歴史的な敗北だった。
1995年6月4日
第3回ラグビーW杯、南アフリカ大会
「日本 vs ニュージーランド」
”漆黒のジャージーが、機械のように次々と、インゴールに走り込んでいた。長いパスが一本通ると、目の前にいたはずの赤白ジャージーは姿を消した。黒い軍団は、無人の野を往くがごとく、分刻みでトライの山を築いた。オールブラックス(NZ)145 - 17日本。ワールドカップの歴史に刻まれる、史上最多得点。敗れた日本から見れば、史上最多失点の試合…(Number誌)”
この日、エディー・ジョーンズ(Eddie Jones)はオーストラリア、シドニーの自宅でこの試合のテレビ中継を見ていた。彼にとって日本は他人の国ではない。母方の祖父母の国であり、妻の母国である。
エディーは言う。
「よく覚えています。あの日はシドニーの自宅で、妻と一緒に居間のテレビで観ていました。オールブラックスのプレーがすばらしかったですね。しかし対戦相手のチーム(日本)が、しかるべき準備をして試合に臨んでいないことは明らかでした。努力、勇気、思考。すべてが欠如していた。ワールドカップの戦いだというのに、彼らはやるべきことを何もしようとしなかった。そのうえ、彼らは絶対にしてはいけないことをしていました。何かって? 『ギブアップ』ですよ。だから1分に1点以上も取られたんです」
歴史的敗戦から16年後、2011年9月16日。
日本はW杯の大舞台でふたたび、漆黒の軍団・オールブラックス(NZ)と対戦することになった。
”だが日本は、ベストメンバーを組まなかった。5日後のトンガ戦に必勝を期すために主力を温存。日本のメンバーを見たニュージーランドは、この試合でリッチー・マコウ主将、ミルズ・ムリアイナをメンバーから外した。オールブラックスとの試合を消化試合にする相手に、ベストメンバーなど出せないという意思表示だった。日本は無抵抗で敗れた。7 - 83というスコア以上の惨敗だった(Number誌)”
「このチームを勝たせるのは、本当に大変な仕事だな…」
エディーは日本代表のHC(ヘッドコーチ)を引き受けるに際し、まずそう思ったという。
◆ハーフ、エディー
エディーの父はオーストラリア人。母は日本人。
エディーは言う。
「差別の厳しい時代、私は完全にオーストラリア人として育てられました。母から、”日本では友人の家を訪ねる時におみやげを持っていくのよ”、と教わった程度です」
ラグビー選手としての体格に、エディーは恵まれなかった(現役時代173cm, 82kg)。日本人とのハーフであったことから、「chink(侮辱語で中国人)」とバカにされた。
「生まれ育ったオーストラリアで、私が生き残るためには、何かを証明する必要がありました」
小柄さを補うため、エディーはスキルを追求した。
「あなたがHO(フッカー)で、ラインアウトのスローウィンがうまくできないなら、自分自身で毎日100本は投げなくてはならないのです」
しかし、努力は報われなかった。当時のワラビーズ(オーストラリア代表)は巨漢フッカーの発掘起用に傾いていた。エディーよりも優れたフッカーなどいなかったにもかかわらず、彼が代表に選ばれることはなかった。
”その次のレベル(ワラビーズ)に達するには、あまりにもスモールだった(『Inside the Wallabies』)”
”身長と体重の不足が、彼(エディー)の虚勢じみた強気と献身をもたらした。ののしりの達人。激しさと荒っぽさはよく知られていた(『Inside the Wallabies』)”
◆コーチ、エディー
コーチに転身したエディーは1996年、日本の東海大学と契約。
エディーは言う。
「東海大では、まず、レベルの低さに驚きました。今でこそ大学チームの中ではフィジカルの強化に力を入れている東海大ですが、当時は体は小さく、規律も低く、自分から練習に取り組む姿勢がありませんでした」
エディーは続ける。
「日本人の特徴として、従順を美徳とすることがあります。”自分では判断しない” ように育てられている。しかしラグビーでは、それは良い選手になるには大きな障害になります。ラグビーはいろいろはスポーツの中でも、最も状況判断を求められるスポーツだからです。その意味で、日本のチームを指導するのは、外から見ていた以上に難しいと実感しました」
2001年、エディーはオーストラリア代表のHC(ヘッドコーチ)に抜擢される。その歴史をつづった書には『Fast Eddie(容赦せぬエディー)』と題されている。
”エディー・ジョーンズは極めつけの喧嘩屋である。彼は衝突を愛している。彼はワーカホリック(仕事中毒)であり、目標に突き進み、おのれを律し、独裁的で、しばしば扱いづらい(『Inside the Wallabies』)”
眠らない男エディーは "1日に10時間から14時間をコーチングに捧げた"。自身に対してのみならず、スタッフへの要求もとことん高い。「エディーと働くよりは、義理の母親と仕事をするほうがまだ楽だ」と代表のアシスタントコーチを務めたアンドリュー・ブレイドは語っている。エディーの厳しすぎる対人スキルに関してはオーストラリア協会も「疑問」を抱いたという。
”さりとてエディー・ジョーンズの博物学的なゲームの知識をとがめるのは、誰であれ不可能である。しばしば混迷、刻々と変化をとげるゲームの本質を、これほどまでに理解できる者など世に稀れなのだ(『Inside the Wallabies』)”
2003年、自国(オーストラリア)開催でのW杯を前に、エディーへの批判は高まっていた。大会の約4ヶ月前にはオールブラックス(ニュージランド代表)に21-50の大敗を喫しており、本大会開幕後も、ワラビーズ(オーストラリア代表)は攻守に精彩を欠いていた。
迎えた準決勝、対オールブラックス戦。これがエディーにとって、キャリア最大の勝利となる。優勝こそイングランドに譲ったものの、開催国の面目は十分に保った。
次の2007年W杯においてエディーは、南アフリカ代表「スプリングボクス」のコンサルタント(助言役)としてW杯優勝に貢献した。
”エディーはつまり、普通の人間じゃない。だから国際ラグビーの領域にあって、毀誉褒貶にまみれながらも、絶対に軽視はされない(Number誌)”
◆エディー・ジャパン
「勝ち方なら知っています」
2012年、ラグビー日本代表のHC(ヘッドコーチ)に就任してから、たびたびエディーはそう言っている。
エディーは言う。
「なぜニュージランドは強いのか? 監督がグラハム・ヘンリーからスティーブ・ハンセンに代わっても、同じように勝ち続けるのはなぜか? それは選手の育成システムが正しく機能しているからです。日本にはそれがない。これまでW杯で敗れたチームはすべて同じ問題を抱えていた。なのに日本ではW杯で敗れるたびにコーチに責任を負わせて、首をすげ替えるだけで、育成システムには手をつけずにきました」
過去7回のW杯において、ラグビー日本代表は一勝しかあげたことがなかった(1勝21敗2分け)。
就任直後、エディーは言った。
「いまはキックというアイディアはありません」
日本人の選手は自国のリーグ(トップリーグ)において、キック主体のプレーに慣れていた。ところがエディーは、そのキックを封印してしまったのだった。テーマは「プレー・ザ・ゲーム」、とにかく手にボールをもって攻め続けることだった。
成功への予感が実現しはじめたのは2013年。秩父宮で、初めてウェールズを破る大金星をあげた。
この試合、エディーは小兵の田中史 朗(たなか・ふみあき)を高く評価した。
「ウェールズは基本的に "弱い者イジメ" が得意なチームです。フミ(田中)は汚いプレーが許せなかった。イジメっ子が最も嫌がるのは、フミのような小さな人間に抵抗されること(田中史朗はウェールズの選手に食ってかかった)。フミが本気になって怒った姿が、ウェールズの選手たちのメンタリティに影響を与えたと思います」
田中史朗は小柄ながらも、世界最高峰のスーパーラグビー(SR)でプレーする、日本を代表する世界的な選手である。エディーは日本人によるスーパーラグビー(SR)挑戦を積極的にすすめてきた。
エディーは言う。
「より多くの選手をスーパーラグビー(SR)でプレーさせたいのです。選手は、レベルの高い選手とともに、レベルの高い大会でプレーすることで伸びる。(日本の)トップリーグでも世界のトップレベルの選手はプレーしているけれど、環境が甘すぎるのです。選手の大多数は世界的な大企業の社員として終身雇用されていて、トップリーグでのパフォーマンスがどうであれ、生活は保証されている。海外のリーグでそんなことはありえない。パフォーマンスが悪ければ契約を失ってしまう。選手たちは誰もが危機感をもってプレーしている。そのプレッシャーのなかで戦う経験は、日本では決して得られない」
エディーは続ける。
「外国から見ると、日本はそこまで真剣にラグビーに取り組んでいるわけではないと思われているでしょう。勝つことに執着していない。全力を尽くすことに価値をおいていない。残念ながら、2011年W杯のオールブラックス戦(主力選手を次戦にそなえて欠場させた一戦)で、そのイメージはさらに強調されてしまいました。最近も、あるウェブサイトで、日本のSRチームのニックネームがなかなか決まらない、いい名前を考えようという記事があって、こんな投稿がありました。『オリガミにしよう。キレイだけど、すぐ折れてくしゃくしゃになる。弱々しい』。こういう発言を見ると、本当に悔しい」
エディーは就任直後、こうも言っていた。
「遠からぬ時期、私は不人気(アンポピュラー)な存在となるでしょう」
◆キャプテンと副キャプテン
2014年、ニュージランド生まれのリーチマイケル(Michael Leitch)は日本代表のキャプテンを引き継いだ。15歳で日本に来たリーチは、日本人の妻をむかえて日本国籍を取得している。世界最高峰のスーパーラグビーでフルパフォーマンスを重ねる26歳。
リーチは言う。
「俺はもう日本に10年住んでいるし、日本の学校にずっと通っていたから(札幌山の手高校 → 東海大学)、頭の中はかなり日本人になっている。日本人の考え方とニュージランド人の考え方の両方があるんだけど、エディーは、俺のなかの日本人的なメンタリティーにはすぐダメ出しをするんだ。たとえば日本には、みんなが平等であること、みんながハッピーであることを良しとする考えがあるけど、俺がちょっとでもそういう考え方を出すと、エディーは『ダメだ。それじゃ勝てない』と言う。『スタンダードを落としたら絶対に勝てないんだ』と。俺もそれは分かるけど、相手によっては、ここは優しく指摘したほうがいいかなと言い方を考えるときもある。だけどエディーに言わせると『その考え方は日本人的すぎる』となるんです。そういうことがよくある」
副キャプテンの五郎丸歩(ごろうまる・あゆむ)が続ける。
「日本人としては、そう言われて嬉しくはないよね。でも、エディーは ”W杯の勝ち” を知っている唯一の人なんだから、ここは信じてついていくしかない」
W杯イヤーの今季、エディーは4月の始動から9月の本大会まで、ほぼオフなしの合宿を組んだ。トレーニングルームには最新鋭のマシンを大量に持ち込み、早朝から鍵を開けた。朝4時から夜9時まで、1日3回から4回のスーパーハードワーク。
エディーは言う。
「日本人の修正能力は高い。正しいトレーニングをすれば短期に改善します。他方、練習の強度が落ちると、あっけなく元へ戻ってしまう。ここがオーストラリア人と非常に異なるところです。だから日本の選手には常にハードなトレーニングを課す必要があるんです」
キャプテンのリーチは言う。
「そもそも6月だけで91回の練習セッションがあった。これ、普通のチームの3カ月分だよ(笑)。4年前のジャパンも『世界で勝つには走り勝つこと』と掲げていたけど、実際に走り勝てるだけの自信をつけてW杯に臨めたわけではなかった。でも今は、間違いなく世界一走れるチームになっている」
◆田中と堀江
"On the same page"
ラグビーにおいて、選手全員が「同じページ」にいることが重要とされる。海外組の田中史朗と堀江翔太は、そうした意識が日本に欠けていると感じていた。
堀江「海外と日本で最も違うのはコミュニケーションの部分でしょう。海外ではコンセプトというか、どんな考えでやっているか、メンバー全員の意思統一が自然とできる環境があるんです」
田中「試合に出ている15人全員が『同じページ』にいること(On the same page)が重要だからね」
堀江「ラグビーは育った環境が違う選手たちが一緒になって戦うわけで、言葉に出さないと理解できない部分がある」
田中「みんながテキストの同じページを開いて、イメージを共有する状態をつくる。そのために練習があるわけで。ジャパンに合流してみると、コミュニケーションが絶対的に不足しているという印象が拭えなかった」
堀江「むこう(海外)では、試合中みんなずっと何かしゃべってますからね」
田中「うるさい(笑)。でも、それがいい」
堀江「ラグビーやるなら英語。ぼくは最初、『イエス』しか喋れなかったけど(笑)」
8月のトンガ戦のあと、田中史朗はチームメイトに苦言を呈した。
田中「自分のことを煙たがる選手も中にはいるけど、もっと勝ちにこだわらないといけない。外国出身の選手は勝敗の受け止め方が真剣というか、深刻なんです。練習メニューひとつとってみても、どんな目的があるのか、それを全員が理解するってことが重要だと思う。練習でメンバーが同じことを考えてないと、試合で同じ発想になれるわけがない。長い合宿で疲れていても、それは言い訳にならない」
田中は続ける。
「ラグビーは、最後の最後は選手の判断にかかってくる。たしかにジャパンは、エディーの敷いたレールの上を走ってここまでやってきた。アタックでも右、左、細かい約束事まで決めています。でも、最終的には選手の判断にかかってくるし、そうじゃなきゃプレーしてて面白くない」
◆4年間
監督就任から4年、エディーは言う。
「4年間という時間ですべては改善できない。私の誤算は、日本にはスピードがある選手がいないということでした。日本には持久力のある選手は多いけれど、スプリンターがいない。これは予想外でした。選手へのヒアリングを含めて調べていくと、日本のラグビー界は足の速い選手を育てようとしていないことがわかった」
エディーは続ける。
「たとえば藤田慶和は日本の高校、大学ラグビー界でずっとスーパースターでした。4年前はトレーニングを重ねれば、もっともっと速くなると思ったけれど、難しかった。18歳からスプリントトレーニングをはじめたのでは遅いということです。もし藤田が16歳からスプリントのトレーニングをしていれば、より速いスピードを身につけていたでしょう。しかし残念ながら、彼はその2年間も持久力優先のトレーニングをしていたのです」
一方、この4年間で出来ることは、やった。
エディーは言う。
「小さいチームがディフェンスで守り勝つのは不可能です。つまり、アタックの時間を増やさないと日本が勝つチャンスは出てこない。運動量で勝つこと、賢く勝つこと、スピードで勝つこと。」
そのためにはセットプレー(スクラム、ラインアウト)でボールを獲得することが重要になる。
「スクラムにはマルク・ダルマゾ(元フランス代表HO)を、ラインアウトにはスティーブ・ボーズウィック(元イングランド代表キャプテン)をつけて強化した。2人は世界でもトップクラスのスペシャリストです。その結果、スクラムとラインアウトに関しては、日本は世界で最も成功しているチームになりました」
2015年ラグビーW杯イングランド大会を前に、エディーは言う。
「『日本は弱い』というイメージを覆せるのは、世界のすべてのチームが真剣勝負で臨んでくるW杯で勝つことしかない」
エディー・ジャパンの目標はW杯の8強。それは過去7大会で1勝しかしたことのない日本にとって、とてつもなく高いハードルである。
◆決戦前夜
少年ダビデと巨人兵ゴリアテの戦い。
2015W杯、日本の初戦となる南アフリカ戦を、エディーはそう喩えた。
「彼ら(南アフリカ)はW杯史上最高の勝率を誇っている(優勝2回、世界ランク3位)。経験豊富ですさまじいフィジカルを備えている。われわれはW杯最低の勝率で、W杯では最小のチームだ。普通は槍を持って戦うが、われわれは他のものを手に戦う。見つけたもので戦うことができる」
”格上の立場では、格下がオーソドックスなスタイルを掲げても、ちっとも怖くない。極端な戦法のもと猛練習を経てきたなら、たとえ体格と経験でこちらが優位でも少しは嫌だ。あいつらリングに上がってきたぞ。そうとらえるだろう(Number誌)”
また、エディーはこうも言っていた。
「日本のチームは、リーグ昇格や降格がかかると、それまでになかった闘争心や結束力をいきなり見せる。日本人は、このチームのためにと心の底から思うと素晴らしい力を発揮するのです」
”鋭い分析だ。日本の選手は放っておくとオーストラリア人やイタリア人ほどには闘争的にはならない。そのかわり帰属集団への忠誠意識が浸透すれば、どこまでも捨て身になれる(Number誌)”
南アフリカのメンバー表が発表された時、エディーは言った。
「南アは我々をリスペクトしてきた。2007年のオーストラリアも、2011年のニュージーランドも、日本戦には主力を温存して、Bチームを出してきた。今回、南アはそうしなかった。我々がやってきたことが、世界で評価され始めているのだ」
W杯で過去1回しか勝利をあげたことのない日本に対して、南アフリカはベストメンバーで臨んできた。ちなみに南アは過去W杯で4回しか負けたことがない。
”ラグビー日本代表が、W杯で南アフリカを倒す。果たして、そんなことが起こりうるのか? 南アフリカといえば世界に冠たる巨人国だ。間違いないのは、それが本当に起こったという事実だけだった(Number誌)”
◆歴史的勝利
試合開始直後、日本は巨漢・南アフリカの波状攻撃にさらされた。その猛攻をなんとか踏み耐えた日本は、むしろボールをもぎとってターンオーバー(カウンター)を展開。得意のスクラムからペナルティーを得て、先制に成功した(五郎丸の3点キック)。
その後は、南アフリカに何度か得点をゆるすも、そのたびに執拗にくらいついて、前半40分は10-12という、わずかなビハインドで折り返した。そして後半最後の20分、いつもの日本ならば体力切れで一気に突き放されてしまう時間帯、日本はむしろ攻撃を活性化させた。逆に、南アフリカは消極的になった。
29-29の同点で迎えた72分、南アフリカは安全策であるPG(ペナルティー・ゴール)を選び、3点を確実にとったものの観衆からは大ブーイング。逆に日本は、最後の最後に獲得したPKで同点のキックを狙わずに、あくまでも逆転のトライ(5点)に邁進。見事、南アフリカの大きな壁をすり抜けてみせた。
2015年ラグビーW杯イングランド大会
日本 vs 南アフリカ
34 対 32
ラグビー史上にしっかりと刻んだ歴史的勝利、世界が沸いたジャイアント・キリング。ダビデ少年は巨人兵ゴリアテをねじ伏せた。
"Fortune Favors the Brave"
幸運の女神は、勇者にほほえむ。
史上最多失点で敗れた歴史的敗北、ニュージーランド戦から20年。エディーという起爆剤を得た日本は、至弱から至強への道を歩みはじめた。
スーパーラグビー制覇5回の知将、ロビー・ディーンズは言う。
「日本のラグビーは離陸しました。私はジャパンが8強へ進むだけの能力をもっていることについては疑いません」
そして、こう釘をさす。
「高度を上昇させられるかは、これから」
(了)
ソース:Number PLUS(ナンバー プラス) ラグビーW杯完全読本 2015 桜の決闘 (Sports Graphic Number PLUS(スポーツ・グラフィック ナンバー プラス))
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