「ちょっと肩の調子がよくないんで…」
WBC日本代表の合宿に参加する前、「前田健太(まえだ・けんた)」はそう漏らしていた。それは単なるハリではなく、明らかな痛みだった。
2月24日、オーストラリア相手に前田は投げた。
「30球を過ぎたあたりから抜ける球が増え、ストレートの急速は130km台に落ちてきた。3回には立て続けに2つのファーボールを出したあと、3ランホームランを打たれた(Number誌)」
不安の募る内容だった。心ないメディアは「代表入りすべきではない」とまで不安を掻き立てた。次はもうWBC本番なのに…。
日本代表のピッチング・コーチ、与田剛は「痛みのない場所を探して投げているように見えました」と言っていた。
当の前田は、「WBCのボールだとストレートが滑る感じがして、その分しっかり握ろうと、ヒジや握力に影響が出るような気がします」と話していた。
WBC直前の前田は、あらゆる手を尽くして「右肩に残る痛み」と向き合っているようだった。
プロに入った頃(2007〜)、前田はよくこう言われていた。
「お前は絶対にケガをする」
身体が細かった前田は、その見た目から「そんな身体じゃプロでやっていけない」と先輩諸氏に決めつけられていたのだ。
その言われるたびに、前田は反発していた。
「ふざけんなよ、見た目で判断するんじゃねぇ、って思ってました(笑)」
前田自身は、自分の身体は誰よりも強いと思っていた。
「子どもの頃から誰よりも走ってきたし、PL学園ではどこよりもキツイといわれた練習をやってきました」
骨でも折れない限りは、どこかが少々痛くてもなんとかやっていける。前田はそんな自信を持っていた。それは「理屈を超えた確信」だった。
そして迎えたWBC中国戦。先発は前田健太。
「変化球のキレはあったものの、甘いコースへ抜ける球も少なくなかった。それでも中国のバッターの早打ちに助けられ、打たれたヒットは1本だけ(Number誌)」
相手が格下の中国だったとはいえ、前田は5回56球を投げて無失点。急速も140km台を取り戻しており、与田コーチも「右肩のことは忘れているように見えました」と安心していた。
その前田は「右肩の声」に必死で耳を傾けていた。
右肩の声に耳を傾ければ、必ず答えが聞こえてくると信じていたのだ。
与田コーチには「本当に痛くてダメだったら、自分から言います」と言ってあった。
3月10日、勝てばアメリカ行きが決まるオランダ戦。オランダはその猛打力で、強豪キューバを撃破して勝ち上がってきた強敵。
前田は初回から飛ばしていった。
「前田のストレートは、オランダの3番、バーナディナのバットをいきなりヘシ折った(Number誌)」
前田の右腕は、しっかりと振り切れていた。
「緊張して足が震える大舞台、十分すぎる勇気だったと思います」と田口壮(シドニー五輪代表)は前田を評価する。
「前田はストレートの高さをまったく間違えませんでしたね。抜ける球が全然なかったし、ヒザより高いストレートはほとんどなかった(田口壮)」
オランダの右バッターは、前田の変化球に上体を動かされていた。前田の球が自分の方に向かってくる感覚に襲われ、体が起き上がって腰が引けていたのだ。
「これは変化球のキレがいい証拠です」と田口。
WBCが始まる前には、肩の調子を不安視されていた前田だったが、もはやそんな不安はどこ吹く風である。
「前田のボールは回を追うごとに精度を増していく。前田の変化球にオランダ打線はことごとくバットを出した。ストレートは両サイドの低めをピンポイントで正確に射抜く(Number誌)」
並みの選手であれば「痛いからやめておこう」としてしまうところを、前田の場合は「痛いけど大丈夫」と感じることができていた。
真摯に「右肩の声」に耳を傾けていた前田は、「この痛みは消えていくものだ」と確信していたのかもしれない。
「前田は自分の身体を知り尽くしているんでしょう」と田口も感心する。
結局このオランダ戦、前田は5回66球を投げて、打たれたヒットは1本。9つの三振を奪う「圧巻のピッチング」であった。
勝利後の東京ドームのお立ち台で、前田は叫んでいた。
「決勝ラウンドも僕に任せてください!」
そして舞台はアメリカへ。
準決勝プエルトリコ戦の先発は前田健太。
「7年前は上原浩治、4年前は松坂大輔が務めた大役だ(Number誌)」
冷たい風が吹いていた。
球場の雰囲気が日本とは違いすぎる。「初めてアメリカで投げる前田の心をかき乱すには十分すぎるほど騒然としていた(Number誌)」
試合前の慌ただしい雰囲気のまま、落ち着く間もなくゲームに突入。そして先頭打者にストレートを決めた直後、前田は球審から左手首にしていた数珠を外すように注意された。
前田のアウトコースに逃げながら沈むツーシームを、審判はストライクとコールしてくれない。
2人の打者をファーボールで歩かせたあと、前田は5番のアービレイスに打たれ、初回1点を失った。WBC初失点であった。
それでも前田は踏ん張った。
2回以降は、5回までゼロを並べた。そしてマウンドを降りた。
だが、プエルトリコ戦の結果は1対3で日本の敗戦…。
「期待を一身に背負って先発した準決勝では、前田は確かに負け投手となった。だが、今大会3試合15回を投げて、わずか1失点と、ほぼ完璧な内容と数字を残した(Number誌)」
右肩の痛みと向き合いながら投げた202球。
前田の初めてのWBCは、3連覇の熱狂を見ることなく、静かに幕を閉じた…。
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ソース:Number (ナンバー) WBC速報号 2013年 3/30号 [雑誌]
「己を信じた202球 前田健太」
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