2014年6月20日金曜日
1日、何食?
ピンク・レディーで一世を風靡した未唯mieさん
10代の頃から「1日1食」だという。
「私の場合、無理して一日一食を守っているわけではないんです。学生時代から、朝ご飯を食べるよりはお布団の中でグズグズしていたいタイプでしたし、高校時代は歌手になると決めていたので、昼休みも歌の練習に費やしたいから片手にパンぐらい。そのぶん夜はしっかり食べました」
一方、同じピンク・レディーで活躍したケイさんは違った。
「ケイは中学時代バスケットボールをやっていたこともあって、1日5食は当たり前だったんですね」
小食のミーさんと、大食のケイさん。不思議なことに、並ぶと小食のミーさんのほうが太っていたという。
ピンク・レディーが国民的大スターとなって以来、睡眠さえも2〜3時間という超過密スケジュール。
「衣装もタイトでしたから、だんだん食べなくなりましたね。不思議とお腹も空かなかったですし」とミーさん。1日1食のほうが集中力も保てたという。
だが、さすがに事務所はミーさんの1日1食が心配になり、栄養学の先生に意見を求めた。
すると先生は「1日1食でも何の問題もない」との回答。
ミーさんは振り返る、「その先生は1日3食というのは習慣でしかなく、本当はお腹が空いている時が一番ベストの食事時という考え方だったんです。身体というのはうまくできていて、必要なときにはちゃんとお腹が空いて、食べたくなるものだと」
ところで現在、日本の厚生労働省は
「1日3食、規則正しく食べましょう」と奨励している。
言わずもがな、それが現代のわれわれの常識でもある。
ところが、江戸時代までは日本人は「1日2食」だったと文献にある。その習慣は、平安時代の貴族たちのもので、昼飯なしの朝晩2食だったという。
「二食は優雅、三食は野卑」
勃興してきた武家には、1日3食、つまり朝昼晩たべる者もいたというが、それは「野卑」とみなされた。江戸幕府が誕生するまでは、朝廷の「優雅さ(つまり1日2食)」を重んじる傾向が強かったという。
庶民が1日3食をとるきっかけとなったのは、江戸時代の明暦の大火(1657)からとの説がある。
焼失した江戸を復興させるため、幕府は全国から大工や職人を集めて朝から夕方まで一日中働かせた。そんな重労働は、朝晩2食だけでは到底もたない。そこで昼にも食事を出すようになり、そこから1日3食の習慣が広まっていったというのだ。
正式に日本が1日3食を基準とするようになるのは、1935年、佐伯矩という医学博士がそう提唱してからだという。
佐伯博士は「栄養三輪説」、すなわち栄養は「健康の源泉」「経済の根本」「道徳の基礎」という3つの輪を支えているという哲学を打ち出した人物だ。
まず調べたのは、日本人が一日に消費していたエネルギー量。あらゆる職業からなる被験者に集まってもらい、ダグラスバッグという装置でエネルギー代謝を調べたところ、その平均値(成人男子)は「2,500〜2,700キロカロリー」ということが判った。
ところが、それだけのカロリーを1日2食で補おうとすると、1回1回の食事がとても食べきれないほどのボリュームになってしまう。そこで1日3回食べた方がよいということになった。
1食1食を栄養のバランスよく、1日に3等分して食べる。それを「毎回完全則」として佐伯博士は世に広めたということだ。
さて現在、日本人の運動量は佐伯博士が調べた頃よりも、ずっと少なくなった。たとえば車や電車などの普及により、あまり歩かなくなった。
およそ80年前は一日に2,500〜2,700キロカロリーが必要(成人男子)とされていたが、今では20%減の2,000〜2,200キロカロリーで充分とされている。また、栄養価の高い加工食品が普及したことにより、ひと口当たりのカロリーはずっと高くなっている。
つまり、80年前に定められた1日3食という習慣は、現代ではややもすると食べ過ぎるということである。
(了)
ソース:Sports Graphic Number Do Early Summer 太らない生活 2014 (Number PLUS)
「1日3食は正しいのか?」
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