。



そうした社会の論調に憤慨したのは当の馬淵監督。

「もう帰ろうと思った。監督は誰かに任せて」と、抗議の意味も込めて監督を辞めることも考えたという。

だが周囲になだめられた馬淵監督、6日後の3回戦「広島工業」との試合に臨むことになる。



その試合前、世間の批判を一身に浴びていた馬淵監督は、その抑えがたい怒りを闘争のエネルギーに転化していた。

「日本全国、敵に回してもいいから、『わしはやったる!』と思った」

罵声はもちろん、物も投げられるだろう。明徳の選手たちには「覚悟しとけよ」と腹を据えさせてから堂々とグラウンドに足を踏み入れた。



ところが…、である。

悪役を演じ切るつもりだった明徳ナインに、「明徳がんばれ〜」と声援が飛ぶほど、球場は生ぬるい雰囲気だった。

ファンらはむしろ、あまりにも強硬なマスコミの報道に対して、責められっ放しの明徳に同情すら感じていたのである。



当時の広島工業のキャプテン、加藤慶二は当時をこう語る。

「ゲームが始まったら、明徳に全然覇気がないんですよ」

必要以上に気張って試合に臨んでいた明徳ナインは、球場の同情的な雰囲気にすっかり牙を抜かれたようになっていた。

加藤は続ける。「こっちは何もしてないのに、向こうが勝手にエラーをしてくれて。やってるうちに彼らが可哀想になったぐらい」



結果は「0−8」。

「明徳は何の見せ場もつくれないまま完敗した(Number誌)」

この試合、順当に行けば明徳が勝つはずだった。この年、明徳は広島工業との練習試合を、2試合とも圧勝していたのであるから。






肩を落として旅館「志ぐれ」に戻った明徳ナイン。

そのミーティングの席で馬淵監督は、「おまえら、ようやった…」と労いをかけた途端、言葉に詰まった。そして肩を震わせ嗚咽する監督。

「負けて泣くな、泣くなら勝って泣け」、そう常々言っていたはずの馬淵監督その人が、その時とばかりは部員たちを前にはばかりもなく号泣したという。選手らも同様、堪えに堪えていた涙をみんなで存分に解放した。



当時、明徳の主将をつとめていた筒井健一は、こう回想する。

「まさか、あの監督が泣くとは思わなかった。これまでの人生で、あんなに感動したことはありません。あの瞬間、このチームでやってこれて良かった、悔いはないと思えました」



馬淵監督は「野球で泣いた記憶は2度しかない」と言う。

一度目は、この時に明徳ナインとともに流した涙。

そして二度目は、今度こそ「勝って泣いた」。「5連続連続敬遠」の夏から10年後の2002年夏の甲子園、その決勝戦。

Number誌「智弁和歌山の最後の打者を三塁ゴロに打ちとった瞬間、馬淵はメガネを外し、あふれる涙をユニフォームの袖で何度もぬぐった」



「あのときは野球やってて良かった、男に生まれて良かったと思ったね。それまで、いろんなことがあったから…」

このカラッとしたはずの男は、その時に思いを馳せると珍しく湿り気を帯びていた。






(了)






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ソース:Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2013年 8/22号 [雑誌]
「悪役にされたあの夏、牙を抜かれた完敗の後で 馬淵史朗」

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