2016年4月17日日曜日

酒とラグビーと、大野均



高校時代は、野球部の補欠だった。

大野均(おおの・ひとし)

いくら努力しても、レギュラーには手がとどかなかった。


高校一年、背丈を見込まれて、野球部の投手候補に。

「2球投げたら、監督にもういいって」

野手に回っても、肩は強いのにバットにボールが当たらなかった(Number誌)


大野は言う。

「高校の野球部では、1年のときはベンチプレス45kgしか挙げられなかったのに、3年で100kgまで伸ばした。それでも試合に出られない。単純にセンスがなかったんでしょうね」






ラグビーと出会ったのは、大学に入ってから。


1997年の4月某日

福島県郡山市の日本大学工学部キャンパスの入学式翌日、背の高い新入生が学生食堂へ向かう道を歩いていると、いきなり両脇を「ガッ」と抱えられた。やけに体格がよくて力も強い。ラグビー部の勧誘である。

「ちょっと、こっちへ来てもらえるかな」

不気味に優しい声で勧誘された。こうして、地元の高校では野球部(清陵情報高校)の補欠、ひょろりと長い少年は楕円球と遭遇した(Number誌)


ノートに、名前と自宅の電話番号を書かされた。

すると、毎日電話がかかってくる。



野球部に入るつもりでいた大野は

「僕、コンタクトレンズなので、ラグビーは無理だと思います」

と断った。するとすかさず、

「おおっ、俺もコンタクトだよ!」



断りきれなかった大野は、グラウンドに顔だけ出してみた。

大野は言う。

「グラウンドの雰囲気がすごくよかった。先輩が遅れてグラウンドにやってきて、実習がちょっと延びちゃって、と言いながら、ぱっとジャージィに着替えて、もうバチバチとタックルしてる。なんか、それがすごく『カッコいいなあ』と思ったんです。次の日に新入部員歓迎の飲み会が、大学のそばの中華料理屋であって、それでもまだ断るつもりで出席したんですけど、これが楽しかった」

こうして、仲間と「酒」の彩る人生がはじまった。


1、2年時は東北リーグ1部所属、最後の2年は2部暮らしだった。

ロック、フランカー、ウィング、ナンバー8と、ポジションを転々とした。

休日には「先輩のクルマに分乗して、心霊スポットめぐりや海でのバーベキュー」を楽しみ、アルバイトに精をだす(Number誌)


居酒屋チェーン「天狗」で2年間、バイトした。あこがれは、女性スタッフの多いホール勤務。だが「制服のサイズがない」という理由で、厨房おくり。

「キミは身体が大きくて、お客さんが怖がるから」

どうしても、ホールには出してもらえなかった。



大学4年の春、

「お客さんが怖がる」ほどのサイズを買われて、国体予選の福島県選抜に選ばれた。これがキッカケとなり、東芝への門がひらかれた。


5月、東芝府中工場に呼ばれて、トライアルの練習参加。肩を亜脱臼しながらも隠し通し、夜、薫田真広コーチとの「脂まみれのカルビ焼肉面談」で

「3日以内に返事を」

と内定をもらう。2日後に返事をした。

地方の下部リーグ出身者がいきなり、「親に見せられぬ練習」を矜持とする鋼鉄の集団に放り入れられた(Number誌)


みるみる実力がついた。

入社2年目に公式戦に出場。

4年目には日本代表の初キャップ。



「灰になっても、まだ燃える」

その座右の銘のとおり、大野均は無類のタフネスを示しつづけた。

日本代表キャップは、歴代最多の96(3度のW杯含む)。







そして酒。

世界的にも、ラグビーのチームは遠征先で土地の人々と酒を酌み交わす伝統と文化がある。

五郎丸は言う。

「ラグビーの試合が終わると、(アフターマッチファンクションで)両チームが集まって軽食をとったり、ビールを飲んだりするんですよ」

大野は言う。

「そこの地元の方と飲むのも、すごく好きなんです。いろいろな話を聞くのが。地方にこそ、ラグビーの大好きな熱いファンがいるんですね」

「地獄」といわれたW杯直前の宮崎合宿でさえ、大野は楽しんでいた。

「宮崎もよかった。次の日が休みだと街へ出て。自分にはその部分(酒の楽しみ)があったんで」



酒の思い出は尽きない。

大野は言う。

「2005年、フランスで日本代表が合宿しました。リモージュという田舎にあるスポーツ施設で。(酒豪の)伊藤剛臣さんと同室でした。どうしても飲みたい。『おい探しにいくぞ』と。ありました。タバコ屋の中のカウンターで店のおばあちゃんがビールを注いでくれる。雰囲気がすごく良くて、合宿中に(酒豪の)廣瀬佳司さん、剛臣さんと3人で毎日通いました」



2007年のW杯では、カナダと引き分けて帰国したとき、解散するのがどうしても寂しかった。東京に一泊しようとなって、熊谷皇紀、木曽一、山本正人、大西将太郎と六本木に繰り出した。

飲みに飲んで、翌朝4時。

いよいよ解散となると、ますます寂しくなった。大野均と木曽一は抱き合って、わんわん泣いた。六本木の交差点のド真ん中で。







2015年、ラグビーW杯イングランド大会

大金星をあげた南アフリカ戦のあとも飲んだ。

大野は言う。

「(チームの)ルールとしては、飲んでもよかった。ただ、スコットランド戦が4日後なので、ほとんど飲んでいる選手はいませんでした」







大金星もまじえ、3勝1敗という過去最高の成績で、2015W杯イングランド大会は終わった。


これで英国ともお別れだ。

最後にホテルの前で、みんなで記念写真をとった。

山下裕史は

「終わっちゃうんですね、本当に」

と漏らしてしまった。

「なんだか寂しい…」

と続けると、

「まったく女々しい奴だな、オマエは」

とからかわれた。

W杯という大舞台を戦い終え、誰もが幸せな気分に浸っていたが、一抹の寂しさもそこにはあった(Number誌)



2015年10月12日

ラグビー日本代表をのせたバスは、一路、ロンドンのヒースロー空港へむけ発車した。



1号車は静かだった。メールをうったり、車窓をぼんやり眺めたり。

2号車は、まったく違った。窓の外など一切、見ていなかった。



「こんなもの、いらないね!」

エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)自ら、ネクタイを放り投げた。そのボスの姿に、田中史朗がのってきた。

「エディー、ドリンク! ドリンク! ドリンク! エディー!!」

エディーに、ビールを注ぎまくった。

「あんなことできるの、フミさん(田中史朗)しかいないよね…」

チームメイトらは、変に感心していた。



途中のパーキングエリアでは、堀井翔太がはじけた。

「もう、うまいモン食ってもええやろ」

ビールからハンバーガー、ポテトまで大量に買い込んだ。バスに戻ると

「ハンバーガーいる人?」

と言いながら、ポイポイ、ハンバーガーを投げて配った。W杯が終わるまではと、アルコールもハンバーガーも節制していた選手たちが、帰りのバスで一気にはじけた。

「好きなだけ食べて、飲んでしまえ!」

空港までのバスは、まさに解放の空間となっていた。



大野均は、もちろん「ビール号」こと2号車、堀江翔太の隣りにいた。

飲む、飲む、飲む。

いったい何本やっつけたのか?



大野は言う。

「本当は栓抜きのいるビンだったんですけど、ニュージーランド人がよくやるじゃないですか、そのへんの角でカーンと。」

座席のあらゆる突起はすべて、栓抜き代わりとなった。

「バスの中、相当、傷ついたと思います(笑)」



ところで酒豪の真壁伸弥は、不幸にも1号車に乗ってしまっていた。

「乗るバス間違えた…」



興にのった「ビール号」2号車では、合唱がはじまっていた。


♪ジャパニーズ・ソルジャー

毎日つかれた

Red and white jersey

Play for our country


Aye ya ya

Aye ya ya ya

Aye ya ya…♪


ボブ・マーリーの「バッファロー・ソルジャー」の替え歌だった。

8月の秩父宮で、ウルグアイに完封勝ちした後、ツイヘンドリックが歌詞をつけたものだった。


♪ハードワークしました

Play for each other

Pride in our journey

Play for our country


Aye ya ya

Aye ya ya ya

Aye ya ya

Aye ya ya ya…♪







酒と仲間と、ラグビーと。

大野は言う。

「ラグビーは仲間がいないとできないスポーツ。仲間の大切さを感じます」

大野はつづける。

「いつも厳しい練習を一緒にしてきて、『アイツのために体を張ろう』と思わせてくれる、そう思わせてくれる人間のたくさんいるチームが強い。今回の日本代表、『これだけ練習してきたのだから勝てなかったらウソだろう』とみんなが思って、事実、結果を残せたのは本当にうれしいですね」







大野均、現在37歳。

次のワールドカップは、さすがに難しい。

それでも「もしかしたら…」という期待を、大野は人に抱かせる。



エディー・ジョーンズは言う。

「キンちゃん(大野均)がもう一度W杯の舞台に立ったとしたら、私もさすがに驚くでしょうね(笑)。何歳までプレーするんでしょうね。私も楽しみにしますよ」






(了)






ソース:Number(ナンバー)894号 〝エディー後〟のジャパン。特集 日本ラグビー「再生」 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))



関連記事:

札幌とリーチマイケル [ラグビー]

トンガからのNo8、マフィ [ラグビー]

歴史的敗北から歴史的勝利まで [ラグビー]




1 件のコメント: