「右ヒザから『バキッ』て音がして、これで終わったと思いました」
阿部慎之助の抱えていた古傷が再発してしまった。膝にはまるで力が入らず、バッティングになどならなかった。
よりによって、WBC開幕の3日前に…。
今大会、阿部は3つの重責を負っていた。
4番、捕手、そしてキャプテン。
「しんどかったです。自分の状態がはっきり言ってダメでしたからね。自分でも混乱していました」と阿部。
ある意味、古傷の再発によって阿部は吹っ切れていた。
とにかく「試合に出ること」。それが、キャプテンとしてチームにできることだと腹を括った。
「大丈夫です」
痛み止めの注射を打った阿部は、開幕のブラジル戦での先発出場を直訴した。
しかし、山本監督はそれを許さず、開幕戦は代打での出場にとどまった。
阿部が「自分らしさ」を取り戻すのは、2次ラウンドの台湾戦。
2点差を追う展開の8回表、阿部の放ったタイムリーは追撃の口火を切ることとなり、あの劇的な逆転勝利につながった。
そして、オランダ戦で阿部は大爆発。なんと1イニングで2本のホームランを放ったのだ!
「1イニングで2本塁打は、自分としても初めての経験でしたから、サイコーです!」
東京ドームのお立ち台で、阿部はそう叫んだ。
「この時こそ、4番としても捕手としてもキャプテンとしても、阿部がようやく自分らしさを取り戻した瞬間だった(Number誌)」
しかし、最後の試合となった準決勝・プエルトリコ戦では、「悔い」を残してしまうことに…。3度の打席は、ピッチャー・ゴロ、三振、二塁ゴロ…。4番としての責務は果たせずじまい。
とりわけ、最後の打席となった8回、走塁ミスした内川聖一の憤死を目の当たりにしながら、何もできなかった…。
「あそこで自分が打っていれば、勝てていた…」
阿部の心には、その敗戦の責がずっと澱(おり)のように溜まっていた。
「だから自分としては本当に残念な大会でしたし、悔いは残り続けると思います」と、阿部は悔しさを滲ませる。
あと一歩を、自分のバットが切り開けなかった…。
「おそらく自分に次はないと思う」
2度のWBCを戦った阿部は、「これが最後の代表」という覚悟でユニフォームを着ていた。
戦いは終わり、夢は破れた…。
侍たちの快進撃は「最低限の目標」とされた決勝ラウンドで止まってしまった…。
思えば前回大会、阿部は侍ジャパンの一員として、連覇の感動を味わっていた。
阿部はオリンピックなども含め国際大会の経験が豊富である。勝つ喜びも知っていれば、負ける怖さも知っていた。
だからこそ今大会前、後輩たちにこう言っていたのだ。
「国際大会では何が起こっても驚いたらいけない」と。
プエルトリコ戦でのまさかの走塁ミスとて、阿部にとっては想定内であり織り込み済みであったはず。
「でも、負けたことはやっぱり悔しいです…」
日の丸を背負った戦いにおいて、ファンに応えることができるのは勝つことだけである。
その緊張感たるや、「1ミリのミスもできない」ほどであるという。
「日の丸を背負って負けた悔しさは、日の丸を背負わなければ晴らせない(Number誌)」
3連覇のかかった日の丸の、なんと重かったことだろう…。
ましてやキャプテン、そして4番、キャッチャー。
それは「途轍もなくしんどい仕事」であった…。
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ソース:Number (ナンバー) WBC速報号 2013年 3/30号 [雑誌]
「重き荷を背負って 阿部慎之助」
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